予定外のテレビ番組

年末年始にかけてのテレビ番組、気がついたものは録画をセットしたのであるが、30日から予定外のテレビ番組を偶然にも途中から見る事となった。

30日。TBS「たけしが釣瓶に今年中に話しておきたい5~6個のこと~其の四」去年偶然にみて可笑しくて最後にたけしさんがチラッと落語の<野ざらし>をやってくれたのが抜群で、早一年たち忘れていたのが今年も見れた。来年、たけしさんは落語<お見立て>をやると宣言した。志ん朝さんの<お見立て>は聴くべきだとも。釣瓶さんは師匠・松鶴の話に変えた<かんしゃく>をやるそうで、カレンダーに印をしておかなければ。

31日はNHKBSプレミアムで高倉健さん特集。映画があるのは知っていたが、「プロフェショナル男の流儀」の密着取材があるのは知らなかった。健さんは撮らせないと思っていたので慌ててバタバタしつつもしっかり見た。健さんが任侠映画の自分を好きでないのが判ったように思えた。九州の炭鉱で生まれ育っていたのだ。人が命を失うような喧嘩を見ているのだ。それは義理とか人情とかとは別の次元なのであろう。だからこそ虚構の映画の世界ができるのであるが、健さんは簡単に折り合いをつけるタイプではないようである。それと、そういう男の世界からドーランを塗る世界に入ったことに屈折した思いがあるようだ。一番いやなのは自分の言ったこと、行動したことが凄い事として捉えられる事で、面映いようなのだ。スターになるとどうしても伝説は作られる。律儀な方で<高倉健>を演じられてしまうのかもしれない。そしてそういう自分がまたイヤだったりするのかも。などと余計な迷惑千万な事を感じてしまう。1日にテレビ朝日で特別篇の「徹子の部屋」を途中から見ていたら以前でた時の健さんが出られ、大学を卒業し実家に帰り、東京にいる女性のために家を飛び出したと言われてた。健さんが言うと絵になってしまう。それがまたいやなのでしょうが。今現在、これからも映画をやりたいといわれたので、観客は健さんの律儀さとは別のところで役者<高倉健>を楽しませてもらう。

「徹子の部屋」に嵐寛寿郎さんも出られ、7年丁稚奉公したと言われてた。仕事は朝5時から夜12時まで。そこの主人が亡くなったので辞め、お祖父さんが文楽の人形使いだったのでその関係から歌舞伎の世界に入り、同じ頃、長谷川一夫さん、市川右太衛門さんと三人がいつも腰元の<申し上げます>をやっていたと。映画に移ってすぐ「鞍馬天狗」でスターに。

最後は長谷川一夫さんで、どうして着物をゆとりを持たせて着るのか手を袖から抜いて襟元からだし色々な動作を説明してくれ、いかに体がそれを覚えてしまっているかを目の前で繰り広げてくれた。軍隊では、弟子として炊事・洗濯・掃除すべてやっていたので皆の好奇の目が好意にかわったと。三人の上官の名前をどうしても覚えられない人がいて節をつけて覚えるように教えたら、縄を50メートル作れと命令され困った時その人が上手で「これは長谷川のだよ」といって編んでくれてありがたかったと涙ぐまれた。

その前にBS・TBSで小三治さんの「死神」を聴くことができた。

日本橋から品川までのプチお徒歩(かち)の時、<芝浜>の場所が判ったので、志ん朝さん・談志さん・小三治さんの三師匠の<芝浜>を今年の聴き初めにと思ったが、小三治さんの「死神」からはじまった。三が日中には、「お見立て」「芝浜」を聴かなければ。「芝浜」はこのお三方のしか持っていないのである。

それにしても、予定外のテレビ番組に遭遇し時間を取られてしまった。録画だとついつい見るのが後に引きの伸ばしとなるので良かったのかもしれない。

 

 

 

 

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