映画 『血と砂』

「シネマヴェーラ渋谷」での、<岡本喜八監督特集>も終了した。映画館に通ったり、レンタルしたりして、集中的に観た。娯楽的でありながらすーっと光を放つ台詞の一言。全体を見て真剣勝負の立場を貫くぶつかり合い。忘れ去られることを承知して英雄として生きない人々。涙と笑いの裏表。心地よいリズム感。

三船敏郎さんは、大スターである。凄い役者さんとは思うが、好きという感覚の俳優さんではなかった。今回、脇役、主役かなり映像でお目にかかった。これは三船さんの底に流れる愛嬌と大きさなのではないかと思ったのが、『血と砂』の曹長役である。

わけありで大戦末期の北支戦線にある部隊に配属となる。ところがこの映画、少年軍楽隊の演奏場面から始まる。それもデキシーの演奏である。その音楽に合わせて楽隊のゲートルを巻き、軍靴の足の動きを映し出す。その足さばきがミュージカル映画かと思わせる出だしである。 その少年軍楽隊の前に三船さんが現れる。馬上の手綱さばきが上手い。曹長は、上官と喧嘩をし問題を起こし、少年軍楽隊が自分の巻き起こす渦に巻き込まないようにしようとするが冷徹な隊長の仲代さんは、この曹長の性格を見抜く。この曹長は自分の部下を見殺しにするような奴ではない。兵としてなんの訓練もしてない少年軍楽隊を曹長の部下として、連絡の取れなくなっている陣地に行かせるのである。

これは、隊長を殴り軍法会議ものの曹長への命令である。上官からの命令は間違っていても従うのが軍隊である。 曹長は若き仕官候補兵の葬送に対し、「海ゆかば」では淋しすぎるからとデキシーの演奏を許したり、少年兵に楽器持参も許可させる。少年軍楽隊の演奏する、「夕焼け小焼け」と「雨降りお月さん」の演奏に、皆、軍楽隊の回りに集まり涙する。思い描くのは、故郷の情景であろうか、残してきた家族のことであろうか、デキシーから童謡への流れは切なさを掻き立てる。

少年兵の短期訓練が号令ではなく音楽リズムを使う。こういう訓練は実際にはあり得なかったであろうが、曹長の心の準備もない少年たちへの恐怖感への配慮である。トランペット、大太鼓と名前ではなく、担当楽器で呼ぶが、戦争という無機質の中に、楽器のパートで繋がっている少年たちの気持ちを大事にし、戦争で命を失う少年たちの虚しさを何んとか奮い立たせるのである。

曹長は、冷徹な隊長も自分が考えていたのとは違う面があるなと苦笑いし、時々見せる曹長の笑顔の三船さんが何んとも魅力的である。こういう上官とともに最後をむかえるということは、岡本監督流の少年兵への鎮魂でもある気がする。そして一緒に行動を共にする、古参兵の佐藤充さん、葬儀屋の伊藤雄之助さん、人殺しはしないと営倉につながれていた天本英世さんの個性的役者さんが、この映画の人間的変化に色を添えているし、三船さんとのからみも良い。そして、対峙する仲代さんなど、岡本監督の上手い役者さんの描きかたである。

岡本監督の映画には、主人公をどこまでも追っていく女性が登場する。ラブシーンを撮るのが苦手だった岡本監督流の、男女の究極の愛としての愛情表現であるらしい。 捕虜となり、フルートで心の交流の出来た中国の少年が逃がしてもらい、終戦と書かれた白い布を掲げて走って来る。しかし、その意味が伝わらず殺されてしまうのも哀しい。

この役は三船さんしかいないと思し、岡本監督の役者三船敏郎さんの魅力を存分に映像化した映画だと思う。この曹長のように、戦争という狂気を招く異常の組織形態のなかで、少年兵たちを自らの身体でその生き方を示した上官もいたことであろう。だからこそ、人は戦争で命を失うという生き方ではない選択肢があっていいはずである。

制作・東宝、三船プロダクション/監督・岡本喜八/原作・伊藤桂一/脚本・佐治乾、岡本喜八/撮影・西垣六郎/音楽・佐藤勝/出演・三船敏郎、伊藤雄之助、佐藤充、天本英世、団令子、仲代達矢、伊吹徹、名古屋章、長谷川弘、大沢健三郎

『座頭市と用心棒』は勝新太郎さんと三船敏郎さんの共演で、ヒットしたらしいが、この三船さんは物足りなかった。三船さんの魅力が燻っていた。

 

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