仲代達矢・役者七十周年記念作品『左の腕』

左の腕』は松本清張さんの原作で、柳家小三治さんの朗読をCDできいたことがあります。淡々と語られていき、卯助とおあき親子にきびしい世間の風がすきま風のように忍び寄り、その風は強くなりつつあり立っていられるかどうか危ぶまれる状況となります。卯助は違う風にすっくと立ち向かい、その風によって救われるのです。この後半をどう持っていくかが重要な所でしょう。

小三治さんの朗読も無名塾の『左の腕』も後半まで上手くもっていき情を持って卯助を浮かび上がらせ、左の腕のもの悲しさを表していました。

舞台は江戸時代で、料理屋・松葉屋の裏口の土間と板の間です。舞台装置のこの板の間の板の感じのリアルさがよかったです。よく磨かれているが長い時間が経った板の感触がしっかり伝わる細やかさがありました。

その土間を借りてお昼の弁当を食べている飴細工売りの卯助。疲れの見える年齢です。飴細工の屋台を背負いつつ一日中売り歩くには重労働の年齢になっていました。そんな時、おあきに惚れている板前の銀次が女将さんにおあきをお手伝いとして働けるように紹介してくれます。女将さんは、卯助も一緒に下働きとして雇ってくれます。卯助親子にとってそれは大助かりなことでした。

時代物にはこういうささやかな庶民の幸せに横槍を入れる人物が登場します。それが目明しの稲荷の麻吉です。人の弱みを嗅ぎ付け脅しやたかりをくわだてるあさましい人間です。麻吉は卯吉の布を巻いた左の腕に目をつけるのです。

後半の展開は松本清張さんの推理小説をおもわせ、違う世界から卯助に光を当てるという形をとります。仲代達矢さんはその変化をしっかりと見せてくれます。かつての仲間の熊五郎の語りとその雰囲気も役によくでていて、それを黙って聞く卯助の存在感はそこにいるだけで大きさを感じさせます。

この世の中で生きずらい人を救ってくれるのは、やはり人なんだという当たり前のことを再認識させてくれました。ただそれがもっとも難しい時代となっているのを知らされている今の時代でもあります。

ロビーに展示されていました。

プログラムに下記の記念誌がついてました。仲代さんのお顔の絵は、隆巴さんが描かれていて、よく特徴を捉えられています。

演劇、映画、テレビの仕事を合わせると膨大な量の仕事をされています。それも全力でぶつかられた仕事ばかりです。今もその道は続いているのです。

松本清張原作作品では、テレビで『砂の器』と『霧の旗』に出演されたようで、『砂の器』はレンタルでも観れますので鑑賞する予定です。

1010ギャラリーでは『仲代達矢七十周年記念展』を開催されていたようですが3日~9日までと短く、残念ながら見ることができませんでした。

その分、日光街道の千住を少し散策してきました。

追記: テレビドラマ『砂の器』は田村正和さんとの共演でした。田村正和さんのテレビドラマはあまり見ていないのですが、『告発〜国選弁護人』はレンタルで選び、気に入りました。松本清張さんの作品をもとに、国選弁護人である田村さんが事件の真相を解明していき弁護するのです。どうして国選弁護人をするようになったかという背景もあり演技としてもいじりすぎない好演でした。あの『砂の器』がお二人の共演でどんなことになるのか楽しみがふえました。

初笑い・前進座『一万石の恋』

前進座の『一万石の恋 裏長屋騒動記 愛の仮名手本篇』を観たいと思っていましたがやっと浅草で観劇できました。今年の初芝居で初笑いとなりましたが、いつものことでちょっと余計な口をはさみますので悪しからず。

山田洋次監督と前進座のタッグは二回目です。前回は『裏長屋騒動記 落語「らくだ」「井戸の茶碗」より』でした。

今回の<恋の仮名手本篇>というのが気になります。一幕目から<仮名手本>というのが納得できました。そして一万石という弱小藩の藩主・赤井御門守の恋が裏長屋の騒動記となるわけです。今回は落語の『妾馬(めかうま)』を土台にしているということです。

近年は『八五郎出世』の演目で語られるます。それは最後まで語られないからです。落語を簡単に紹介します。裏長屋に住む孝行な娘・おつるが赤井御門守のお目にとまり男子誕生となります。おつるは赤子を兄に見せたいと対面を殿に願いききとどけられます。兄・八五郎は無事おつると赤子と会うことができます。長屋の生活しか知らない八五郎のお屋敷での破天荒な言動が可笑しさをさそいます。殿様にも気にいられ、士分にとりたてられるのです。

そのあとは、名前も改まった八五郎が殿の可愛がる馬に乗って使いに出かけることになりますが、馬術の知らない彼は急に駆け出した馬のたてがみにしがみつきます。屋敷の者にどちらへ行かれるのかと聞かれ、前にまわって馬に聞いてくれというのですが、ここは蛇足として省略されることが多いのです。

もう一つの聞き所は八五郎の妹・おつるに対する情愛です。母の言葉を伝えつつ幸せな様子のおつるに安心するのです。

今回の芝居ではこの落語設定を大きくひっくり返しました。お鶴には好きな人がいるのです。赤井御門守の恋、一万石の恋はどうなるのでしょうか。そして、裏長屋の人々の活躍はいかにとまあこんな具合に話はすすみます。

これはこれなりに笑いもあり結構なのですが、どうせなら、お鶴の名前をお軽にしてほしかったです。赤井御門守は芝居好きです。おかるの名前にビビビビーっと電流のくるのは間違いなしです。

それと『妾馬』が基本にあるなら、八五郎を途中で妹想いの兄にさらにひっくり返してほしかったです。母親と八五郎はぐうたらで長屋ではよく思われていない親子なのですが、そこが弱いのでどうせなら妹の本心がわかりそれじゃと妹のためにと八五郎が一肌脱ぐという変身ぶりにし、大家さんはじめ長屋の人々も力を貸すという盛り上がりにもっていってもよかったのでは。母親はそのままでいいです。

