加藤健一事務所 『請願 ~核なき世界~』

加藤健一さんと三田和代さんの二人芝居である。

舞台での三田和代さんは初めてである。こういう感じの役者さんであろうなあと想像してた以上に繊細な役作りをされていた。『請願 ~核なき世界~』。題名から重そうなテーマと思うが、しっかり論争しあっているのに笑いがあるのである。それは、三田さん役の妻・エリザベスがどこにでもいそうな女性でありながら、相手との関係を大切にしながら自分の意見も主張する女性で、切り込みつつもユーモアもあり、夫・エドムンドの返答にグサリと突くところは、見ている者を楽しませてくれる。考えていながら行動するときは、夫をも窮地に追い込むのであるが、きちんと説明するエネルギーには驚くと同時にエリザベスという人物の芯でもあり魅力でもある。口当たりのよい言葉で説明しようとはしない。逃げないのである。自分の考えを模索して自分の頭で考え間違いも起こすが、血の躍動感を感じさせる人である。そう思える、エリザベスを三田さんは造られた。

リビングで老夫婦がお茶をしながらそれぞれ新聞を読んでいる。エドムンドは新聞を読みつつその内容にイライラしている。そんな夫を軽く注意したり、いなしたり、妻のエリザベスはこうやって夫に寄り添って生きてきたのかなと思わせる。ところが、エドムンドは新聞の<全面核兵器反対>の請願広告の署名欄に、「レディー・エリザベス・ミルトン」、妻の名前を発見するのである。エリザベスは遂に話し合う時がきたと、夫と向き合うのである。エドムンドは、元陸軍大将であり、核兵器があるからこそ、その脅威によって平和が保たれているとの信念で英国に忠誠を誓った身である。その妻が何たることか。エリザベスは核兵器を今まで使わなかったが、もしヒットラーのような狂人がまた出現したら、使わないと言えるのか。無ければ使えないのであるから無くしたほうがよいとの考えである。

この核の問題から、お互いの過去のことなどが夫婦の会話として、観客に披露される。その会話が楽しいのである。エドムンドは軍事的作戦で交戦する。エリザベスは歴史的流れから交戦する。エリザベスは子宮がんを患っており、時々、腹部の傷みにお腹に手を当てる。そうすると、エドムンドは心配でエリザベスに駆け寄る。エリザベスは、自分の病気に対しオロオロしないでほしいという。そのことによって自分が優位になったりするのは潔しとしないように受け取れた。いつもと同じ状態で、意見を主張したいのである。この二人を取り巻く人間関係も判ってくる。最初にエドムンドは、戦闘の軍事作戦がいかに難しく神経を使うかを主張したとき、エリザベスは、それよりも人と人のコミュニケーションのほうが、ずうっと難しく神経を使うと主張する。ある意味では戦争か外交かと言っているようである。エリザベスはあなたのやっていることはゲームだとまで言い切る。そして、今度自分は、スピーチに立つと告げる。

ここで上手く補足出来ないのが残念であるが、こうした大きな話が、二人の今までの個人的関係と交差するのである。それゆえ、核兵器反対、賛成の議論のメッセージ芝居と思っては困る。この二人の会話を聴かなければ、二人の夫婦の歩んできた何処にでもあるような凹凸の機微は捉えてもらえない。そしてこの会話を成立させた作者の腕前と役者さんの腕前も納得してもらえないであろう。

エリザベスは自分の力で今解決するとは思っていない。次の世代、いやその次の世代に選択できる余地を残しておきたいのだ。そして、彼女は限られた時間しか残されていないが、このままいつもの通りに過ごしましょうと夫に告げる。意見は違っても、残された日常はこのまま、今まで通り。

二人にとって、考え方が違うからといって、それが何なの。二人で過ごした日常のほうがそんなことで壊れやしない。人間の日々の当たり前の時間、それがどんなに喜ばしいことか。何てことは言っていませんが、書いているうちにそんなふうに思えました。会話の巧みさは日本人は下手です。翻訳劇の面白さの一つは会話劇の面白さでもある。

自分の生き方に疑いのない エドムンドはこの、妻との会話、コミニケーションによって、その頑なさと妻との時間の短さに動揺する。エリザベスはそうなるであろうと、夫の性格をも冷静に捉えていた。だからこそ、これからも変わらぬ今まで通りの生活を望んだのである。

全て把握していたと思った自分の知らない妻を知る驚きと怒りを、加藤さんは頑固一徹から様々な感情に揺すぶられるエドモンドを見せてくれた。それは可笑しくもあり、プライドを保とうとする男の苛立ちでもあった。それでいながら、妻を失いたくない自分でコントロールできない感情も放出させ、エドモンドの今まで人に見せなかったであろう細やかさも伝えた。

チラシに 「三田和代さんと一緒なら、この夫婦の深い愛情のドラマを絶対に成功させる自信がある。 加藤健一 」とあったが、<絶対> という言葉、この場合は許せる。

これは、ラジオドラマにしても好い作品だと思う。

作・ブライアン・クラーク/訳・吉原豊司/演出・髙瀨久男

 

 

加藤健一事務所 『請願 ~核なき世界~』」への1件のフィードバック

  1. <加藤忍さんが、目の前に立っておられた。>

    足の小指を骨折し、遠出を避けていたが、『請願』は観ておきたいと出かけた。今回は、前売りを買っていなかったのが幸いした。
    本多劇場の入口そばの切符売場が閉まっているので、近くで何かのチラシを配っておられる方に慌てて尋ねる。
    「当日券は売っていないのでしょうか。」「こちらで売ってますよ。」
    劇団関係の方たちが入口横で売っていた。切符も買い、次は昼食であるが時間が無いのでパン屋さんに飛び込む。頭の中の予定回線通りに行動している。次は劇場に入り、ロビーでパンにかぶりつき、お手洗いを済ませとつながっている。
    あたふたと劇場に戻り、チラシを受け取りお顔を見たら、「加藤さんですか?」「そうです。」「いつも拝見してます。」と云って、体は思考通りそそくさと劇場の中へ。
    私は急に止れない、状態である。
    私は、加藤忍さんの前を、あたふたと3回も、それも切符売場を尋ねながら気がつかず通り過ごしていた事になる。4回目にして 「えっ!もしかして。」と相成りました。

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