無名塾 『バリモア』

『バリモア』のポスターが、中折れ帽を被った仲代達矢さんの横顔である。素敵な横顔であるが、これは、偉大なる横顔といわれた、ジョン・バリモアを演じている仲代さんである。

ジョン・バリモアについては、『グランド・ホテル』の<男爵>を演じた役者さんで、それでしか彼は見ていない。品のある甘さで、ちょっと甘すぎるなというのが、印象であるが、一世を風靡したであろうことは想像できる。『グランド・ホテル』自体面白い映画である。ただ<男爵>があっけなく死を迎えてしまう。何があろうと、グランド・ホテルは何もなかったように次のお客様を迎えるのである。

『バリモア』は、アルコールに犯されているバリモアが、かつて成功をおさめた『リチャード三世』を演じようとして、台詞をプロンプターの力をかりつつ思い出そうとする。映画だけではなく、古典の舞台役者としても成功しているのである。ところが、出てくるのは、かつての自分と今の自分の違いである。大スターが今はその片鱗もないという、バリモアの実人生をバリモアによって、語られるという形をとっている。悲劇の大スターの話しという事になる。

ところが、悲劇ではあるが、仲代さん演じるバリモアには、メディアがよく取り上げる悲劇性はない。バリモアが自分の言葉で語りたかった彼の人生そのものがある。バリモアは、仲代さんに自分を演じてもらい、アルコールを楽しみつつ拍手喝采であろう。「そこは少し違うが、まあいい演じ方だよ。そうか、そういう風に陽気にやればよかったのかも。モンスターの観客にはそう言ってやれば良かったんだ。よく言ってくれた。酒がよりうまく感じるよ。」仲代さんのバリモアを見つつ、もう一人のバリモアの声が聞こえる。

バリモアの兄と姉のこともでてきて、『グランド・ホテル』に兄が出ているという。どの人か判らなかったので調べたら、病気で余命が少ないサラリーマン、最後の思い出に分不相応のグランド・ホテルに泊まる男である。映画は昨日見直しているので、バリモアが、兄である役者ライオネル・バリモアについての想いが納得できる。芝居好きの観客にとって見逃せない芝居である。

仲代さんは台詞を覚えられるのに相当苦労されたようであるが、芝居での仲代さんのバリモアにはそんな苦労が伝わらない。むしろゆとりがあり、楽しんでおられるようである。役者さんにとって、それはどう思われることか解らないが、モンスター観客にとっては、大変嬉しいことである。

姿を見せないプロンプターとの声だけのやりとりも、実際の舞台稽古のように息がぴったりで、シェークスピアの作品の台詞が、バリモアの人生の一断片として重なり、シェークスピアはやはり、普遍的な台詞をちりばめてたのだなあと思ったりする。もったいぶっているようで、意外とどこにでもある日常を差し示しているのかもしれない。

リチャード三世の衣装で出きたバリモアの表情が、観客がその姿を見たときのどう見たらよいのかわからない目をしているのを映しているようで可笑しかった。

虚像と実像の間のその空間を演じることは、役者にしかわからないことで、それが面白くて続けるのか、苦しくて続けるのか、その回答がないからこそ続けるのか、鶏と卵のような関係とも思われるが、モンスター観客もなぜ芝居をみるのか、出たとこ勝負である。

バリモアさんは、アジアのある国で、自分を演じてくれたある役者の名前は、酔っ払いつつも、プロンプターなしで覚えたことであろう。

作・ウィリアム・ルース/翻訳・演出・丹野郁弓/キャスト・仲代達矢(ジョン・バリモア)、松崎謙二(プロンプター)

劇場/シアタートラム

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