ひっくり返してまたひっくり返すというのもありではないでしょうか。それくらいやってもできる力量の役者さんたちなので、もったいなくおもえたのです。

<仮名手本>にはやはり前進座ならではの設定だと感心しました。ベンベンも笑えました。ただお小姓さん、襖をしめるときは中腰ではなく座ってからお願いしたいです。きちんとしているからこそさらにベンベンに笑いが増幅すると感じます。

それと長屋の皆さんの木遣りのときには、あちらこちらから調達した印半纏(しるしばんてん)などを着てはいかがでしょうか。酒屋、米屋、大工など。お祝いなので、裏長屋の人々の心の表し方も必要かと思った次第です。

音楽が素敵でした。始まりが江戸っ子の人情味をあらわすような明るさを押し出してくれるようで、途中の打楽器と尺八も場の雰囲気をかもし出してくれてよかったです。

前進座の90周年を寿ぎ、座員の皆さんの修練のほどを鑑賞しつつ笑いながら、ああじゃらこうじゃら突っ込みを入れつつ楽しませてもらった初芝居でした。

突っ込みをいれたからとて壊れるような芝居じゃないですから安心し、自分の好みの変更芝居に役者さんたちの動きを浮かべつつ書いています。

カーテンコールの後の写真タイム。今年も写りの悪いスマホとのお付き合いです。真ん中のご機嫌なかたが一万石志摩波藩の救い主です。そして、お殿様が後ろむきになるとお鶴ちゃんのお母さんがあらわれます。ウソかホントウか確かめたい方は機会がありましたら是非劇場にてお確かめください。

落語『八五郎出世』の生は志の輔さんで聞いています。

2021年『一万石の恋 ―裏長屋騒動記 愛の仮名手本篇』 (zenshinza.com)

前進座・DVD『残り者』・『前進座90年の夕べ「温故創新」』

残り者』は2020年10月に前進座により公演されたものです。原作が朝井まかてさんの『残り者』です。新型コロナの影響で行きはぐれてしまいました。それがDVDとなりました。

「配役・スタッフ」「あらすじ」「かいせつ・みどころ」などは下記から検索してみてください。

2020年前進座錦秋公演『残り者』 (zenshinza.com)

検索すると色々でてきますが、それでいながら余計なことを書きたくなるのは老化のためでしょう。『新TV見仏記』でみうら・いとうベストコンビが、柿木に柿が一つ残っていると何か言葉にしたくなるのは老化だねといっていました。納得です。

上野東照宮のお狸様は大奥で暴れていたことがあるそうで、それならやはり大奥最後の日に残った5人の女性と5人を遭遇させた猫・サト姫様のことを話したくなりました。

原作『残り者』も面白かったのですが、舞台はそれをさらに血の通った立体化をしてくれまして(実際は映像ですが)想像していたよりも好い舞台となっていました。サト姫様が文字の物語よりも大活躍で、猫ゆえに勝手気ままな所があり、それでいて動物の人に対する敏感さもありできちんと登場させたのは大成功でした。サト姫様役の毬谷友子さん(客演)の動きが軽く、お化粧も衣装も個性的で何とも言えない雰囲気をかもし出してくれました。

5人の役柄も一人一人はっきりと印象づけてくれ、大奥の中で手わざで身を立てているそれぞれの立場がしっかり伝わってきました。原作を読んでいなくてもこの女性たちが家とも思っていた大奥から放り出されることになってもしっかり生きて行けたのはこの最後の日に出会えたことが大きな力となっているのがわかります。

サト姫様は、天璋院の飼い猫で大事にされていてその猫が声はすれども見当たらないので探すということから出会いがはじまるわけです。サト姫様は、わがままな猫であるようでいて、新たな世界へ出発するために5人の<残り者>の背中を押していたのです。

大奥の中にいるといっても仕事が違えば、噂では聞いていても実際には出会えないわけです。短時間にそれぞれの立場が違えば見方も違うということが明らかになっていき、天璋院づきと和宮づきでは江戸と京のちがいもあるわけで、5人の中に一人和宮づきの女性が加わったことでこれまた面白さを複雑にしてくれました。

その役どころが上手く演じ分けされていて、場面転換もスムーズに流れ良質の舞台となっていました。

一人一人の役者さんがこの役のために今まで修行されてきたのではとおもってしまうほどストンとはまっていました。こちらもおそまきながら約10か月後にして満足できすっきりしました。

もう一枚のDVDは、2021年4月2日有楽町のよみうりホールで行われた前進座90年の記念イベント『前進座90年の夕べ「温故創新」 ~よみがえる名作名場面とクロストーク~』です。

劇団員の方が撮影したのでしょう。手作り感の一生懸命さが伝わる映像です。

総合司会が劇団員の小林祥子さんと早瀬栄之丞さんです。第一部は「よみがえる名作ゼリフ」で過去に上演された舞台の名作のセリフを現在の劇団員の方々が動きを加えたりして紹介してくれました。これは舞台の一部分が浮かび上がるようで素敵な構成でした。

『母』では、小林セキさんを演じられた主演のいまむらいづみさんがお元気にセリフを語られました。第二部の進行役の葛西聖司さんが「いまむらいづみさんのお元気な姿を拝見しただけでこの場に来た甲斐がありますよね。」と話されて皆さん拍手されていました。

第二部は「クロストーク」でゲスト進行役の葛西聖司さんが写真や映像を見つつ、藤川矢之輔さん、河原崎國太郎さん、浜名実貴さんを交えて、前進座の90年を振り返りました。舞台の観劇は少ないのですが、映画は観ていますのでそのあたりになると思い出話やエピソードなどは興味深く聞かせてもらいました。世代的に記憶にあるのは藤川矢之輔さんでした。事情通の葛西聖司さんのソフトな進行が、90年という前進座の長い道のりを楽しく紹介されていました。

