昼の部は【通し狂言 御摂勧進帳(ごひいきかんじんちょう)】。これも「義経記」を土台にして作られた作品らしい。本歌どりのパロディの感があるが「勧進帳」よりも約70年前にあったというから驚きである。能は武士が愛好し庶民は人形浄瑠璃や歌舞伎を愛好し芸能の階層のようなものがあった。歌舞伎の「勧進帳」は能の「安宅」を基にしており、直接見れないので、能舞台の床下に潜んでぬすんだというようなこともきく。
<暫><色手綱恋の関札><芋洗い勧進帳>
昼夜共に若い役者さんがずらりと並び、あれは誰でと楽しんで確認しつつ見ていた。書くほうも歌舞伎の専門用語はきちんとしていないし、筋は頭に入っていないしで若い方と共に勉強させてもらった。
やはり歌舞伎は難しい。江戸時代の人々は、「平家物語」なども琵琶法師の語りから聞いていて、もっと歌舞伎の物語が身近のものであってお弁当を食べつつでもわかったことであろう。その辺の感覚が今とは違っている。楽器も琵琶から三味線へと変わり、浄瑠璃・一中節・常磐津・長唄・端唄などその違いの耳を持っていたことだろう。羨ましい。
夜の部の「籠釣瓶花街酔醒(かごつるべさとのえいざめ)」は何回か見ているので、菊之助さんの初役の八ツ橋がたのしみであった。菊五郎さんも次郎左衛門は初役だそうである。
顔にあばたのある佐野の大百姓次郎左衛門(尾上菊五郎)が吉原の花魁道中で八ツ橋(尾上菊之助)に微笑みかけられ心奪われ八ツ橋のもとに通う。この八ツ橋の花道での微笑みが見せ場であるが、菊之助さんの八ツ橋は綺麗で愛らしかった。この微笑みは次郎左衛門に向けたわけではなくちょっと微笑んだだけが、次郎左衛門にとってはそうではなくなってしまい、身請けの話まで進んでしまう。八ツ橋には浪人の栄之丞(坂東三津五郎)という間夫(まぶ)がいて次郎左衛門との縁切りを迫られる。このとき菊之助さんはかなり気持ちを露にし泣き崩れるが、間夫を目の前にすれば惚れた男とただのお客との比較でここではそこまで感情を出さなくてもと思ったが。愛想づかしのところでだんだん気の毒な気持ちが出てくるのではないだろうか。しかしそこを押し通す辛さを押さえての愛想づかし。少々ヒステリックに見えた。それは菊五郎さんの次郎左衛門が傷つけられた気持ちをかなりストレートに出しているからか。今までの愛想づかしと違って感じられた。ここでも若手の役者さんが並び頑張っていた。
「奴道成寺」は三津五郎さんの踊りで、花子になりすましてしていたのがばれた時の愛嬌、三つの面を使っての踊り分けなど巧みであった。
松也さん・梅枝さん・萬太郎さん・右近さん・廣太郎さん・宗之助さん等がこれから育っていくと役者さんの層も厚くなり楽しみである。