伊賀上野(忍者と芭蕉の地)(5-2)

<伊賀越資料館>に向かうが、途中に、木と瓦屋根の忍者の町ならではの西小学校がある。そして、明治時代の白いモダンな校舎の残る上野高校校門前には、作家の横光利一さんの「 横光利一 若き日の五年をこの校に学ぶ 」の碑があった。

 

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さらに、かつての藩の子弟の学校であろうか、<旧崇廣堂>なるものもあったが、<伊賀超資料館>へ急ぐ。この資料館の前の道に 「みぎいせみち/ひだりならへ」の道しるべがあり、伊勢と奈良を結ぶ道で、かつては人通りの多い道であり、この<鍵屋の辻>で敵討ちがあったということは、多くのひとの口の端にのぼり、三大敵討ちの一つに数えられたのがわかる。しかし、私も歌舞伎で観ていなければ、観光としては行かなかったかもしれない。

 

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資料館には、当時の街道の模型や、敵討ちの錦絵などもある。また、敵の河合又五郎の首を洗ったと言われる小さな池には、今は<河合又五郎首洗供養地蔵池>とあり、小さなお地蔵さんが祀られている。

 

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現藤十郎さんが鴈治郎さんの時の『伊賀越道中双六』上演の際ここを訪れられ、首洗い地蔵池で成功祈願をされていて、我當さん、秀太郎さんとの写真とサイン色紙が残されていた。文楽のほうも、二代目吉田玉男さん桐竹勘十郎さん、吉田和生さんも人形共々祈願に来られている写真があった。

 

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歌舞伎の舞台写真などで、敵討ちの背景に異常に高い石垣の上野城が描かれているが、実際の上野城を強調していたわけである。(当時は実際にここに石垣があったようです。)

数馬の茶屋で一服したかったが、先を急ぎ、上野駅方面へもどり、そこから東に向かい<芭蕉翁生家>へ。<芭蕉翁記念館>に、芭蕉が自ら作ったという献立表があったが、生家の方には、こうであったであろうというレプリカがあった。きちんとした献立なので驚いたのであるが、係りのかたの話によると、芭蕉は、若いころ侍屋敷で料理人として修業したことがあるのだそうで、生家裏に今は跡碑のみであるが、<無名庵>を弟子たちが作ってくれたお礼に自らの手で料理しご馳走したとのこと。これもまた、知らなかった芭蕉さんの一面である。

 

<芭蕉翁生家>内の裏にある釣月軒と無名庵跡

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記念館と生家の係りのかたに、「芭蕉さんは、忍者だったと思いますか」と尋ねたら、お二人とも、忍者ではなかったと答えられた。

私も忍者ではなかったと思う。ただし、忍者のいた地域で生まれ育っているなら、忍者という仕事がどういうものであるかということは解っていたであろう。代表的な「古池や蛙飛びこむ水の音」のように、音を俳句に入れてしまうという感性は、忍者の伊賀出身の人ならではのような気がする。そして、旅に明け暮れたのも、俳諧という技をもった人が、どこかで同郷への人々に寄り添っていたような気がするのである。井上ひさしさんはどんな芭蕉さんを書かれたのか、『芭蕉通夜舟』が読みたくなった。三津五郎さんが再演される予定であり、それを聞いたとき、思い入れが強いのであろうと楽しみにしていたが、今となっては叶わない。生家の係りの方が、上野駅から南側のお城とは反対側の街並みも是非歩いて欲しいのですと言われて地図に赤線を引いてくれたが、残念ながら全部は回れず、<上野天神宮>と寺町だけを通過して駅にもどった。

<上野天神宮>は、菅原道真公が主神である。松尾芭蕉が処女句集「貝おほひ」を奉納したといわれている。大きなお社であった。

 

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五つ庵があったうち一つだけ残っている<蓑虫庵>などは行けなかった。生家裏の<無名庵>が、義仲寺にある<無名庵>と同じ名というのも面白い。係りのかたが、名なぞなくて無いでよいということか、巴御前と関係があるのか、そこは解りませんとのことで、うなずける。旅の日程にも嘘があるし、俳聖芭蕉よりどこ吹く風というところがある芭蕉さんなのが良い。忍者が忍ぶ人であるだけに、芭蕉さんは、縛られない生き方、作風を模索されたような気がする伊賀の旅であった。

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