こういう時期でなければDVDとして残されなかったかもしれませんので、そういう意味では、どんな時も記録は古いものから新しいものを生み出していく礎となるのだということを感じさせてもらいました。

10月からは山田洋次監督による90周年の錦秋公演が開催されます。

2021年『一万石の恋 ―裏長屋騒動記 愛の仮名手本篇』 (zenshinza.com)

仏教関係の映画からお坊さんの映画談義の本へ

仏教シネマ お坊さんが読み説く映画の中の生老病死』。釈徹宗さんと秋田光彦さん、お二人の映画談義です。お二人は住職をされていてさらに色々な活動もされているらしく、さらに映画好きというお坊さんなのです。

この映画は般若心経のこういう言葉の意味とつながりますとか話されるのかとおもっていましたら、そんな説教はありませんでした。読んでいるうちに、えっ!この映画も観ていたのですかと、勝手に親しみを覚えてそうそうあの映画のそういうところが面白かったですよねなどとうなずいたり、これ観なくてはとDVDを借りたりしました。

ただお二人にしますと映画は映画館で観るものでDVDなどは邪道なのです。映画を観たことにはならないのです。すいませんがこの邪道がたまらない魅力なのです。ずーっと気にかかる疑問などを映画館で観れるまで待っていられる忍耐性がなくなっています。近頃は配信なども利用しています。映画関係の本を読んでいて観たいと思い、観れるはずもないという映画を配信で巡り合えたりするのです。溝口健二監督の無声映画『瀧の白糸』もそのひとつです。この誘惑には抵抗し難い魅力があります。

邪道をやらなければ、映画関係の本など読まないでしょう。というわけで邪道者が参入させてもらいます。この本に出てくる映画は110本近くあり、そのうち観たのは50本ほどでした。ゆえに参入どころかチラッとまぜっかえして終わりということになります。

秋田光彦さんは映画製作にもたずさわれていて、秋田さんが原案の『カーテンコール』は観ました。佐々部清監督の映画を観ての『カーテンコール』への流れで、その時は原案がどんな方かなど知りませんでした。

映画館で映画と映画の間を繋ぐ幕間芸人(まくあいげいにん)の家族の話しです。かつて下関市の映画館で幕間芸人をしていた人を取材してほしいという依頼からタウン誌の女性記者が取材するのです。その彼女の過去や、映画産業の衰退、知られざる在日コリアン家族の別れと絆が彼女の取材で明らかになっていくのです。女性記者の粘りづよい取材が過去と現在と未来をつなぐことになるのです。

仏教シネマ お坊さんが読み説く映画の中の生老病死』の映画談義の中に出てくる映画に進みます。<お坊さんが読み説く映画の中の生老病死>とありますように、<生老病死>と一つ一つテーマごとに映画作品が登場します。到底全てに触れるわけにはいきませんので「第4章・死ぬ」で出てきた映画について少し。

死体がテーマの映画について言及があります。『スタンド・バイ・ミー』がそうです。少年たちは死体を探しにいきます。テーマ曲がたまりません。ヒッチコックの『ハリーの災難』は、死体によって生きている人間が翻弄されます。遺体は出てこないのですが誰が殺したのかという『8人の女たち』もオシャレで面白い映画でした。

日本映画では、『おくりびと』があります。アメリカでは、遺体に対し「日本人は、こんなに敬意を払うのか」と驚嘆されたのだそうです。私などは遺体を扱う人の仕事の大変さのほうをみていましたが、そういう見方もできるのだと気づかされました。

フラットライナーズ』は、医学生の一人ネルソンが人為的に死を経験して蘇生するという実験をするため4人の仲間(レイチェル、ダヴィッド、ジョー、ランディ)を集めます。臨死体験の実験なのです。かつて映画好きの知人から、若い頃のスターたちが出ているとの紹介で観たのです。5人の仲間の俳優は、キーファー・サザーランド、ジュリア・ロバーツ、ケヴィン・ベーコン、ウィリアム・ボールドウィン、オリヴァー・プラットです。

ネルソンは無事蘇生します。ところがそれから彼は少年に襲われるようになります。それは子供の頃いじめて亡くなった少年だったのです。そのことをネルソンは仲間に言わなかったので、ジョー、ダヴィッド、レイチェルと実験はつづきます。ダヴィッドは自分が過去の罪をよみがえらせて持ち帰ったことに気づき、その相手に謝り許しを得ます。

ネルソンは自分が死んで死後の世界でその子に謝るしかないと一人で死を選びます。それを察した仲間はネルソンを蘇生させようとします。ダヴィッドは、神の領域を犯した自分たちを許して下さいと祈ります。ネルソンは少年の許しを得て蘇生します。あきらめかけていた仲間たちは安堵します。この映画を観なおし死後の世界は神の領域というのが印象的なセリフでした。

お二人のこの映画に対する考え方が、臨死体験といっても深層心理のフタが開くだけで別に死をのぞいたわけでもなんでもないという描き方とされています。さらに、まじめに罪と向き合って告白することによって赦されるという典型的なキリスト教文化の図式とされます。

最初に観た時は、サイコ映画のようにただドキドキして観ていて、今回はダヴィッドが救いの道を見つけたのかと流れが捉えられたので、お二人の観方にも素直に納得できました。

一番興味深く納得できるというかそうすれば落ち着くと思わされたのが、釈徹宗さんが今思いつきましたと言われたことです。小津安二郎の超ローアングルは、死者のまなざしじゃないですかという考えです。『東京物語』を例にとられているのですが、私が気になっていたのは誰もいなくなった家の廊下などからの長い静止の映像です。なんでこんなに長く映しているのかと思うのです。

飛躍しすぎますが、いつかは誰もいなくなるという死者のまなざしだとすればあのくらいの長さがあっても当然と思えます。上手く言えませんが淋しさとかも静かに超えて無心になっていく時間のようにも思えてきました。何かを語りたいという死者のまなざしが静かに引いて行く何とも言えない時間空間の感覚。

