化政文化の多様性

映画『HOKUSAI』(2021年・橋本一監督)を観ていると本当に化政時代の文化は庶民を歓喜させ多様さの花盛りであったとおもわされます。葛飾北斎さんを映画にすると様々な角度から描くことができ、さらに絵のその到達度と発想の変化球を追うだけでも観客はワクワクしてしまうとおもいます。

読み物、俳諧、川柳、錦絵、人形浄瑠璃、歌舞伎などそうそうたる創作者が輩出しています。そしてそこに観る側の庶民の熱気があったわけです。歌舞伎役者からファッションを取り入れたりもしました。もし当時の江戸の人が今の時代に飛び込んできたら、SMS!実際に観ないでどうするんだい、シャラクセイ!と言ったかもしれません。

映画『HOKUSAI』は、北斎さんが独自の<波>に到達し、80代半ばで弟子である高井鴻山を訪ね小布施に出かけ、祭り屋台に<波>を描くという<波>に力点を置いています。

同時代の人として、柳亭種彦を配置しました。種彦さんは武士であり、出筆に悩みますが最後まで自分の意思を通すということで悲惨な最期をとげます。実際には死因は不明のようです。

種彦さんが気になり『柳亭種彦』(伊狩章・著)を読み始めましたら、歌舞伎の中村仲蔵が斧定九郎のモデルにした人のことがでてきました。種彦さんは小普請組(こぶしんぐみ)に属していました。小普請組は泰平の世であれば、これといった仕事もなくすることがないので問題を起こす人もいたようです。

「小普請組の悪御家人、外村(とむら)大吉が、刃傷・窃盗の罪で斬罪になった話などその適例である。歌舞伎役者の中村仲蔵がこの外村のスタイルを忠臣蔵の定九郎の型にとりいれたことなど余りにも名高い。」とありました。

今月(24日まで)の文楽『義経千本桜』(伏見稲荷の段、道行初音旅、川連法眼館の段)を観て同じ演目でも歌舞伎との相違点から楽しませてもらいましたが、この定九郎も文楽と歌舞伎では全然違います。歌舞伎では「50両」だけの台詞ですが、文楽では定九郎は饒舌です。そして残忍で与一兵衛をなぶり殺しにするという憎くさが増す定九郎です。歌舞伎は役者がどう見せるかの工夫を常に意識することによって、変化してきたのでしょうが、あの文楽の早変わりの動きはいつからだったのでしょうか。

さて化政文化の中に鶴屋南北もいたわけです。この方も次から次へと当たり狂言を書いていきます。

桜姫東文章』はシネマ歌舞伎での印象が強く残りますが、南北さんの発想も奇抜です。ただ仇討ちやお家のためとなると、あの情欲におぼれているとおもわれた桜姫が、仇の血が流れる我が子を殺し、釣鐘権助(つりがねごんすけ)を殺すのですから、さらにその展開には驚きます。

葛飾のお十もお家のためとなれば喜んで桜姫の身代わりとなって女郎屋にいきます。とにかく仇討ちやお家のためならば、女性が身を売ることは美徳なわけです。当時はそうであったのでしょうが、今観ると何か南北さんの皮肉にもとれてきます。

自分から情欲におぼれていながら、最後は艱難困苦のはて目出度くお家再興を果たした桜姫というのが観ていて清き正しき桜姫の復活だと思えて可笑しかったです。桜姫は因縁を自らの手で封印してしまったのですから自立したお姫様ともいえます。

ただこれも役者で見せる演目だなあと改めておもわされます。仁左衛門さんと玉三郎さんという役者を得ての演目ともいえるのです。ただ時間が経てば新たな役者ぶりの演目となって化けることはあるでしょう。

そして仇討ちに違う見方を加えたのが明治、大正の『研辰の討たれ』で、現代によみがえらせたのが、『野田版研辰の討たれ』でしょう。

さて今上演中(23日まで)の南北さんの前進座『杜若艶色紫(かきつばたいろもえどぞめ)ーお六と願哲ー』のほうは、ドロドロとはしていません。亡霊もでてきません。

お六は見世物の蛇遣いの女性で悪婆ものと言われる役どころです。お六といえば、『お染七役』の土手のお六が浮かびます。蛇遣いお六は男勝りで、気の利かない亭主の義弟のためならと一肌ぬぐのです。そのことが回りまわって犠牲となった人のために自らの手で決着をつけるという、言ってみれば格好いい女性でもあるわけです。邪悪な女に見せておいて心根はそうではなかったのだと落ちがつくわけです。

この辺りは『東海道四谷怪談』のお岩さんの亡霊になって恨みを晴らすという設定とは違うところでもあります。こういうところも南北さんの多様な発想の面白いところです。

五世國太郎さんは、悪婆の國太郎と言われた役者さんで、今回は五世國太郎さんの三十三回忌追善公演でもあり、六代目國太郎さんがお六を演じられるのです。筋書によりますと、女形不要論の時期があり、五代目國太郎さんも不遇の時代があったようです。そして万難を排しての悪婆役への到達だったようです。

南北さんですから実はこういうことでしたという人間関係となりますが、途中で口上も入り、聴きやすい口跡で分かりやすく、その後の展開に参考になりました。的確な入れ方でした。

ここから物語に集中でき、國太郎さんの演技も光ってきたように思えます。お六がひるがえす裾の裏の模様が撫子で粋でした。

人間関係は次のようになります。

南北さんにしてはそれほど難解な人間関係ではありませんが釣鐘の苗字も使われています。そのほかにもあるのかもしれません。國太郎さんはお六と八ツ橋との二役で、おとしいれる側とおとしいれられる側の両方を受け持たれるわけです。

劇中では二人の次郎左衛門の名前がやはり重なるように仕組まれていて、南北さんの使う手だなとおもわせてくれます。さて佐野次郎左衛門(芳三郎)と八ツ橋(國太郎)の運命はいかに。このあたりの見どころも当然盛り込まれています。そしてお六(國太郎)と願哲(矢之輔)の関係はその後はどうなるのでしょうか。下手な口上よりも観てのお楽しみ。

南北さん、江戸庶民に親しまれていた場所を登場させます。風景は違っても今でも名前が残っている場所が多々あります。

最期の<日本堤の場>の舞台背景も、当時はこんな感じで見渡せる風景だったのであろうと思いつつ眺めていました。そしてここで立ち回りも入ります。

芝居の会話の中で三河島のお不動さんが出てきまして、今もあるのかなと思いましたら、前進座公式サイトの  劇団前進座 公式サイト (zenshinza.com)  「ふかぼり芝居高座」<ふかぼり番外 南北カンレキ>で現在の荒川区三峰神社の袈裟塚耳無不動であることを教えてくれました。三河島。南千住の隣駅です。いやはや呼ばれていますかね。

三峰神社 袈裟塚(けさづか)の耳無不動/荒川区公式サイト (city.arakawa.tokyo.jp)

山東京伝の黄色本にも書かれたようで、山東京伝さんも化政文化時代のお仲間です。

筋書に杵屋勝彦さんが中村義裕さんと対談していまして、杵屋勝彦さんは昨年「すみだリバーサイドホールギャラリー」で『2021年度第41回 伝統文化ポーラ賞受賞者記念展』での受賞者の方だと気がつきました。前進座と縁の深い方で、今回のお芝居でも邦楽での唄にお名前があります。これから観劇の方は音楽にもご注意ください。

