『炎の人 式場隆三郎 -医学と芸術のはざまで-』

市川市文学ミュージアムで企画展を開催している。三月からやっていたようだが、五月に入って知った。チラシの<炎の人>に惹きつけられた。やはりゴッホである。ゴッホ関連の訳者として名前があったのかもしれないが記憶には留めていない。

新潟に生まれ、文学に目覚め、新潟医学専門学校に入る。この時、雑誌『白樺』でゴッホを知り、精神科医となりゴッホの研究を続けた人である。ゴッホ関係の書物は50冊を超え、本の装丁にもこだわり、芹澤銈介さんの装丁が30冊を超える。

ゴッホと弟テオ双方のそれぞれに宛てた書簡を翻訳し、さらに、ゴッホを描いた文学作品や伝記小説にも関心をよせ、翻訳している。その中のステファン・ボラチェック著『炎の色 小説ヴァン・ゴッホの一生』を翻訳。その本の愛読者だった劇団民芸の岡倉士朗(演出家)さんと滝澤修さんが式場さんを訪れたことがきっかけで、三好十郎さんに脚本を依頼することになるのである。民芸公演で式場さんは、制作委員長になっている。

<この芝居を最も喜んでいるのは、私かも知れない。>とし、新橋演舞場での千秋楽で<最後の幕がおりたとき、私は涙のこみあげてくるのを抑えることができなかった。>と昭和26年の『民芸の仲間 第3号』に寄稿されている。新橋演舞場は超満員で、各地も公演で10万人以上の観客を集めている。

柳宗悦が提唱した民芸運動にも参加。『中央公論』や『改造』などの総合雑誌や新聞にも寄稿し、病院勤務が困難となり、市川に国府台病院を開院する。スイスのレマン湖畔の精神病院の庭園に感銘を受け、病院内にバラ園を造成する。

八幡学園の顧問医となった式場さんは、そこで山下清さんを知り、彼の後援を行い、作品の発表に尽力するのである。

その他、日比谷出版社を設立し、長崎の永井隆博士の『長崎の鐘』なども出版している。

ゴッホゆかりのひとからの手紙。芹澤銈介さん装丁本。棟方志功さん装丁の『炎と色』の限定本。ゴッホ生誕百年祭に行われた展覧会の様子。深川にあった精神を病んだ人が建て不思議な家の資料。ロートレックの研究。山下清さんの直筆文。数多く展示品があり、式場さんの仕事の範囲と深さに驚く。このかたの睡眠時間はどの位だったのであろうかと思ってしまう。

式場隆三郎さんこそゴッホと同じ<炎の人>として、捉えたのがわかる。この方によって、知らされ広がった芸術、演劇、映画の恩恵を今も受けている。

よくわからないが、<洗濯療法>という本もあり、洗濯は精神活動に何か良い影響があるのか興味があったが内容はわからない。

講演会もあったようであるが、知るのが遅すぎた。しかし、こういう方がおられたことを知っただけでも、幸いである。この方によって、ゴッホの絵と精神は深く静かに人々の目と耳と心を働かせる力となったのである。

会期は5月31日(日)までである。

『炎の人 式場隆三郎』展の図録の年賦を見ていたら、ロートレックの伝記小説で、ピエール・ラ・ミュール原作『ムーラン・ルージュ』も翻訳して刊行していた。この原作が映画『赤い風車』で、ホセ・ファーラーがロートレックを演じている。

さらに、歌舞伎役者・守田勘弥さんの後援会長にもなっている。

『炎の人』から『赤い風車』 無名塾 『炎の人』(1) 無名塾 『炎の人』(2)

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