もう少し時間を置いてから小津安二郎監督の映画は観なおしてみます。全然的外れでしたということにもなりかねませんが。

というわけで、お二人の映画談義からいただいた自分勝手な搾取のほんの一部分だけの紹介でした。

邪道でも半分しか観ていませんからね。これだけの、いえもっと観られているのでしょうが、映画館で観られていたというのはどういう時間の使い方をされておられたのでしょうか。摩訶不思議です。『人生、ここにあり!』のやればできるの精神でしょうか。

追記: 登場人物があの世からこの世へ姿を現すのが多いのが今月の新橋演舞場の『おあきと春団治~お姉ちゃんにまかしとき~』です。伝説的になっている春団治をバックアップしていたのが姉のおあきであったという視点です。そのお姉ちゃんが春団治の娘にお父ちゃんのお見舞いに行ってあげてと頼みます。藤山直美さん、これといった演技をしているようには見えないのです。それでいながらじ~んと胸にきます。なんやろ、これ死人技(しびとわざ)? 芸の極み?

ひとこと・朝井まかて『残り者』

朝井まかてさんの小説『残り者』を前進座が舞台にしたのですが観ることができませんでした。残念。というわけで原作を読みました。面白い。朝井まかてさんは軽くいくように見せて知らない世界を展開してくれます。

残り者』も江戸幕府が江戸城明け渡しの江戸城の前日からその日までを、大奥に勤める女性達の考え方仕事ぶりなどを見せてもらえます。そして外見の姿によってその階級制もわかるようになっています。さらに天璋院(篤姫)と静寛院宮(和宮)では武家と公家の違いがあり、そんなことも交えて、天璋院が可愛がっていた猫のサト姫が五人の江戸城に残っていた者を会わせるのです。仕事の部署の違う者との出会い。

是非再演があり観劇する日を願っています。

前進座の公式サイトを紹介しておきます。劇団前進座 公式サイト (zenshinza.com) 前進座チャンネルの松涛喜八郎さんのーふかぼり芝居講座シーズン3ー「おうち散歩 四谷漫談 エピソード1~4」は戸板のお岩さんの川の旅が紹介されていて紹介地図から鶴屋南北さんの頭の中の地図が想像できました。『残り者』はーふかぼり芝居講座シーズン4-でおたのしみを。

朝井まかてさんの読者といたしましては、森鷗外さんの末っ子の類さんのお話『』の世界に侵入いたします。ソワソワ、ワクワク。心落ち着けて。

映画『破局』『俺たちは天使じゃない』『闇に響く声』

ヘミングウェイの『持つと持たぬと』を映画化した『脱出』を観て、リメイク版『破局』(1950年)を知る。この監督・マイケル・カーティズが映画『カサブランカ』(1942年)の監督であった。さらに、ボギーの『俺たちは天使じゃない』(1955年)とエルヴィスの『闇に響く声』(1958年)も監督していたのである。

無名塾の公演『おれたちは天使じゃない』を観た時、ボギーの映画を観たいとおもっていたが意外なところで出現してくれた。エルヴィスの映画まで監督していたとはなんというタイミングのよさか。

映画『破局』は『脱出』のボギーとローレン・バコールのコンビを観た後でもあり違う違うと否定してしまっていた。気をとりなおして再度見直す。。ハリーは家族がありどんどんまさに破局に向かうのである。海が好きなハリーは漁船を買い独立するが生活も苦しく、奥さんがやりくりしている。子供は二人。家族を大事にしているが受ける仕事が上手く行かずお金が入らない。

ハリーの釣り客はメキシコに着くと連れの女を残して帰ってしまう。女はハリーを気に入り、ハリーは妻帯者だと拒否する。次に入った仕事は中国人の密航の手だすけ。助手のウェズリーは黒人であるが常に冷静でハリーを止めるが耳を貸さない。密航の仕事でハリーは依頼人と争って殺してしまう。次の仕事は競馬場の売り上げを奪った連中を逃がす手助け。

思いもかけずウェズリーが連中に殺されてしまう。ウェズリーの死により、船中でハリーは4対1で強盗を殺し自分も負傷する。救助されハリーは腕を切り落とすことに決まるが命は助かることになり妻・ルーシーと子供たちは安心する。ただそこには父・ウェズリーを探す息子がいる。誰にも声をかけられず「一件落着だ。」と立ち去る人々のあとにひとり取り残される。すっきりしない映画である。ハリーに振り回された感じがのこる。

あとは原作を読むことか。

映画『カサブランカ』のボギーと監督。ボギーの『脱出』をリメイクした監督。喜劇『俺たちは天使じゃない』でのボギーと監督。なかなか面白い関係である。ただボギーはいつものボギーで喜劇性を強調する演技ではない。そのままを上手く喜劇に使っている。無名塾での『おれたちは天使じゃない』はこれだったのかとたのしんで観れた。仲代達矢さんの方がボギーより陽気に演じられていた。

監獄から脱出した囚人三人はお世話になった雑貨屋の一家に強欲な従兄の遺産相続に成功。世の中を生きていくのは大変と監獄にもどることにする。三人の頭上には天使の輪が。

無名塾の感想はこちら。→ https://www.suocean.com/wordpress/2016/03/10

映画『闇に響く声』。エルヴィスはのTV映画『ELVIS エルヴィス』と1956年をドキュメンタリーとしてまとめた『エルヴィス・プレスリー/エルヴィス’56』のDVDをみるとかなりエルヴィスのことがわかる。

エルヴィスは、1956年4月にスクリーン・テストを受けている。その結果パラマウント映画会社と7年間の契約を結ぶ。「夢がかなった。映画のなかで歌を歌うかの質問には今のところノーが答えだ」 エルヴィスは映画の中では歌を歌いたくなかった。それに反対したのがマネジャーのトム・パーカー大佐である。トム・パーカーは軍人ではないが大佐と呼ばせていた。