ロビーでは「五世河原崎國太郎展」のコーナーもあります。

化政文化は庶民が参加してワイワイ楽しんで作り上げたもので興味がつきません。それにしても発信者側のそうそうたる方々の人数のなんと多いことでしょうか。

追記: 歌舞伎『ぢいさんばあさん』の原作、森鴎外さんの『ぢいさんばあさん』を読んだところ、引っ越してきた老夫婦の様子を周囲の人々が見て噂話をするような感じで書かれはじめています。甥っ子夫婦も出てきません。老夫婦は朝早くから出かけることがあり、それは亡くなった息子さんのお墓詣りに行くのです。赤坂黒鍬谷(くろくわだに)にある松泉寺です。このお寺赤坂一ツ木から渋谷に移転し今もあるようです。この老夫婦はわけあって37年ぶりに再会しますが、再会したのが文化6年でした。文化文政の化政文化時代に突入したときでした。ただそれだけのことですがインプットされました。

追記2: 志の輔さんの創作落語「 伊能忠敬 物語―大河への道―」が映画化された『大河への道』がいよいよ公開されます。伊能忠敬さんが隠居して自分の好きな道を突き進み歩き続けるのが化政文化の時代です。またお仲間がふえました。

追記3: 『名作歌舞伎全集 第二十二巻』に『杜若艶色染』が載っていまして(土手のお六)となっていました。「蛇遣いの土手のお六」ということになりますか。舞台を観ていたので読んでいてこの人はこうでとか浮かびますが、文字を立体的な動きのある舞台にするということは大変な作業だと改めて思いました。さらにどう役作りをし、それが観客にどう伝わるか。観ている側でよかった。

追記4: 映画『大河への道』(中西健二監督)期待以上でした。立体を平面にする作業。現代と江戸時代の二役のキャラの相違。笑わせて泣かせて。脚本家の加藤先生の執筆に対するこだわりが素敵です。忠敬(ちゅうけい)さんが出てこないのに忠敬さんがそこにいます。将軍に大地図を見せる場面、CGでも目にできてよかった。

映画『湖の琴』からよみがえる旅(1)

映画『湖の琴』(1966年)は水上勉さんの原作ですが、<湖>を<うみ>と読ませるのだそうです。近江の余呉湖が重要な舞台となります。

三味線や琴など邦楽の弦糸を生産している近江の大西に若狭から栂尾さく(佐久間良子)が働きに出ます。次の日、主人の百瀬喜太夫(千秋実)が違う部落に用事があるためさくを伴って賤ヶ岳(しずがだけ)へ登ります。賤ヶ岳は羽柴秀吉と柴田勝家が信長の後継者争いの戦いの場となったところです。映像にもさくの想像としてた兵士が走りまわります。

そして、賤ヶ岳の頂上に到達すると琵琶湖と余呉湖が両方見えるのです。さくが桑の葉をつみに来るためにも桑賤ヶ岳のふもとにある桑畑も教えておきたかったのです。農地を売るということで訪れた部落で、さくは、松宮宇吉(中村 嘉葎雄)と出会います。宇吉は今度喜太夫のところで働くことになったのです。宇吉も若狭の出身でした。宇吉には両親がなく、すでに繭の糸取りもできる仕事熱心な青年でした。

お蚕さんを飼い、繭から糸を取り、糸巻きにとりつけて巻き、独楽よりで糸をより弦糸にするその様子が見ることができるという興味深い映画でもあります。90パーセントの三味線の糸がこの地域で作られていたのです。それも機械でなく手づくりです。

原作によると、初心者のさくがおこなっているのが真綿づくりだということがわかります。出来の悪い死繭を特別に煮たものを桶にあつめておいて、繭をひき破り、マス型の木枠にはめてうすく延ばす仕事です。

三味線糸の生まれる場所を見たいと京で有名な三味線の師匠・桐屋紋左衛門(二代目中村鴈治郎)が西山を訪れます。その前に高月の渡源寺で十一面観音様を見て感動し、西山でさくに出会い観音様と重なってしまいます。紋左衛門はこの娘に三味線を仕込んでみたいと思い立ち、京に呼ぶのです。西山の人々は誉だと喜び、さくも皆の期待に応えようとおもいます。さくが想いを寄せる宇吉は兵役のため入隊していました。

宇吉はもどり、二人は結婚を誓います。師匠は宇吉の存在からさくを誰にも渡したくないと思うようになります。さくはそのしがらみから逃げ出し宇吉のもとにきます。そして結ばれて自殺してしまいます。宇吉は誰にもさくの遺骸をさらしたくないとして糸の箱に詰め余呉湖に沈めることにします。宇吉は一人生きてゆ気力を失い自分も箱に入り、二人は湖深くに沈んでいくのでした。

余呉湖には羽衣伝説もありそのことも映画では重ねられています。西山には古い話が多く残っていて、西山の人々は紋左衛門一行に得々と語ります。

水上勉さんは、この作品は全くのフィクションで、近江の大音と西山へ何度か行っていて自分の生まれた若狭の村とあきれるほど似ていたといいます。桑をとり、糸とりする作業も母や祖母がやっていた座ぐり法で、七輪で繭を煮て枠をとるのも同じであったそうです。

「一日だけ、余呉湖行楽の帰りに、私は高月の渡岸寺に詣でて、十一面観音の艶やかな姿を見た。観音の慈悲の顔と、座ぐり法で糸をとっていた娘さんの顔がかさなった。と、私の脳裡に、不思議の村を舞台にして、亡びゆく三味線糸の行方を、薄幸な男女に託してみたい構想がうかんだ。」

連載中に、映画『五番町夕霧楼』の田坂具隆監督と脚本家の鈴木尚之さんが是非映画にしたいとし、結末を心中とするというメモをおいていきました。水上さんは二人の仕事ぶりに敬意をもっていたので一切を任せたとのことです。

思いもかけず賤ヶ岳の上から余呉湖をながめる風景や、弦糸の手作りの様子が見れて貴重な鑑賞となりました。題字が朝倉摂さんで、衣装デザインが宇野千代さんです。

原作で桐屋紋左衛門は、石山寺、義仲寺、渡岸寺と訪れています。

渡岸寺の十一面観音。絵葉書から。

渡岸寺は奥琵琶の観音像を訪れるツアーに参加し、渡岸寺は電車でも行けるのを知り、いつか再訪したいと考えていました。そして、ほかの地も訪れつつ渡岸寺にたどり着いたのです。その時余呉湖も訪れたのです。かつての旅がよみがえりました。

追記: 国立劇場小劇場での文楽鑑賞。文楽の『義経千本桜』の「伏見稲荷の段、道行初音旅、川連法眼館の段」が観れました。映像では味わえない躍動感。場面場面で人形遣いの方の衣装も変わり、人形と勘十郎さんの早変わりと宙乗りもお見事。ついに生で観ることができ念願かなったりです。咲太夫さんが休演だったのは残念でしたが、太夫さんの声、三味線の音も心地よく堪能できました。

テレビドラマ『砂の器』(1977年)

テレビドラマ『砂の器』(1977年)は簡単に終わるとおもったのですが、脚本が伏線を挿入していて、ラストは長嶋茂雄さんの引退と重なるという思いもよらない展開でした。このドラマが放送された1977年に見た方は、1974年のプロ野球の勝敗の様子が浮かんだかもしれません。野球にそれほど興味の無い者にとっては伏線の濃厚さんに驚かされました。脚本は仲代達矢さんのかけがえのないパートナーであった隆巴さんでした。

第二話と第三話には役者・宮崎恭子さんとしても出演もされていました。早くに役者をやめられていましたので宮崎恭子さんの演技が観られなかったのですが、今回観ることができました。舞台役者さんとしてしっかり基礎を身につけられ演出もされていますので短い出演ですがやはり間の流れの切れがいいです。

昭和49年(1974年)7月10日払暁 大田区蒲田電車区でレール上に遺棄された死体が発見されます。顔は意図的になのかわからないほど壊され残忍なことから怨恨説が考えられました。 

