『谷崎潤一郎展』

谷崎潤一郎没後50年。『谷崎潤一郎展 絢爛たる物語世界』県立神奈川近代文学館 4月4日~5月24日。約2ケ月間あったのに最終日に行くことができた。谷崎さんの文学作品の流れと、作家としての実生活が資料をもとに、多数展示されているが、大変分りやすかった。分りやすいからと言って谷崎さんの文学作品というものが、分ったわけではない。

谷崎さんは、自分の鋭い感性は人と違い、それを表現する天才的能力も兼ね備えていて、自分はその仕事を成し遂げられるとの想いがあった。

己は禅僧のやうな枯淡な禁欲生活を送るにはあまり意地が弱すぎる。あんまり感性が鋭(するど)過ぎる。(中略)

 

己はいまだに自分を凡人だと思ふ事は出来ぬ。己はどうしても天才を持って居るやうな気がする。己が自分の本当の使命を自覚して、人間界の美を讃へ、宴楽を歌へば、己の天才は真実の光を発揮するのだ。

谷崎さんは自分の美意識に対しては周りの人をも取り込んでいく。それは、松子夫人との事でもわかるが、自分の美意識から外れるとして出産をも許さない。ただ、相手に自分の気持ちを納得させるためには、大変な努力をされた方でもあると今回思った。反対にその努力が平行して作品に反映しているとも言える。

佐藤春夫さんとは、谷崎さんと谷崎前夫人千代さんの不仲から、佐藤さんが千代さんを譲り受けたいとして、一旦は谷崎さんも承諾するが、その後断る。そして、千代さんは違う男性とのこともあったがそれが壊れる。谷崎さんは、佐藤さんに千代さんの身の振り方を相談し、千代さんは谷崎さんと離婚して佐藤さんと再婚するのである。

この事は世間的にも文学界にもセンセーションを起こすが、物書きという生業から、この辺りのことは文学作品にも吐露される、佐藤春夫さんの詩『秋刀魚の歌』は千代さんを想っての詩である。

今回面白いチラシを手にする。

夢と冒険、そして恋・・・ 時は大正。“片思いの神様 ” 佐藤春夫は「さんま」だけでは語れない!

こちらは、没後50年記念出版 『佐藤春夫読本(仮)』の宣伝チラシである。初の本格的文学案内とある。<「さんま」だけでは語れない!>というのがいい。

熊野の新宮、『佐藤春夫記念館』でお手上げだったが、この本が手助けしてくれそうである。大林宣彦映画監督の講演録も載っているようである。刊行されたら購入することとする。全体の流れのどういう部分であるかが解かると、一部分だけ取り上げられて強調される狭さの解釈もちがってくる。 美・畏怖・祈りの熊野古道 (新宮)

主軸を谷崎さんにもどすが、谷崎さんは、自分の目指す物語世界を、世間の思惑など眼中になく突き進む。大阪国立文楽劇場のそばに『蓼食う虫』の一文を記した文学碑がある。『蓼食う虫』には、文楽を観ての谷崎さんの感想が書かれている。そこには、『心中天の網島』の人形・小春に対し、「永遠の女性」を想い描いている。さらに主人公の美意識を書いている。

自分がその前に跪(ひざまつ)いて礼拝するやうな心持になるか、高く空の上へ引き上げられるやうな興奮を覚えるものでなければ飽き足らなかった。これは芸術ばかりでなく、異性に対してもさうであって、その点に於いて彼は一種の女性崇拝者であると云える。

まだこの時点では、この想いを実感したことがなく

ただぼんやりした夢を抱いてゐるだけだけれども、それだけひとしほ眼に見えぬものに憧れの心を寄せていた。

すでに、千代夫人はこの対象外であった。そして、人妻であった松子さんと出逢っている。谷崎さんの場合、女性観の基準がはっきりしている。

今回もう一つゲットしたのが、谷崎さんの作品の大阪弁のことである。入場したところで映像が飛び込んできた。田辺聖子さんである。座って見る。田辺さんが『卍』と『細雪』の朗読をしたときの映像の一部で、<『卍』は同性愛の話しであるが、谷崎さんが初めて大阪弁を使った小説で、大阪弁を使うことによって流れるように繋がっていき、『細雪』も同じで、このことが源氏の世界に繋がる要因である>とされる。