スクリーン・テストのとき演じたのがバートラン・カスター主演の『雨を降らす男』の一場面である。その時演じた役をもらいエルヴィスは出たかったが大佐が反対する。大佐の方向は、エルヴィスが主演の歌う映画であった。エルヴィスの映画を全て観ているわけではないが映画『闇に響く声』は、明るくて歌があって楽しいエルヴィス映画のイメージからはずれているのでは。

父は職につけず貧乏で、エルヴィスは働きつつ高校に通っているが落第がつづく。姉も働いて家計をささえている。ある女性を助けたことから、歌のうまさが認められナイトクラブで歌うことになる。良心的な経営者で年が離れているが彼と姉は恋仲になる。エルヴィスは人気がでて、女のパトロンでもある違うクラブの経営者から誘いをうける。当然断るが、抜き差しならない状態にさせられ契約せざるおえなくなる。

若者の荒れた屈折さなどは、ジェームス・ディ―ンを崇拝していたエルヴィスにとってはやりがいがあったのではないだろうか。監督もそれを意識しているようにおもうのは深読みしすぎか。クラブの歌手というのも自然な成り行きにさせていて、映画の流れに歌は邪魔せずむしろ聴かせてくれる。

1956年末、映画界は二つの作品が大ヒットとなった。一つはジェームス・ディ―ンの『ジャイアンツ』もう一つがエルヴィス・プレスリーの『やさしく愛して』である。この時点からエルヴィスの映画は方向性が決まったようである。

面白い情報をえた。1956年にエルヴィスはラスベガスでショーに出演している。ところが当時ラスベガスは年配者が多く、不評であった。そのため14年間ラスベガスでの出演はなかった。

若者にはうけ、大人たちからは非難ごうごうのエルヴィス。その頃流行っていたのは「ケセラセラ」のような曲。これで納得である。

追記: エルヴィスのドキュメンタリー映画『THIS IS ELVIS 没後30周年メモリアル・エディション』は生涯を描いていて、没後30年ということでプライベート映像も加えられている。亡くなる6週間前のステージでのフランク・シナトラの「マイ・ウエイ」が声はしっかりしているだけになんとも切ない。

ひとこと・東京芸術劇場公演

東京芸術劇場のシアターイーストで野田秀樹さんの作・演出で『赤鬼』が、シアターウエストで文化座の『フライ、ダディ、フライ』が上演されていたのですね。16日まで。無事に千穐楽をむかえられますように。また何かがあっても、その原因を共有することが、これからの演劇上演の力となります。

↓ ジャンル検索を 〇演劇・ダンス にすると見やすいです。

https://www.geigeki.jp/event_calendar/

劇団民藝『新 正午浅草』

 正午浅草 荷風小伝』(作・演出・吉永仁郎/演出補・中島裕一郎)。永井荷風生誕140年、没後60年。こちらは新宿紀伊國屋サザンシアターからの発信である。 

フライヤーによると、千葉県市川市八幡の荷風(77歳)の住まいに、かつての愛妾お歌が訪ねて来て、思い出話から『濹東綺譚』に出てくる娼婦お雪の話しへとつながるようである。荷風さんは多くの女性と関係があったが、劇中で登場するのは、お歌とお雪である。

劇から少し離れて新藤兼人監督の著書「『断腸亭日乗』を読む」に触れる。新藤兼人監督は、映画『濹東綺譚』を撮った後で、「岩波市民セミナー」で講義をされ、それが本となった。その中に「荷風の女たち」として関根うたさんのことが書かれてある。日記の中では時間的に十三人目の女性ということになるらしい。これは女性関係だけをピックアップしてのことである。それだけの日記でないことは自明のことではあるが。

この日記の中ではうたさんのことが一番多く書かれていて、新藤兼人監督も、うたさんのことを多く語られている。そして、荷風が一番心を通わした女は、おうただろうとしている。荷風と別れたおうたは20年後石川県の和倉温泉で働いていて年賀状を出す(昭和31年)。そして市川まで荷風に会いに来る(昭和31年)。最後に会ったのが昭和32年3月6日である。<晴れ。関根お歌来話。午後浅草食事。>この頃には「正午浅草」「正午大黒屋」とか書くだけの気力しかなかったようで、劇の題名『新 正午浅草』も、晩年の老いた荷風さんとの時間を通してその最後を観客は看取るというかたちになる。

「正午浅草。」はまだ、体力的に浅草まで行けたのである。「正午大黒屋。」となると、浅草までは行けなくて八幡の「大黒家」での外食なのである。新藤兼人監督は、浅草の尾張屋の本店に取材にいっている。その時おかみさんがお嫁に来た頃の出来事を話されている。それは、カメラをもった若い人が店の中まで入って来て荷風さんの写真を撮るので、それとなく邪魔をするようにしたと。その時若いおかみさんは、その老人が永井荷風さんだと知ったのである。

「下町芸能大学」で、松倉久幸さんが、尾張屋のおかみさんを含めて浅草で荷風先生を知っておられるのは三人だけなったと言われていたのを思い出す。

人間これだけ老いて来れば誰かに頼ろうとする気持ちが湧いてくると思うのであるが、お掃除などをしてくれる人は雇うが、永井荷風さんは最後まで自分で食事を作るか外食をして一人を通すのである。そこが凄いというか、老人特有の頑固さであろうか。結婚は二度しているし、お歌さんとも一緒にくらしている。しかし、一緒に住めば女のほうに我がでて嫌な思いをすることを知っていて、そのことを極力嫌うのである。それを我慢できない自分をも知っているともいえる。浅草の踊子さんのところへ行くわけであるから、女性が好きである。ところが自分の最後をささえてくれる女性という感覚はないのである。

そんなことを、演劇を観ていても再度感じてしまった。ある面では潔い人でもある。最後まで荷風さんだけの世界観を貫き通したのであるから。老人の孤独の象徴のようにも思われがちであるが、荷風さんの場合はそうとだけは思えないのである。