この事件を担当し、捜査本部解散のあともコンビで捜査に当たるのが、西蒲田署の吉村弘(山本亘)と警視庁捜査一課の今西栄太郎(仲代達矢)です。

この今西がプロ野球の巨人ファンで、巨人の勝敗が何よりの関心事で、事件に対する真剣味にかけるのです。単なるそういう人物設定かと思いましたらずーっと野球の勝敗がでてくるのです。時間と共に今西の野球に対する熱心度に変化が出てきます。今西は事件の難解さにのめり込み、次第に謎に熱中していきます。事件が野球と同じ位置になり、事件解決が野球よりも上になっていきます。

面白いのは、事件の経過報告の日にちが知らされていたのが、それよりも野球の途中経過の日にちが知らされるようになります。世の中もう事件のことなど忘れていて、中日と巨人の優勝争いに沸き立っています。みんなが違う方に目が移っているときもコツコツと真実と向き合っている人がいるということの裏返しのようにおもえました。

この事件の手掛かりは、殺された人と犯人とのバーでの会話でした。「かめだは変わりありませんか。」「かめだは相変わらずです。」殺された人がズーズー弁だったということで秋田県の羽後亀田が特定されます。しかし、手掛かりがありません。さらに出雲弁もズーズー弁の仲間だということを知ります。そして見つけられたのが島根県の亀嵩(かめだけ)です。『砂の器』を読んだとき松本清張さんはよくこのからくりを探し当てられたなと感嘆し惹きつけられました。

殺された人は岡山に住む三木謙一とわかります。亀嵩で巡査をしていたことがあったのです。ところが善行の人で人から感謝されても恨まれることはなにもないのです。

今西と吉村が羽後亀田に出張したとき秋田美人とも思われる女性に会っており、その女性が蒲田電車区近くで自殺未遂をし失踪します。その女性の二通の遺書から、劇団と関係があるとして東京の劇団を訪ね歩きます。その女性・成瀬は民衆座という劇団の事務局で働いていましたがやめていました。その民衆座で今西の受け答えをしてくれるのが川口(宮崎恭子)でした。

今西と川口のやり取りは相手の台詞の橋渡しが上手く、重要な発見の場をさらっと位置付けてくれます。まだまだ謎は深まるばかりですからテンポが上手く的確なやりとりでした。

今西と吉村が成瀬を見たとき一緒にいたのが劇団の舞台装置担当の宮田でした。宮田は事故か他殺か亡くなってしまいます。この成瀬と宮田と京都の高校で同窓生だったのが天才音楽家の和賀英良(田村正和)でした。しかし、殺された三木とのつながりがありません。

今西にはつらい過去があり、自分の刑事魂の不注意から息子を交通事故で亡くしています。妻も去り、彼は息子の死という過去を消し去ることができないでいました。

一方、善意に満ちた人を自分の過去を消すために殺してしまうという人間もいました。懐かしいという感情は、過去を消した男にとっては邪魔なだけでした。その人が善人であるかどうかなどは判断材料にもならなかったのです。

今西は殺された三木が善人過ぎて犯人がなぜ殺したのか想像がつかなかったのですが、吉村が恋人との電話の受け答えで明るく「困るねえ今頃、そんなこと覚えてもらっていても。」という言葉から、三木巡査が良かれと思ってした善行の結果がこの事件の原因となりはしないかとおもいいたるのです。

そこから三木巡査が面倒を見た巡礼親子・本浦千代吉・秀夫の本籍地石川県へ行き、さらに三木が伊勢参りから急に東京に出てきた原因をさがしに伊勢にいきます。三木はそこで映画を観ていました。映画を試写してもらい観ますが何も見つけられません。

吉村の恋人がニュース映画のことを話し二人はニュース映画のあることを知ります。捜査のきっかけに日常的な会話が重要な役割を果たしています。三木が見たニュース映画に和賀が写っていたのです。

ニュース映画は「中日ニュース」で<熱戦!中日~巨人>首位争いで、我賀が球場で観戦しているのが写っていたのです。我賀には額の左に傷があり、それがしっかり写っていましたった。三木はこのニュース映画を見て立派になった巡礼の子に会いたくなったのでしょう。

昭和49年(1947年)10月12日、今西は和賀の本籍地大阪にいきます。そこは戦争で焼け野原となり、本籍原簿も焼失し本人の申し立てによって本籍再生が認められていました。和賀英良の父母は大空襲の日に亡くなっていました。老婦人からピアノなどの楽器修繕屋の和賀夫婦には子供がなく、戦争浮浪児が手伝いをしていたということをききます。中日が20年ぶりに優勝した日でした。

和賀英良は大臣の娘と婚約していて、大臣宅で海外に演奏旅行に行くまえのセレモニーとして新作曲「炎」を婚約者と二人でピアノ演奏しています。彼は自分の中にいろんな炎があると語っていました。栄光への炎が一番強かったのかもしれませんが、いつかその炎は、過去を消す炎のほうが大きくなってしまったようです。

和賀が逮捕された日、長嶋茂雄さんの引退がテレビで放送されています。今西は「終わった。終わった。全部終わった。」とつぶやきます。事件は解決しましたが、違う幸せから遠のいてしまったようです。

今西にも伏線がありました。過去のことから、妻の妹ととの心の交流があったのです。それも終わりました。

今西には栄光はありませんでした。ただ、再び事件解決への自分の仕事への想いはつながったことでしょう。終わってみればこういう熱い捜査も変わる時期に来ているのかもしれません。ただ一人の後輩にはその道は伝授されたでしょう。

仲代達矢さんの今西はとにかく歩いて歩いて探し出し確かめるという刑事です。夜行の列車での出張で自費で調べに行ったりもします。そのため少しでも手掛かりがあると野球の勝敗よりも手応えを失くしていた勘をとりもどしのめりこんでいきます。ただ理知的根拠に基づいているともいえます。それと同時に義妹との感情のもつれを細やかな振幅で表現されました。

田村正和さんの和賀は全く炎を見せません。ただ人を操る自信はあるようでそれを悟られないように優雅なたたずまいです。なんの苦労もなく才能に恵まれて格好よく生きてきたという感じを崩しません。逮捕されても少し表情を硬くし静かに後姿を見せ去っていきます。炎の内面は、子供時代の子役さんによって伝えられます。

登場人物として和賀の親友で新進評論家・関川重雄の嫉妬という感情もからんでいます。和賀は関川の嫉妬も冷静に受け止めていました。あらゆる感情を自分の物差しで判断しながら善良さということには気がつけなかったのです。

原作とも、映画とも違う社会現象とオーバーラップさせるという手法を使われた脚本でした。その交差の複雑さを丁寧に計算されて展開させた力量が素晴らしいと思いました。

和賀英良、正しくは本浦秀夫の足跡を簡単にたどります。

石川県の寒村に生まれました。父・千代吉はシナ事変に出征し帰還しますが精神を患い働くこともできません。妻はそれを悲観して秀夫を抱いて飛び降り自殺をします。秀夫は奇跡的に助かり、左おでこに深い傷跡を残します。千代吉は秀夫をかわいがるので、親せきは親子を巡礼として送り出します。

亀嵩で三木巡査は困っている巡礼親子の面倒を見、父親は精神病院にいれ、子供は引き取りますが秀夫は3か月後に失踪します。

大阪で戦争浮浪児として生き抜き、新しい戸籍を作り、進駐軍に出入りのバンドボーイからつてで渡米。才能を開花させ、後ろ盾も手に入れていました。彼はもっと光り輝く上を目指していたのです。

脚本に興味を持ちネタバレになってしまいましたが、第1回から第6回で最終回ですので、もし観ることがあれば違う部分に気を取られて忘れていることでしょう。二回観ましたが結構記憶が飛んでいました。

