腕に抱え込んだ継続 (小村雪岱)

沢山の遣り残しを抱えての年越し、そして、新年になりそうである。大河ドラマ『平清盛』は終わったけれど、自分の中での『平家物語』は続いているし、その他の事もまだまだ続きそうである。

泉鏡花の『日本橋』も、舞台や本の中身だけではなく本の装幀が水面下で続いていてここにきて顔をだしたのである。ある時、素敵なポストカードにめぐり合った。真ん中に日本橋・鏡花小史と書かれ、川を挟み両脇の河岸には倉が並び川には荷を運ぶ船が数多く行きかい、そこに赤・黄・薄墨色の蝶が多数飛び交っているのである。モダンな絵でこれが鏡花の『日本橋』の本の装幀とは思えなかった。気に入って購入し忘れていた。秋に「大正・昭和のグラフィックデザイン ~ 小村雪岱展」の広告を目にし<「大正・昭和のグラフィックデザイン>に引かれ見にいって驚いた。ポストカードの絵はやはり鏡花の『日本橋』の本の装丁で、この小村雪岱さんは『日本橋』が始めての装幀であり、ここから鏡花の多くの本の装幀をしているのである。

さらに、挿絵、舞台装置、映画のセットなども手がけていた。年末近くに図書館で「日本橋檜物町」(小村雪岱著)が見つかり小躍りしてしまった。大正・昭和初期を匂わす文章力はすばらしい。遺した文章は多くはなく、この本は雪岱の死後、有志の計らいで出来た貴重な一冊とある。よく本にしてくれたと思う。

鏡花のことも書かれており<東海道膝栗毛は御自分でもいろ扱ひとまで言って居られ、枕元に2・3冊、旅行中も数冊入れていた>とあり意外であった。

幼くて父を亡くし小村さんは大変苦労されているが人物も草木を見る目も澄んでいる。川越で生まれ4歳で上京、5歳で父を失いそれまで住んでいた下谷根岸から祖父母と共に川越の叔父の家へ引き取られる。浅草の花川戸から荷物と共に船で途中一泊して川越へ越す。その時反対に田舎から東京に渡る船にぼんやり水面をみつめる女性について<今にも降り出しさうな曇空の下の滔々と濁った大川の水の上で、思ひがけなくも見かけた其の姿を、限りなく美しくも亦淋しく思った事でした。>川越に落ち着いてから<其処は旧城下の廓内で、菜種や桐の花が咲く夢の様な土地でしたが、船の中の女は時々思ひ出されて、その運命が儚く想像されるのでした。>と書かれている。

すでに母も失くし15歳で上京し、日本橋檜物町の安並氏の家に入り、このかたの厚意によって画道の修行に励めたようである。

歌舞伎の舞台も多く手がけ、戸板康二さんは、『一本刀土俵入』の取手宿我孫子屋の場について<菊五郎(六代目)の駒形茂兵衛の入神の技とともに、この場面がわすれられなかったと見え、長谷川(伸)氏は自宅の玄関に、その模型舞台を、置いていた。>とある。

舞台装置と映画のセットとの相違点、衣装、小道具などについても短い文の中に、説明文ではなく一つのエッセイとして書かれ、文を味わいつつ仕事ぶりを堪能できるという幸運に巡りあえた。その幸運を記しているうちに新しい年も迎え良き年となりそうである。

 

 

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