好きなものを食べて誰の手もかけずに亡くなられる。日記も事実が書かれているとは限らない。小説家の場合、そこには文筆家としての仕掛けもあるかもしれない。ただ、新藤兼人監督が『断腸亭日乗』を読み始めたのが、昭和20年3月9日の空襲で偏奇館が焼ける箇所からで、その書き方が見事なシナリオをみるようで引きつけられている。

シナリオというのは、俳優やスタッフに内容を正確に伝えるためにかくので、余分なことを書いたり、美文の形容を使う必要がない。荷風さんの空襲の様子はまさしく客観描写であり、事実をその目で見た人でないと書けない記述だとしている。そのことが、監督が七巻もある『断腸亭日乗』を読めたきっかけでもあったとしている。

原作の『濹東綺譚』や「『断腸亭日乗』を読む」などを思い浮かべつつ演劇の方を鑑賞する。お歌さんは、芝居の流れから脚色された感があり、お雪さんと比べるとお気の毒のような気もする。お歌さんにお雪さんはどんな人だったのと聞かれ荷風さんは、お雪さんとの想いでの中に入る。

夢を見ると父親が現れ、父親の考え方や、荷風さんを自分の思うようにしようと父親なりの助力したことが明らかになるが、それに荷風さんが逆らい、自分を押し通したこともわかる。

生前意見をよく聞いた神代帚葉(こうじろそうよう)翁らしき人も登場し、荷風さんがきらっていた菊池寛さんも短時間で上手く登場させる。そして、写真を撮り荷風さんを困らせた青年も登場させ、荷風さんに聴きずらいことも尋ねさせている。

戦時、行く先々で四回も羅災し、やっと市川市に落ち着き、今その終の棲家で最期を向かえようとしている荷風さんを、写真でみる荷風さんとよく似た雰囲気で、水谷貞雄さんが登場する。体力的に書くことが少なくなった日記の代わりに、舞台上で登場人物たちとの会話で語り、荷風さんの生き方の筋の通し方を示めされた。老いて最後の死という大仕事をいかに当たり前の事としてむかえるかの心構えをそれとなく見せてくれてもいる。

永井荷風(水谷貞雄)、永井久一郎(伊藤孝雄)、若いカメラマン(みやざこ夏穂)、お歌(白石珠江)、お雪(飯野遠)、松田史朗、佐々木研、梶野稔、大中耀洋、田畑ゆり、高木理加、長木彩

紀伊國屋サザンシアターTAKASHIMAYA(新宿) 4月28日(日)まで

劇団民藝『正造の石』

  • 正造の石』の「正造」とは、栃木県の足尾銅山から流れる鉱毒の被害を訴えった田中正造さんのことである。明治末の頃である。田中正造から渡良瀬川の石をもらったのが26歳の女性・新田サチである。サチの家は谷中村の農家である。鉱毒のために母は死に、父と兄と三人で農業に従事し頑張っているが土地は鉱毒のためひどい状態である。兄は田中正造の考えを信じている人であった。サチは谷中村を離れ東京の福田英子のところに住み込みの家事手伝いとして上京する。

 

  • 福田英子は女性活動家で仲間たちと女性新聞世界婦人を発刊する。ところがサチは文字が読めないのである。福田英子は文字を教えるというが、サチはとんでもないという。サチにとって字が読めないことは今まで生きる上で困ったことではなく、それがあたりまえのことであった。ただ、石川啄木の歌を読んでもらい歌というものが自分の心に何かを伝えてくれるものなのだということを知る。歌だけは文字で読みたいとおもう。

 

  • その啄木にサチは出会うのである。サチはもう一度啄木に会いたいと思い探して訪ねたところは、浅草の十二階下(凌雲閣)の裏の私娼街であった。啄木は自分はダメな奴なんだという。ただサチには、福田英子たちの話しより、貧窮にあえぐダメな啄木の作った歌のほうが感情的にわかり伝わるものがあったのである。

 

  • サチには、福田英子に内緒で警察に福田家の様子を知らせる役目があった。兄のためだからといわれサチは引き受けさせられる。サチは警察がいう社会主義者は恐ろしい人間なんだということが信じられなかった。だからといって、福田英子たちの話しの内容はサチにとって別世界の事に思えよくわからない。しかし、福田家に集まる人々が警察につかまりひどい目にあっていることを知ると、自分は福田英子にひどいことをしている人間だと思い始める。

 

  • サチは、ひとつひとつ自分で感じることで自分の糧としていくのである。兄は苦しむ農民の立場を捨てそれを押さえる側に回ってしまった。サチは分からなくなるばかりで谷中村に帰り田中正造のそばで働きたいというが、正造に自分で考えて自分のやりたいことを見つけろといわれる。その時浮かんだのが、福田英子の母が入院している看護婦さんのことであった。親もなく独力で看護婦さんになった人であった。サチは、初めて真剣に文字を習おうと決心するのである。

 

  • サチは人の裏を見てもへこたれない。自分も汚いことをしてきたからである。ただそのことが負い目となって負けそうになったこともある。正造の石は重く、邪魔でもあった。それでも捨てられなかった。今、その石を投げるつけられる自分がいた。色々なことを知るうちにその石はもらった時よりも重くなっていたのかもしれない。自分を戒めてくれていたのかもしれない。その石をどこに投げつけるべきか、そして自分はどう進むべきかを教えてくれ、手放しても大丈夫な自分がみえたのである。

 

  • 芝居では役者さんたちは、客席の通路を使った。通路を道などとしてそこを役者さんが歩いて観客を喜ばせるという手法もあるが、今回の舞台では必要不可欠という感じで、舞台上の出入りだけでは表現できないその時代の人々のエネルギーを発散していた。明治政府の富国挙兵・殖産興業政策は時には国民を置き去りにし、時には切り捨てて突っ走っていた。その中でも足尾銅山の公害問題は、田中正造さんという人を得て大きく注目された。その運動の中で自分の生活体験を芯にして自分の進むべき道を切り開いた若き女性を主人公にしている。

 