追記: 舞台『左の腕』のパンフレットでも、松本清張さんの原作ではないのですが清張さんが出演されている映画として『白と黒』(堀川弘通監督)が紹介されていました。橋本忍さんのオリジナルシナリオで手の込んだ展開で奇抜な作品です。弁護士の仲代さんが不倫相手に手をかけてしまうのですが、犯人として別の人が捕まります。弁護士は罪の呵責から真犯人は他にいるのではというので、担当検事である小林桂樹さんが調べ直すのです。仲代さんと小林さんによる、白と黒の目の出どころが見ものです。

追記2: 松本清張さんがチラッと出演するのがNHK土曜ドラマ「松本清張シリーズ」(1970年から1980年代)です。その中の「遠い接近」(脚本・大野靖子、演出・和田勉)は小林桂樹さんが、選ぶ人の感情に左右されて招集されもどってみると家族は広島で亡くなっており招集担当者への復讐を誓います。ここでもサラリーマンシリーズとは違う小林さんの演技がひかりました。仲代さんの映像出演作品には共演者の演技にも目がいきその役者さんの作品を追ったりします。今追うことができる方法があるのが嬉しいです。

追記3: 映画『すばらしき世界』(脚本・監督・西川美和)。<すばらしき映画>でした。長いこと刑務所暮らしをしていた主人公(役所広司)が出所して普通に生活していけるかどうか。観ている者も<怒るな!怒るな!>と祈るような気持ちになりますが、怒らない方が正しいのであろうかと疑問に思わされる映画でもありました。西川美和監督作品の切り込み方は鋭くて深いのですが優しさがあります。

追記4: 『TV見仏記4 西山・高槻篇』を観ていたら、ある仏像の手の美しさを褒めていて、「ピアニストの手だね。『砂の器』系だね。」のみうらじゅんさんの発言には笑ってしまいました。お二人の発想のみなもとの多様性がうらやましいです。

追記5:  みうらじゅんさんの文庫本『清張地獄八景』を書店で横目でみつつ通り過ぎています。引きが強いです。

              

幕末の先人たち(3)

佐久間象山を暗殺した刺客の一人に河上彦斎(かわかみげんさい)がいます。「人斬り彦斎」の異名があり、漫画『るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚』の緋村剣心のモチーフといわれています。映画『るろうに剣心』を観ていますが、河上彦斎とつながると知ってもフィクションとしての想いが強いです。

るろうに剣心』(第1作)、『るろうに剣心 京都大火編』(第2作)、『るろうに剣心 伝説の最期編』(第3作)と観ていますが今回は『るろうに剣心 最終章 The Final 』第4作)、『るろうに剣心 最終章 The Beginning』(第5作)を鑑賞することにしました。第5作の『るろうに剣心 最終章 The Beginning』を先に観てそれから第4作の『るろうに剣心 最終章 The Final 』をという逆の見方をしました。

るろうに剣心 最終章 The Beginning』は剣心の頬の十字の傷のいわれと鳥羽伏見の戦いで新しい時代が来たと剣心が刀を捨てるまでが描かれています。そして『るろうに剣心 最終章 The Final 』では、剣心が暗殺した相手の婚約者までも斬ってしまいその弟が姉の復讐のため剣心の前に現れるということで第5作目を先に観ていたので謎もなくすーっと入っていけました。

剣心は高杉晋作の奇兵隊に参加し腕をかわれて桂小五郎のために「人斬り抜刀斎」として役目を全うし、新しい時代と共に刀を逆刃刀として人斬りをやめたわけです。ところが10年後新時代となっても「人斬り抜刀斎」の名は消えることがなく何かと争いに巻き込まれて闘うことになるのです。

そこからまた第1作から第3作までを見直しました。時間がたつと忘れているものです。一応流れがはっきりしました。

『銀のさじ ーシーボルトのむすめの物語』(武田道子・著)の中で村田蔵六(後の大村益次郎)という人物が出てきてシーボルトの娘・楠本いねと交流しています。大村益次郎は大河ドラマ『花神』の主人公ということで、総集編をDVDで観ました。

村田蔵六は山口県山口市鋳銭司(すぜんじ)に村医者の息子として生まれます。大阪の緒方洪庵の「適塾」で学び塾頭となります。長崎にもいっています。

「適塾」の様子が大河ドラマ『花神』では一応着物に袴姿で、テレビドラマ『幕末青春グラフィティ 福沢諭吉』では塾生は上は襦袢の短い下着のような物を着て下はふんどしといういでたちで若さを誇張しているのかなと思いましたら後者の方が本当のようです。さらに食事も立って汁をかけて食していましたが、これは福沢諭吉が「慶應義塾」でも実践していたようです。

「慶應義塾」というとオシャレなように感じますが、福沢諭吉さんはめったに洋服を着ず着流しの着物ですごしたようです。朝早く散歩に出るときは着物を尻はしおりにしていて下駄。庶民そのものだったそうで、塾生が自然に集まってきて、そんな塾生にはせんべいを配り、塾生はせんべいをかじりつつ話をしました。「おなかがすいたまま運動するのはからだによくない。」ということらしですが、もう一つ時間を惜しめということもあるんじゃないでしょうかね。

花神』の話にもどりますと、大村益次郎は父に戻れと言われ優秀なので惜しまれつつ鋳銭司に帰ります。ところが世の中は外国船によって混乱をきたしはじめ、蘭学者知識が各藩で必要だという考えがでてきます。

蔵六は宇和島藩に蘭学者として仕えることになります。蔵六は兵学にも新しい知識をもっていました。ここでシーボルトの弟子・二宮敬作と親交を深めます。二宮敬作は楠本いねの産科医としての勉学の後押しをしており蔵六はいねを紹介され蘭学の医学の講義などもします。

洋式軍艦の試作などもし、軍艦が動いたと藩主たちを喜ばせます。その後江戸で塾も開きますが、今度は長州藩の桂小五郎(後の木戸孝允)に請われて長州藩につかえます。これからが長州藩の倒幕までの激動の時代をともにするわけです。

長州藩の中も佐幕派と討幕派が綱引き状態で行ったり来たりと目まぐるしいです。血もたくさん流されます。ドラマを観ているうちはなるほどと思うのですが観終わってしばらくすると時間の流れの前後があやふやになってしまっています。劇団で鍛えた役者さんも多数出演していてその役どころにも目がいきます。

村田蔵六は大村益次郎と名前を変え、錦の旗を手にした長州藩から今度は明治新政府の軍事改革者となっていきます。実際の戦いの実践はないのですが頭の中には戦さの勝利への青写真はできています。多くの戦さの勝敗の資料が頭の中にあってそれをフル回転して新たな様式の戦術を加え考え出していくのです。

さらに軍隊の中心は日本の中心の大阪におくべきだと主張しそれを実行に移すべきと自分も西にむかいます。京都方面はまだ危ないから行かない方がよいにと注意されますが、いややはり自分の目で確かめなくてはと京都に宿をとります。この西の固めはその後の西郷隆盛が挙兵した西南戦争を押さえることになります。

京都の京都三条木屋町の宿で刺客に襲われ重傷です。命はとりとめましたが傷口からバイ菌が入り左足を切断する手術を受けます。その助手をしたのが楠本いねさんでした。いねは大村益次郎が亡くなるまで看護しました。

そういう人であったかと大村益次郎さんの一生をみたわけです。

河上彦斎はこの大村益次郎暗殺者の一人をかくまったとされ、そのほかの新政府への暗殺の嫌疑をかけられ斬首されてしまいます。河上彦斎は名の知れた人の暗殺は佐久間象山だけで、それを自慢にしていたとか、後悔してその後は人斬りをしなかったとかいろいろ憶測があります。『るろうに剣心』の緋村剣心のような明るい時代は訪れなかったようです。