『卍』は、岸田今日子さんと若尾文子さんの同性愛の演技に興味がありDVDをレンタルして見ていた。このお二人の声のやりとりを耳にしたかったというのが一番強い。その時大阪弁の役割には気がつかなかった。想像していたよりも嫌味なくサラサラ見て居られ、田辺さんの話しを聞いて、なる程そういうことかと気がつかされた。

映画で驚いたのは、園子(岸田)と光子(若尾)が奈良に出かけるのであるが、柳生街道の道が映ったことである。増村保造監督の意図的なロケ場所と思えた。原作では、若草山になっている。園子が女子技芸学校で観音様を描くが、光子の説明のつかない奔放ぶりを観音様と重ね、柳生街道の磨崖仏の前に二人を立たせたのも意図してのことであろう。成り行きから、園子と光子と園子の夫は睡眠薬を飲み、園子一人が生き返るのである。誰かが亡くなり誰かが生き残るとすれば、誰がという事によって作者の意図も、考察の対象となる。光子は園子の夫を連れ去り、夫を園子から離して、観音様の絵を残した。光子の行動が描いた物語は出発点にもどり、丸い円を描き完成させたともいえる。このあたりは自由解釈である。

この作品の前に、谷崎さんは松子さんと出逢っていて、この大阪弁も松子さんと出逢うことによって作品に取り入れるきっかけをつかんだのかもしれない。大阪弁がなければ、谷崎さんの耽美主義も完成度を低下させていたということである。大阪弁によって新たな開拓をしたのである。『細雪』は大阪弁でも船場言葉ということで、一般の大阪弁とはちがうらしい。大阪弁も何となくの段階であるから、大阪弁と船場言葉とどう違うのかも判らない。谷崎さんが耳に受けたイントネーションで朗読を聞いてみたいものである。

小津安二郎監督の『彼岸花』も、山本冨士子さんが大阪弁で、小津監督の映画のなかで、いつもとは違う明るさとテンポを作り出しているのが印象的で大阪弁の不思議な効果を感じた。

谷崎さんは映画にも関係していて、横浜にあった映画会社・大正活動写真株式会社の脚本顧問として参加し映画4本に関係したがフイルムは現存していない。この時女優として千代夫人の妹さんも参加していて、義妹は『痴人の愛』のインスピレーションを与えた女性でもある。岡田茉莉子さんの父上の岡田時彦さんも、高橋英一という名前で出ていた。谷崎さんはこの時期北原白秋に勧められ3年ほど小田原に住んで居る。

お墓は、京都の哲学の道に並ぶお寺の一つ法然院にある。慌ただしく満杯の計画の旅の時期(今よりも)に訪ねた。境内の奥のほうにあったと記憶する。桜の下に自然石のお墓が二つあった。<寂>と<空>の一字で潤一郎書とかれていて、谷崎さんと松子夫人と思ったらそうではなく、<寂>は谷崎御夫婦で<空>は松子夫人の妹重子さん御夫婦の墓である。訪れたというより、「なるほど。」と通過に近い。あの時は、南禅寺の境内にある琵琶湖疎水の水路閣から、疎水沿いに歩いて、地下鉄蹴上駅までをも予定に入れていたのである。

ついでに、京都市動物園の琵琶湖疎水側の仁王門通りに山県有朋さんの別荘<無鄰菴>があり、庭が小川治兵衛さん作である。東山を借景にしている。山県さんは小田原に<古稀庵>、東京には<椿山荘>がある。政治的手腕は置いておき、庭に対する造詣は深かったようである。<古稀庵>へはまだ行っていない。

自分の理想とする女性を探しもとめ、その感性と天才は<絢爛たる物語世界>を創造し闘い続けた。

 

谷崎潤一郎生誕の地碑  東京の人形町で誕生しています。鳥料理店玉ひでのすぐそばで建物の間の一隅にあります。碑は谷崎松子夫人筆。

 

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