  • 足尾銅山事件については多少詳しく知ったのは、田中正造さんの生家を訪れた時であった。そこの展示資料で、国会議員をやめ足尾銅山の鉱毒問題を明治天皇に直訴したり、死ぬまで公害に苦しむ人々や立ち退き問題と闘った人であることを知ったのである。よくここまで自分の信念を貫けるものだとその不屈の精神にただ驚嘆するばかりであった。

 

  • その前に渡良瀬渓谷を電車で眺めつつ足尾銅山跡を見学していて、ここで働いていた人々の大変さを想ったが公害に関しては触れていなかったような気がする。観光気分でいたが、その後、渡良瀬川が鉱毒を運んで農家を苦しめたのを知る。自然は警告したのであろうが、当時の富国挙兵・殖産興業政策はその警告をも無視したのである。

 

  • 田中正造は、足尾銅山を閉山にしなければ公害はなくならないし農民の暮らしはもとにもどらないと考えている。福田英子たちは、足尾銅山の労働者の待遇改善を主張している。閉山まで考えるとそこで働く人の場所がなくなる。田中正造にしてみれば、閉山をしてそのあとの労働者の働く場所を考えてやり、公害の被害者の補償をも考えるべきであるという考えで、先ず閉山ありきであった。

 

  • 芝居の中で、警官がこんななまぬるいことをしていないで田中正造をしまつしたらどうですかと上司にいうが、殉教者になってもらっては困るからと答えている。調べたところ田中正造さんの遺骨は6か所の墓所に分骨されている。それだけ広い地域の多くの人々の支えとなったのである。

 

  • 正造の石』に石川啄木が出てくる。田中正造の直訴を知って盛岡中学生の啄木は「夕月に葦は枯れたり血にまどふ民の叫びのなど悲しきや」と歌っており、足尾銅山鉱害被害者のために義援金を募っているのである。15歳の時である。この人は社会に対しても非常に早熟であった。その問題点に神経がぴりぴりと反応している。

 

  • サチが訪ねた浅草の十二階下であるが「十二階下の層窟」と言われた場所で北原白秋も啄木にここに連れられてきている。(『白秋望景』川本三郎著) 芝居を観ていて石川啄木と十二階下の設定にはよく調べておられると思った。啄木とサチの結び付け方も効果的であった。読み書きのできなかったサチは、啄木をも越えて生活者としての自立に立ち向かっていくのである。

 

  • 新田サチ役の森田咲子さんは劇団において大抜擢であったようだが、田中正造が伊藤孝雄さん、福田英子が樫山文枝さん、英子の母が仙北谷和子さんとベテランに囲まれてサチを演じきる。時には自分にはよくわからい、時にはそれは自分にもわかる、どうしてそうなってしまうのか、おかしいではないか、自分はどうすればよいかなど、その場その場で考え一歩一歩探しながら歩いて行く。啄木の大中耀洋さんは自分にはわかっているが貧しさゆえにという家族をかかえる若き苦悩がでていた。

 

  • その他、景山楳子さん、石川三四郎さん、堺為子さんなど実在した人物がでてくるが、福田英子さんの活動を把握していないので芝居の中だけでの人物像となった。『民藝の仲間』の中で、女性史研究者の折井美耶子さんが書かれている。「戦後1945年8月、市川(房江)らが政府に婦人参政権の要請を行い、幣原(しではら)内閣の初閣議で決定した。その翌日にGHQから婦選を含む5大改革指令がでたのであって、女性の参政権は決してマッカーサーからのプレゼントではない。」一日違いとは !

 

  • 群馬県館林の『田山花袋記念文学館』と『向井千秋記念こども科学館』に行ったことがあるが、『田中正造記念館』はその頃はまだ開館されてなかった思う。足尾銅山は栃木県で鉱毒は栃木県と群馬県にまたがっていたわけでそれぞれの県の思惑もあり、抗議運動も大変なことであったろう。

 

  • 作・池端俊策、河本瑞貴/演出・丹野郁弓/出演・森田咲子、樫山文枝、神敏将、大野裕生、山梨光國、本廣真吾、近藤一輝、保坂剛大、望月ゆかり、境賢一、吉田正朗、大中輝洋、船坂博子、梶野稔、金井由妃、山本哲也、仙北谷和子、伊藤孝雄

 

新派・松竹新喜劇競演『華の太夫道中』『おばあちゃんの子守歌』

  • 新派130年と松竹新喜劇70年を合わせると200年ということでの記念公演とも言える。それぞれの良いところがつながったり引っ張り合ったりして面白い舞台となった。『華の太夫(こったい)道中』は、北條秀司さんの作品『太夫(こったい)さん』である。どうして芝居名を変えたのかと思ったら太夫の道中を豪華にという思惑からのようであるが変えてほしくなかったです。京都の島原では「太夫」のことを「こったい」と呼ぶのだそうで、新派の『太夫さん』で知ったのである。けったいな呼び方やなあと思ったものであるが、そのいわれについては島原には島原の心意気があるようである。

 

  • 妓楼の女将おえいを花柳章太郎さん、新しい太夫となるきみ子を京塚昌子さんでの古い映像を観た事がある。白黒映像であり妓楼の台所でのそこに住む人々の営みが話の中心で、薄暗く乗り気ではなかったが観ているうちに引きつけられていた。最後はその暗さにほのかな灯りが射すと言った感じで終わった。やはり花柳章太郎さんはいつのまにかおえいの人物像を観客に残し、テレビドラマでしか知らなかった京塚昌子さんの舞台人としての演技力も新鮮であった。

 

  • 映画『太夫(こったい)さんより 女体は哀しく』は、おえいが田中絹代さんで、喜美代が淡路恵子さんである。映画は、おえいに要求書えを提出する太夫役が乙羽信子さんで、この役にも色を濃くしていて、人間関係を広げ映画ならではの外の世界も映し出し、そこからこの仕事に従事した女の哀しさを膨らませている。

 