佐久間象山の子が河上彦斎を敵として仇討ちのため新選組に入ったのは事実のようです。勝海舟が新選組によろしくということでしょうか、お金を送ったようです。

様々なことが交差していました。

ここまででお世話になった本  「銭屋五兵衛著」(小暮正夫・著)、「渡辺崋山」(土方定一・著)、「福沢諭吉 「自由」を創る」(石橋洋司・著)、「佐久間象山 誇り高きサムライ・テクノクラート」(古川薫・著)、「大塩平八郎 構造改革に玉破した男」(長尾剛・著)

追記: 西郷輝彦さんの舞台は新派120周年記念『鹿鳴館』、藤山直美さんとの『冬のひまわり』、三越劇場での『初蕾』などで鑑賞させてもらいました。角の無い、芝居の中に自然に溶け込まれて調和され光を当てるという役者さんでした。(合掌)

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歌舞伎『花競忠臣顔見勢』関連情報(3)

さて次は、映画、ドラマからの歌舞伎『花競忠臣顔見勢』関連情報とします。

(1)のほうで、歌舞伎『松浦の太鼓』と『土屋主悦』の違いに少し触れましたが、『土屋主悦』のほうは観ていないのです。ただ1937年の長谷川一夫さんが林長二郎時代の古い映画のDVDを観ていたので内容的にはわかっていました。ただそれも、長谷川一夫さんが、土屋主悦と杉野十平治の二役を演じていて今回の舞台とも少し違っています。

元禄快挙余譚 土屋主悦 雪解篇』(犬塚稔監督)

杉野十平治は芸者から吉良家の絵図面を渡されます。十平治はこの図面通りかどうか吉良邸に探索に行き見つかって隣の土屋家に逃げ込みかくまわれます。そしてそこで奉公している妹のお園と会います。

その後、土屋主悦は杉野から手紙をもらい、その手紙と其角への大高源吾の歌から討ち入りがあるということを知るのです。土屋はしどころのない役です。特に、映画のほうは大高源吾が土屋家に報告に来ないのでなおさらです。長谷川一夫さんは二役で義士引き上げでの場面にも登場なのでなんとか納得します。

今回の舞台で、槌谷主悦と大鷹文吾の場面がなければ気の抜けた炭酸水か生ぬるいビールです。槌谷主悦の、「塩谷殿はよい家来を持たれた」のセリフも生きてこないのです。そう考えると二人の対面にはお互いに熱いものが通っているわけです。

さて、兄との別れがかなわなかった赤垣源藏ですが、その映画は動画配信で観れました。

忠臣蔵 赤垣源藏 討入り前夜』(池田富保監督) 

これまた古いです。1938年の映画です。赤垣源藏は坂東妻三郎さんで、酒飲みで兄のところに居候しています。兄嫁は義弟は何もせずお酒を飲んでいるだけなので好きではありません。兄は源藏との碁の勝負で「仇討ち」の言葉をつかい、それとなく暗示をかけますが、源藏は取り合いません。

この場面を舞台では、通行人(猿三郎、喜猿)の会話に上手く差し入れて、源藏と新左衛門に聞かせ奮い立たせるのです。上手い使い方をしたと映画を観ておもいました。映画では源藏は兄の家まで行き、衣文掛(えもんか)けに兄の羽織をかけて持参した徳利の酒を飲み別れの盃とするのです。それを道端で兄嫁を優しくして短時間に描くという手法に変えて表現したわけです。濃縮しました。

由良之助が葉泉院を訪れ、無事門前外で本意を伝えることができたとき寺岡平右衛門の宗之助さんが姿を出します。おそらく由良之助にお供してきていて身を隠して迎えに出たわけです。平右衛門は足軽なので由良之助の世話係としてそばにいても不審には思われません。

映画では寺岡吉右衛門として登場し、討入りに参加していながら身分が低いということなどで途中で仲間から身を隠してしまいます。そのため映画『最後の忠臣蔵』など、その後の吉右衛門には内蔵助から託された仕事があったのだというような話がいろいろ取りざたされます。

そういうこともあって舞台でもチラッとでも登場させ、さらなる外伝を匂わせているようにも感じました。細かいところにも、その心はと勘ぐってしまいます。

テレビドラマではあの必殺シリーズの中に『必殺忠臣蔵』というのがあり、寺岡吉右衛門(近藤正臣)は必殺仕事人であったというのですから飛びすぎで驚きで面白かったです。そして、吉良上野介には影武者がいて死んでいなかったと。それではやはり仕事しないわけにはいきません。

最後は、葉泉院が、夫の位牌で由良之助を打つという今まで観た映画の中ではない感情の出し方だったので、あの場面に関連するものはないかと探しましたらテレビドラマで『忠臣蔵 瑶泉院の陰謀』が見つかりました。

南部坂の別れがない代わりに、瑶泉院と内蔵介との濃密な別れがあるというこれまた発想の切り替えが必要でした。

人形浄瑠璃で『仮名手本忠臣蔵』をやっていて、それを瑶泉院がお忍びで見物しているというところから始まります。討ち入りから十年後のことです。というわけで前に戻ってその経緯が描かれるわけですが、瑶泉院も義士たちの同志としての気持ちで行動するのです。

将軍綱吉の時代を悪政とし、討ち入りによって御公儀を正すといった想いが中心に流れています。

「陰謀」とあるので瑶泉院のものすごい企みがあるのかと思いましたら、瑶泉院はあくまでも優しく、赤穂藩の人々を助けたい、浪士を助けたい、そのためには自分はどう動くべきかを考えています。浅野内匠頭は心に深い闇のある病があり、それが時々爆発しそうになります。それを瑶泉院は穏やかに穏やかにと支えています。

討ち入り後の彼女の動向も丁寧に描かれ、義士たちのお墓のこと、伊豆大島に流された義士の子供たちを助けようと奮闘します。

大島に行ったときに義士の子供たちが流されたのを初めて知りました。十五歳以上の男子4人が遠島で、十五歳以下の子も十五歳になったら遠島と決まっていました。十五歳以下の子が15人いました。

ドラマでは、次の将軍家宣(綱豊)の正室が赤穂義士びいきで、瑶泉院に次の時代まで待ちなさいといいます。大石内蔵助の次男が13歳だったのですが、出家させたものを流した例はないと教えます。そのあたりが強く印象に残りました。

瑶泉院は稲森いずみさんで、真実味があって歴代の瑶泉院とはまた違う描き方の瑶泉院に合っていてすんなり受け入れられました。瑶泉院、大石内蔵助(北大路欣也)、柳沢吉保(高橋英樹)との駆け引きもひきつけられます。

綱吉から家宣への時代背景も納得できました。浅間山の噴火、富士山の噴火、地震、大火など自然界も大変な時代でした。

歌舞伎『花競忠臣顔見勢』の若手役者さんの演技を愉しみつつ、さらにあちこ首を突っ込み、時代背景や、当時の民衆の支持を得た「忠臣蔵」の力を改めて感じとらせてもらいました。

最澄への私感から視感拡大(2)

最澄さんの概略が頭に入りましたので、ここからは舞台、映画などでみての視感といきます。ですから史実的にはハチャメチャなところがあり、それがまた楽しいという感想です。

道鏡さんはもう悪僧のレッテルを張られていますが、映画『妖僧』では孝謙天皇の純な愛に応えてしまったという筋でした。とにかくこの時代は、加持祈祷の力で奇跡を起こせる僧が尊ばれていたわけです。ところが、愛という感情によって道鏡さんは妖力を失ってしまうのです。破戒ということになるでしょうか。

歌舞伎の『鳴神』は破戒するように朝廷から絶間姫が差し向けられます。鳴神上人も加持祈祷、呪術の力のある僧なのです。天皇の世継ぎを祈りで成就して、そのみかえりに戒壇建立の約束をとりつけるのですが約束は守られなかったので、龍神を滝つぼに押し込め雨を降らなくさせたのです。民はあえぎ苦しみます。そこで絶間姫の美しさで色香に迷わせて龍神を放そうとするわけです。

