浅草公会堂 新春浅草歌舞伎 (第一部)

亀治郎さんが<猿之助>となって浅草に戻ってきた。第一部のお年玉・年始ご挨拶は男女蔵さんであった。男女蔵さんは語る。猿之助さんは浅草に戻ってくると言って本当に戻ってきた。あの人は凄い人だ。そしてしっかり若い人にバトンタッチしようとしている。では恒例の「おめちゃんコール」で締めますので宜しく。男女蔵さんの年始挨拶は初めてなので、「おめちゃんコール」知りませんでした。「おめちゃん、おめちゃん」と二回連呼するのである。男女蔵さんは素顔のほうが男前である。

『義賢最後(よしかたさいご)』は、現在では『実盛物語』と二つだけが上演される、浄瑠璃「源平布引滝」の中の一つである。義賢は三浦半島と浦賀 (3)に出てくる為朝神社の源為朝の兄にあたる。義賢(愛之助)は帝から源氏の白旗を賜っており、兄・義朝を平清盛に殺された後は平家側についていた。しかし、その白旗の詮議を受け、清盛への忠儀の証として兄・義朝のしゃれこうべを踏みつけるように指示される。それを拒否して大立ち回りとなる。これはこの芝居の見どころである。立てかけた二枚のふすまの上にもう一枚のふすまを横に渡しその上に乗り、ゆっくり体重を片方にかけつつ倒していくふすま倒し。上段から立って手を横にまっすぐ広げ、そのままうつ伏せに倒れる仏倒しなどがある。義賢は素袍大紋(勧進帳の富樫や忠臣蔵の浅野内匠頭が着ている衣服)の衣装でそれを見せる。仁左衛門さんが孝夫時代の当たり役で、今回は愛之助さんである。兄のしゃれこうべを踏もうとして踏まれるものかという苦渋さをはっきりと押し出した。義賢は家来の折平(亀鶴)の妻小万(壱太郎)に白旗を託すのであるが、小万に義賢を気遣うあとの白旗を託された腹が欲しかった。白旗を離さないためその腕を斬られる人なのであるから。

『上州土産百両首』は、正太郎(猿之助)と牙次郎(巳之助)に泣かされてしまった。幼馴染の二人が大人になって再会し、お互いがスリである事を知る。牙次郎は呑み込みが遅く自分も他の人より劣っていると思って居る。でもスリは全うな仕事ではないとして正太郎にやり直そうと意見する。正太郎も牙次郎の純な気持ちに動かされ金的の与市(男女蔵)に盃を返す。与市は、後戻りできない自分の代わりに正太郎に夢を託す。。それを不満に思って居たのが仲間のみぐるみの三次(亀鶴)である。正太郎と牙次郎は十年後に会うことを約束をして別れるのである。

その十年目が近づいた日、偶然に正太郎が板前となって働く高崎の宿屋に与市と三次が泊り再会する。正太郎はそこで牙次郎のために貯めたお金の話をする。三次は仲間を抜けその宿の娘と祝言の決まった正太郎を許せず金を巻き上げ、過去のことを種にまたゆすりにくるという。正太郎は三次を殺してしまう。正太郎の首には百両の賞金がつく。牙次郎は目明しの子分になっていた。土産のお金のない正太郎は牙次郎に自分を捕らえさせその百両を牙次郎に渡そうと考える。ところがここで行き違いが生じ正太郎は牙次郎が自分を騙したと思い込む。このもつれを溶いていく二人のやりとりが泣かせるのである。お涙ちょうだいのよくある話であると思っていながら、猿之助さんと巳之助さんのコンビがよいのである。巳之助さんが純な気持ちを一生懸命に伝える。腹を立てていた猿之助さんの気持ちも次第に溶解させていき、もうどうする事もできないこの二人の運命に涙する。幸せにさせてたまるかという三次を、当時のはぐれた若者として亀鶴さんが細やかな動きで見せる。

最後、目明しの親分・隼の勘次(門之助)の計らいで正太郎と牙次郎は、新しい出発をするのである。しまった!泣かされて損をしてしまったと思いつつもまた泣かされた。若い歌舞伎役者さんたちはこういう時代、時代の若者たちの心の交流を演じると上手いと思う。やはり形が出来ているのでつまらぬ事に気をとられないですみ、すんなりと物語の中に入れるのである。

 

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