  • 三越劇場でおえいが水谷八重子さん、やえ子が波乃久里子さんで観た。この時が新派の『太夫さん』の全体像が明らかとなったわけでなるほどと堪能させてもらった。今回は、やえ子役が藤原紀香さんであどけなさは好演であるが、あまりにも現代的美人ということでちょっと夢物語的であった。そこを波乃久里子さんがカバーされ新派の味を壊さなかったのは見事です。それと、三越劇場の舞台の狭さに対し、新橋演舞場は広いので、島原の古い妓楼の広さが出ており、島原の角屋を見学していたのでその辺りも上手な舞台美術と思えた。

 

  • 新派と松竹新喜劇の競演で何が良かったかというと、おえいと善助の二人の場面である。おえいにはかつて恋仲だった善助という島原での古株がいる。今は島原を知る共に歩んできた同士のような存在で、それでいて気の置けないたわごとの言える中である。そして今では二人で時には琵琶湖あたりに小旅行などにも出かけている。おえいはしみじみとその旅行が唯一の楽しみだと語る。善助は曾我廼家文童さんで松竹喜劇の軽いひょうきんな喜劇性が場をなごませ、おえいの聞かせどころを受けていい場面となった。

 

  • おえいは自分で好んでつとめに出たわけでは無く、好まざるとに関わらず次々と旦那を持たされ気がつけば妓楼の女将である。時代と共に自分なりに妓楼の女性達の事を考えてきたと思っていたが、太夫たちは権利を主張し始め、自分はいったい何だったのであろうかとしんみりと善助に語るのである。仲を裂かれた二人だが、今では時間が運んで来てくれたご褒美のような間柄である。おえいは華やかに見える花街の薄暗い大きな台所のような場所で這いずり回ってきたのである。この芝居の全体を分かる観客ならこの二人の会話の部分だけ『太夫さんより』として取り出して上演してもらっても良いくらいであった。

 

  • ここがあるから、きよ子に肩入れして自分の生き方が洗われるような気持になり、そのことが明るい話題へと転換し芝居が生きてくるのである。きよ子は少しやることが人よりおそく自分の想うことが真実でその中で生きているような人である。男にだまされ妓楼を産院と思って連れて来られ、おえいも男にだまされてお金を取られてしまう。そのきみ子が太夫さんとなるのである。おえいに預けられたきよ子は幸せな縁であり、おえいもまたきよ子によって傷つけているのではなく何かを育てているという想いを持つことができ倖せが届くのである。

 

  • 演出・大場正昭/井上惠美子、瀬戸摩純、春本由香、丹羽貞仁 etc

 

  • おばあちゃんの子守歌』は、舘直志(二代目渋谷天外)さんの作『船場の子守歌』を『おばあちゃんの子守歌』としたようである。おばちゃんは水谷八重子さんで、「船場」を意識させてくれた。船場の薬問屋・岩井天神堂では高松から当主のお母さんである節子が出てくるという。節子は隠居して生まれ故郷の高松に引っ込んでいたらしい。ということは、節子は高松から大阪の船場にお嫁に来たのである。どれだけ苦労したことであろうか。

 

  • 岩井天神堂の当主・平太郎と妻・佐代子は大弱りである。節子が会いたいという孫の喜代子は長女であるが、事情があり社員の吉田と駆け落ちのような状態で行方がわからないのである。佐代子は後妻で、喜代子は前妻の子で、次女は自分の子供であるが分け隔てはないようである。もしかすると節子は岩井家の事を考えて高松に引っ込んだのかもしれない。喜劇であるからそういうことは匂わせないがそう勘ぐった方が面白くなり、新派の味も加わるのである。

 

  • 当主・平太郎の渋谷天外さんはあくまでも松竹新喜劇であるが、お母さんが歳だから心配させて具合が悪くなってはというが、次第に自分がしっかり船場でやっていることを母に認めてもらいたいという気持ちもあるように思えてくる。そう思って観てもおかしくないのである。喜代子は名古屋の支店にいっていることにするが、外からの情報は押さえることができない。おばあちゃんが登場してんやわんやである。そんな時、喜代子と吉田の居所が判るのである。

 

  • おばあちゃんはさすが行動が速い。喜代子と吉田の住む駄菓子屋の二階を尋ねる。駄菓子屋の主人が良い人過ぎて笑わせてくれる。喜代子の祖母と知らずに岩井家の人間関係を自分なりに説明し始めるのである。全く自分本位の自由発想の展開である。駄菓子屋の主人である曾我廼家寛太郎さんの一人芝居全開である。そこへ喜代子が帰って来る。おばあちゃんとひ孫との対面でもある。吉田は本家ともめる原因を作り社員を首になったのである。おばあちゃんは喜代子にいう。なんで、本家と実家と吉田の三方の橋渡しをしなかったのかと。これが船場で苦労した節子の言葉であった。

 

  • この台詞を聞いた時、やはり節子は喜代子には自分の生き方を学んでいてくれると思っていたのだあとおもえた。節子が高松へ引っ込んだのも自分が出過ぎることを警戒していたのであろう。当主の父も現れ吉田と喜代子にもどってくれるようにと頼む。おばあちゃんは、駄菓子屋の主人が直しかけの物干し台にひ孫を抱いて隠れていた。自分ではなく息子の平太郎に解決させるのである。泣き笑いの締めであるが、平太郎も当主として大丈夫であるということを母に見せたかったのである。そんなぼんぼんぶりが渋谷天外さんにはあった。それを水谷八重子さんの母は全部わかっていたのである。「おばあちゃん=船場」で笑いの中に船場三代の泣き笑いを見せてくれた。

 

  • 新派の水谷八重子さんが加わることによって松竹新喜劇の笑いの中に違う空気がフワっと加わり船場の香りがした。『華の太夫道中』と同様『おばあちゃんの子守歌』も新派と松竹新喜劇の良い競演となった。

 

  • 補綴・成瀬芳一/演出・米田亘/高田次郎、井上惠美子、曾我廼家八十吉、春本由香、藤山扇治郎 etc