戒壇建立とはたいそうなことを約束してしまったものです。それを無視されたのですから鳴神上人は怒りますよ。さらに色香に迷わされてしまうのですから。こういうところを笑いをも含ませて、色っぽく描くというのが歌舞伎の<カブク>ところなわけです。

桓武天皇の時代は蝦夷征伐ということで坂上田村麻呂とアテルイを思い起こします。最澄さんも生きていた時代なのです。『歌舞伎NEXT 阿弖流為アテルイ〉』が再演されるときはどんな配役になるのでしょうかね。僕たちがやりたいと名乗り出るでしょうか。冗談じゃないよ、まだ譲れないよと言うでしょうか。どちらにしても楽しみですが。

ちょっと意外だったのが、日蓮さんです。映画『 日蓮と蒙古大襲来』では奇跡的なことが起こりますし、<南無妙法蓮華経>と声だかにとなえる激しさからもっと新しい経典の解釈をしたのだと思っていましたら『法華経』にかえれなのですね。

「日蓮は、おそらくは法然の口称念仏から学んだと思われる口称題目という新しい法華仏教の信仰のあり方を発明したが、彼自らは、はっきり智顗と最澄の伝統の復古者であると考えていたのである。」(「最澄と空海」梅原猛著)

歌舞伎『日蓮』では、最澄さんが登場しましたが、こうして考えていけばすんなり納得できました。

歌舞伎舞踊『連獅子』の間狂言で「宗論」が入りますが、法華僧と浄土僧が自分の宗派が正しいと争って<南無妙法蓮華経>と<南無阿弥陀仏>を取り違えて唱えてしまうというものです。宗派の争いをこれまた笑いにかえます。狂言からとったものですが、能、狂言、文楽なんでもござれと取り入れていくのも歌舞伎ならではです。

前進座『法然と親鸞』は気になっていた舞台でした。前進座でDVDを販売していましたので取り寄せました。

3時間弱で大舞台でした。二回目の鑑賞では確認事項を調べたりしてかなり時間が要しました。法然の中村梅之助さんは70代後半、親鸞の嵐圭史さんは70代前半で、台詞の量と説得力の妙味に敬服しました。法然さんと親鸞さんは念仏を禁止されたり、流されたり、厳しい生き方を貫かれました。

驚いたのは熊谷直実が登場します。もちろん出家したあとです。直実さんは歌舞伎『一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)』でのラストの花道の引っ込みで止まっていまして、歌舞伎上の人物という形でおわっていました。法然の弟子になっていたのです。時代的にそういうときなのですね。法然さんや親鸞さんの生きておられた時代背景がみえてきました。文字だけではなかなか時代が浮かび上がらないのですが映像や舞台がいろいろなリンクの仕方で拡がってくれました。

今月は関連舞台が上演されています。『鳴神』は、『伝統芸能 華の舞』でツアー中ですし、「宗論」は歌舞伎座第2部で『連獅子』がありますし、国立劇場では『一谷嫩軍記』を上演しています。面白いつながりです。案内は下記をクリックしてください。

「伝統芸能 華の舞」2021年公演 (zen-a.co.jp)

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舞台、映画に関しては興味がありましたら下記でどうぞ。

2021年7月6日 | 悠草庵の手習 (suocean.com)

2021年6月30日 | 悠草庵の手習 (suocean.com)

2017年3月2日 | 悠草庵の手習 (suocean.com)

2015年7月12日 | 悠草庵の手習 (suocean.com)

映画『ドアをノックするのは誰?』『ミーン・ストリート』

ドアをノックするのは誰?』はすでに書いているので、『ミーン・ストリート』から入ります。

ミーン・ストリート』は、ニューヨークに住むイタリア系アメリカ人の街の若者の姿が描かれています。イタリア人系の街といっても色々あるようで、映画はシチリア系の多く住む下町ということのようです。こういうことはそうなのかという感じでよくはわかりません。映し出されている祝祭は聖ジェナーロ祭でナポリ人のお祭りだそうです。地域によって守護聖人が違うらしいのです。

マーティン・スコセッシ監督の住んでいたところは組織的犯罪が網の目のように巣くっていて、逃れる術がなく自分が罪を犯さなくても周囲に犯罪が満ち溢れていたといいます。ある時、ドライブに行って家に帰った後、数分の差でその車が銃撃されたこともあったといいます。

主人公のチャーリー(ハーベイ・カイテル)は友人のジョニー(ロバート・デ・ニーロ)に手こずっていますが、自分がかばってやらなければあいつは生きていけないと思っています。

ジョニーはお金を借りまくりその場その場で言い訳したり返すと約束しますが、返さないというか返す気がないというかやっかいな人間です。チャーリーの口添えもあるからと貸し手のマイケルは待ってくれているのです。

観ていてもこのジョニーはどうしようもない人だとおもいます。トラブルメーカーです。何とかしようとするチャーリー。チャーリーは父親代わりの叔父からレストランを任されることになっています。叔父からジョニーとは手を切れといわれています。叔父には内緒で何とかしようとしているのにジョニーは、叔父さんに話してお金を都合してもらおうよとのたまいます。そんなことをすればチャーリーは自分のレストランの仕事もダメになってしまいます。

この街にいてはジョニーが危ないと、チャーリーは車でジョニーを連れ出します。しかし、お金を貸して踏み倒されたマイケルが追いかけてきて銃撃されます。命は助かりますが、この後この若者たちの明るい人生は難しいだろうと想像してしまいます。

この映画でロバート・デ・ニーロが主人公のハーベイ・カイテルの演技を食ってしまうということになりました。言ってみればそれくらいジョニーはやっかいな人物なのです。

この映画の前にコッポラ監督の『ゴッドファーザー』(1972年)がヒットしています。『ミーン・ストリート』は最初に上映されたのが二ューヨーク映画祭で、見た人たちが自分たちの街のようだったと声をかけてくれ、『ゴッドファーザー』よりもリアルだったという意見が多かったようです。

聖ジェナーロでの撮影の時教会の管理者から使用料を要求されたがお金がなくコッポラ監督が立て替えてくれ、映画が売れたのでコッポラ監督に借金を返せたということもあったようです。

スコセッシ監督は実際のストリートでは喘息もあり見ている側で、彼を落ち着かせてくれる場所が教会でした。司祭になろうとし神学校に通いますが成績が悪く放校。高校でもっと勉強したくなって、ニューヨーク大学の映画学科に進み、そこでバグダット出身のマーディク・マーティンと出会い誰も観ないようなマニアックな映画の話ばかりしていました。マーディク・マーティンは『ドアをノックするのは誰?』で助監督をし、『ミーン・ストリート』では共同脚本に参加しています。

マーディク・マーティンはスケールの小さなチンピラを描きたかったと語ります。登場人物はスコセッシ監督の家の近所に住む人がモデルなので、自分はストーリーを見つめる冷めた視線をたもっていたと。

スコセッシ監督は後になってチャーリーとジョニーの関係は父とその弟の関係であると気がついたといいます。いつも問題を起こす弟がいてそのたびに父は他の兄弟と親族会議を開いて何とかしようとしていたことが重なっていたようです。

問題を解決する際、暴力に走る人がいてそれに巻き込まれる人がいて、そんな自分の過ごした状況を映画という表現手段で提示したかったのでしょう。そこを吐き出さなければその場所を去り次に進めない。スコセッシ監督のそんな叫びが聞こえてくるようです。

ドアをノックするのは誰?』と『ミーン・ストリート』はセットとして考えるべき作品だとおもいます。登場人物たちの時間的経過。そしてスコセッシ監督の映画監督としての成長。

ミーン・ストリート』の日本公開は1980年で、『タクシー・ドライバー』が1976年ですから『タクシードライバー』が成功してスコセッシ監督の映画ということで公開されたのでしょう。ロバート・デ・ニーロとハーベイ・カイテルも出ていますし。

スコセッシ監督の作品の場合、監督の宗教性が問題になるようですが、そこはよくわかりませんので、スルーさせてもらっています。偶然にもスコセッシ監督の初期作品にめぐりあえたのはラッキーでした。

そしてこの時期から短い期間ですが、ハリウッドでの監督主導の映画が誕生していく時代でもあるのです。

追記: 映画『カムバック・トゥ・ハリウッド』(2021年・監督・脚本・ジョージ・ギャロ)は、1974年のハリウッドを舞台にしています。借金だらけのB級映画のプロデューサーがロバート・デ・ニーロ。死にたいと思っている老俳優がトミー・リー・ジョーンズ。映画大好きで映画製作にお金を貸すが取り立ても厳しいギャングがモーガン・フリーマン。映画に一途だと思っていたプロデューサーが詐欺を思いついたためにおかしなことに。映画の中で上映反対のデモまでされた映画『尼さんは殺し屋』が最後の最後に紹介されるのが粋なサプライズです。ジョージ・ギャロ監督が、大学時代『ミーン・ストリート』をみて映画学科に変更したといいますから縁がありました。

ロジャー・コーマン監督とマーティン・スコセッシ監督(4)

ひょんなことからマーティン・スコセッシ監督の作品に行きあたり、ひょんなことからロジャー・コーマン監督がプロデュースする映画『明日に処刑を...』をマーティン・スコセッシ監督が撮ったということを知りました。

そのひょんなことというのは、マリリン・モンローの映画『ノックは無用』(1952年)を観て、題名が『ドアをノックするのは誰?』(1967年)という映画があるのを知り、どんな映画なのかと行きついたのがマーティン・スコセッシ監督の初期の映画です。そして映画『ミーン・ストリート』(1973年)につながりました。この二つの間に映画『明日に処刑を...』(1972年)が入っているのです。

全然違うところからの出発だったのですが、ロジャー・コーマン監督とマーティン・スコセッシ監督との関係が出てきましたので続けることにしました。

マリリン・モンローの『ノックは無用』には驚きました。その演技力に。その前にイブ・モンタンと共演の『恋をしましょう』(1960年)を期待して観たのですが、ここに至ってまで踊り子の可愛い女を演じさせられていて気の毒でした。プロですね。歌と踊りではしっかり魅了させてくれます。『ノックは無用』はもっと前の作品ですから同じタイプの女性かなと期待しませんでしたら、サスペンスで彼女が次第に異常さを増していくのです。今まで観たことのないマリリンでした。その変化の凄さに、この人の演技力をもっとわかってあげれる環境があればよかったのにと思いました。

ドアをノックするのは誰?』は、なんだかよくわかりませんでしたがこういうことなのかなと思いました。

若者が仲間うちでお互いの通じる世界の中で楽しんでいます。主人公はフェリーで一人の女性と知り合います。お互い好きになりますが女性の過去の出来事を告白され彼女を責めます。それは自分が招いたことだとして、許すから結婚しようといいます。女性は許すということはお互いにずーっとそのことにこだわり続けるわけでそれでは充分ではないといいます。主人公は彼女が求める人間性をつちかっていない自分にも怒りを感じます。教会に行き自分の気持ちを整理します。

そうなのであろうとの解釈です。ハーベイ・カイテルのデビュー作で彼の若い頃の演技を見ているだけで愉しかったです。若者たちのふざける場面のカメラの回し方。フェリーの待合室で出会う主人公の彼女への話しかけ方。二人が屋根上を行ったり来たりして過ごすデート。その切り替えての次の場面。その時間的スピード感が上手くいって先の見えない不安を抱えつつの明日話し合おうというラストも印象的です。明日も変わらないのでしょう。

この映画の脚本は、マーティン・スコセッシ監督がニュヨーク大学映画学科の卒業作品として書いたもので10分ほどの作品に4年かけて『ドアをノックするのは誰?』に作り上げた作品です。主人公はマーティン・スコセッシ監督がモデルで、他の登場人物もモデルがあるとのことです。スコセッシ監督は自分が過ごした街の様子を描きたかったようです。

俳優を広告募集し、その中にハーベイ・カイテルがいて彼は裁判所の速記者をしつつ演技を勉強していてダントツに上手かったようで主人公役となります。

この最初の短編は賞もとり一部の人には評判がよく、さらに劇場公開を目指して女性を加え、主人公の恋愛を入れてストーリー性をもたせます。その当時のアメリカは倫理規定が崩れ自由な表現を求めていて公開用にするなら裸がなくては駄目だとの意見があり、唐突に主人公と女性の登場人物とは関係のない女性との絡みの場面が入ってきます。主人公の妄想の場面ということなのでしょう。スコセッシ監督の絡みの撮り方はねちねちさがないのがいいです。

この映画の続きとして『ミーン・ストリート』となります。スコセッシ監督が撮りたかった自分と自分の育った街の人々が描かれています。

スコセッシ監督が自分も映画を作れると希望を与えてくれたのがジョン・カサヴェテス監督の映画『アメリカの影』です。この『アメリカの影』を一番最後に観てスコセッシ監督のその想いが納得できました。

映画『明日に処刑を...』を撮っていた頃、すでに『ミーン・ストリート』のことは頭にあったと思います。

スコセッシ監督は、ロジャー・コーマンから撮影のイロハを教わったといいます。

「週6日で24日間の撮影期間、朝6時から夜10時まで撮影。構図を考えリハーサルしろ。難しいシーンを最初に撮れ。B級映画を撮りきったのは重要なことだと考えた。仕事のコツがわかった。」

「ロジャー・コーマンからは計画性と規律をもって撮影することを学んだ。『ハネムーン・キラーズ』の時みたいに上手くいかず、首になることもなかった。『ウッドストック』では編集さえ完成しなかった。」

「ロジャー・コーマンによって、一つにまとまり監督としての段取りをつかめた。」

ドアをノックするのは誰?』は資金面のこともありますが、4年もかかっていますから。

ただ友人たちはあ然として、散々いわれたらしいです。カサヴェテス監督からは、最初の長編のような映画を撮れ、君は何をしていたんだといわれ、出演者への愛があるね、でもこんなの低俗だだろ?と付け加えられたようです。

映画『明日に処刑を...』はいわゆるギャング映画です。映画『俺たちに明日はない』を思い出させます。初めに<この物語はバーサ・トンプソンの実話に基づいています>とクレジットされますが、実際にはバーサ・トンプソンは実在しなかったいうはなしもあります。

1930年代、バーサは飛行機を操縦する父親を農薬散布の仕事中に亡くします。彼女は貨車に乗り町に出ます。そこで鉄道会社の労働組合員であるがビルに出会います。労組員は弾圧を受け、バーサとビルとその仲間4人はギャングに変貌します。バーサ以外は何回か捕まりますが刑務所から脱出し逃げ回りつつお金を奪います。そして最後はバーサの前でビルは貨車にハリツケにされ虐殺されてしまいます。必死で貨車を追うバーサ。

カサヴェテス監督が言った「出演者への愛がある」の言葉どおり、4人のギャングには不快感はありませんが暴力が暴力を生んでいくといった構図の中で行き場を失うという結果です。

スコセッシ監督が経験していないロケ現場でもあり、狭い街のさらなる狭い範囲の設定とは違い学んだものは沢山あったとおもいます。そして次に映画『ミーン・ストリート』が出来上がっていくのです。

スコセッシ監督は学びつつも自分の心に温めていたテーマは貫くのです。

ロジャー・コーマン流で新人たちの才能が開花していったのは興味深いことです。新人たちもロジャー・コーマンから学びつつ自分の手法を見つけ出していくたくましさがあったわけです。

映画『リトル・ショップ・オブ・ホラーズ』 (1986年)(3)

1986年版映画『リトル・ショップ・オブ・ホラーズ』のDVDには特典映像があり、ロジャー・コーマン監督も現れました。

二日で撮ったといわれる1960年版のそのことを語られています。

あるスタジオの関係者が昼食の席で「撮影が終わったばかりのセットがそのままある」というので、じゃそのセットで何か撮ろうということになった。「どのくらいで撮れる?」と聞かれたので「2日で挑戦してみよう。」と答える。

セットの手直しを終え、脚本家のチャック・グリィスと話し合って人食い植物の話を2週間で書き上げ、1週間分のギャラで役者を雇い、リハーサルは月曜から水曜日で、大方の撮影は木曜と金曜でほかに少し追加のシーンを撮り終了したと。

舞台も観に行っていて「気にいったよ。とにかく楽しくてテンポがあって、ナンセンスで、映画版のセリフも見事に生かされていた。」と監督は満足していました。

この映画を舞台にしたのがデビット・ゲフィンで、この方やり手です。ワーナー・ブラザーズ映画の副会長を5年間務め、その後、音楽業界に返り咲きゲフィン・レコードを立ち上げ、ジョン・レノン、エルトン・ジョンらが所属していたというのですから。

1960年版の映画は日本で劇場公開されていないのですから評判はよくなかったようで、あの映画を舞台にするとはと不思議がられたようです。ところがそれを当ててしまったわけです。

脚本・作詞がハワード・アッシュマンで作曲がアラン・メンケン。この後、二人は長編アニメ『リトル・マーメイド』『美女と野獣』『アラジン』でオスカーを手にし大活躍です。(アラン・メンケンは『アラジン』の途中で亡くなります。)3作品とも観ていませんので音楽を目的で鑑賞したいと思います。

舞台をさらに映画化した製作者がデビット・ゲフィンです。ワーナーから監督としてスピルバーグやスコセッシの名前も挙がったのだそうですが、ゲフィンは最初から低予算でのリメイクを考えていてそれを貫きました。

そして声を掛けられたのがフランク・オズ監督でした。最初フランク・オズ監督は断ったそうです。やることが多すぎてとても無理だと。ただコーラスの3人を舞台で自由に出入りしていたように、衣装を変えて映画的にどこにでも出現させればよいのだと思いつきやる気になったようです。

コーラスの3人は、1960年代の動きを習うためダンスレッスンを受け、それはステップではなく動きなので、すぐできる娘と苦労した娘とがいたと本人たちがコメントしています。時代を感じさせる動きということは踊ることよりも難しいかもしれません。でも踊らなかったのがやはりよかったです。

撮影はイギリスのスタジオでのセットで、当時としては最大規模といわれていた<007>のセットを飲み込む大きさだそうで、ダウンタウンのあの高架線に電車が走っていたのには驚きました。

セットは細かいところまでこだわり、ものすごい量の60年代の小道具がニューヨークから運ばれたようです。ゴミバケツなどは車に新しいのを積んで古いのと取り換えて集めたと。映画人のこのこだわりは映画への愛としか言いようがありませんね。どこの国でも。

ですからオードリーⅡなどは、大きさが7種類あって、最後は床下に30人が機械を使ったり、大きな梃子(てこ)や長いレバーを手で動かしたりしていました。なんせオードリーⅡのツルがレジを開け、コインを取り出し、電話にコインを入れて、ダイヤルを回すのですから。

フランク・オズ監督の狙いは、いかに観客を納得させるか。あまりわざとらしい演じ方だと観客はキャラクターに関心をもってくれないし、反対にあまり正攻法でもメロだラマになってしまう。目指したのは<誇張したリアリティ>。

ラストの撮り直しには、監督もアッシャマンも不満だったようですが最後は映画は観客のためにつくるものという結論にいたったようです。

観客の一人としましては、オードリーⅡにはどうやっても勝てると思えないシーモアが勝って、幼いころから苦労してきた二人が幸せになれたことにはやはり拍手ですね。

映画『リトル・ショップ・オブ・ホラーズ』 (1986年)(2)

1960年の映画『リトル・ショップ・オブ・ホラーズ』がミュージカルの舞台となり、映画と舞台を合体して1986年にふたたび映画『リトル・ショップ・オブ・ホラーズ』(フランク・オズ監督)となったのです。

ブロードウエイでロングランとなった舞台の内容は知らないまま映画を観ました。女性三人のコーラスに、新たな気持ちで映画に引きつけられていきました。十代の女性コーラス三人は路地から出てきてこの物語の場所や、お店、登場人物などを歌いながら紹介していきます。衣装も好いですし、動きも大げさではなく邪魔にならないリズミカルさで観る者を誘ってくれます。

この三人のコーラスが色々な場面で登場し歌で状況をカバーして教えてくれるのです。

登場人物は知っていますのでなるほどと納得します。ただオードリーの登場で、何かただ事ならぬ様子を察知します。オードリーには恋人がいてその相手があのサディストの歯医者なのです。

ところがオードリーの意中の人はシーモアで、シーモアの意中の人がオードリーなのです。二人とも汚いこの街から抜け出したいと願っています。オードリーは小さな家で家族仲良く暮らすことにあこがれています。ところが現実はそうは行きません。

店主がもうやっていけないので店を閉めるとい言いだし、シーモアが育ていた植物を持ってきます。名前はオードリーⅡです。オードリーⅡをショーウインドーに飾ったとたんに客が珍しいといって入ってきてバラを買って行ってくれるのです。それからはお店は繁盛します。

例によってシーモアは自分の血をオードリーⅡに与えることになります。

シーモアはオードリーの恋人がサデストの歯医者であることに納得がいきません。歯医者のところへ様子を見に行き、診察中歯医者は事故死してしまうのです。歯医者の遺体を切り刻むとき斧が出てきました。映画『ディメンシャ13 』の斧とここでつながったと可笑しくなりました。オードリーⅡは育っていきます。シーモアとオードリーは愛を告白しあいました。シーモアは雑誌のライフに載ったりして有名になりお金持ちになれそうです。

でも、シーモアはもうオードリーⅡに人間を食べさせるのはいやです。オードリーもお金が目的ではないと言ってくれるので二人でこの街から出ることにします。この映画にはラブロマンスが加わっていました。

ただ、1960年版では、シーモアがオードリー・ジュニアをやっつけようとして食べられてしまうんです。このままシーモアは逃げられるのでしょうか。もしシーモアが食べられたらラブロマンスも悲劇的結末です。

新たな展開でした。オードリーⅡは植物のくせに伸びたツルをあやつって電話をかけオードリーを呼び出し飲み込みます。そこにシーモアが現れ危機一髪で救い出すのです。

シーモアはこれは自分が始末しなければならないとオードリーⅡとの戦いとなります。オードリーⅡには沢山のチビオードリーⅡが誕生しています。オードリーⅡは世界中に広まって地球を乗っ取ろうとする宇宙からの侵略者だったのです。

しかし愛は強しでありましょうか、シーモアはオードリーⅡを倒すことができたのです。シーモアとオードリーは小さなわが家へと向かうのでした。ただ、花に隠れてチビオードリーⅡの姿がありました。

舞台版では、シーモアとオードリーは二人とも食べられてしまうのだそうです。

映画ではどうしてはハッピーエンドにしたのでしょうか。映画でも二人が食べられるように撮ったのですが、テスト試写で観客がショックを受けおびえてしまったので変えたのだそうです。

舞台ではアンコールで食べられた二人が再登場するのでかえってお客もよろこび楽しめたのでしょう。

映画でのオードリーⅡは出演者の一人としての動きをしていますから、リアリティがありすぎたのかもしれません。

ということでそれぞれ楽しめるバージョンとなっているようです。音楽もいいので舞台も楽しいと思います。