寺山修司没後30年「寺山修司◎映像詩展」

映画館シネクイント(渋谷パルコ パート3・8F)で寺山修司の映画特集を開催している。

寺山修司没後30年/パルコ劇場開場40周年 ~幻想と詩とエロチシズム~「寺山修司◎映像詩展」

4月11日<意外なところで楽しい発見>で関容子さんの著書「舞台の神に愛される男たち」を紹介したが、そこに出てきた方が寺山修司さん関係の映画の上映に際しトークショーのゲストとして名前があった。「乾いた湖」上映後、篠田正浩さん(映画監督)×九條今日子さん(元寺山修司夫人/プロデューサー)。「無頼漢」上映前、白井晃さん(演出家・俳優)。

関さんの本の中で篠田正浩監督は、山田太一さんと寺山修司さんの大学の先輩で、お二人の様子を 「寺山と山田は仲がよくて、毎日学校で顔を合わせてるのに文通しているんだからね(笑)」 と証言(?)されている。山田さんによると、とにかく幾ら話しても話し足りなくて、別れた後も手紙に書いていたのだそうである。これは楽しい話が聴けそうだ。白井さんは、申し訳ないが舞台も映画もドラマも観ていない。機会があれば観たいと思っていたらお名前が。それも映画「無頼漢」の前。「無頼漢」はDVDで観て非常に面白く、寺山さん脚本で篠田監督なので大きなスクリーンで観れるのは幸せであり、白井さんと寺山さんの関係も興味がある。

篠田監督と九條今日子さんのトークは予想通り楽しかった。寺山さんがSKD時代の九條さんに惚れこみ「乾いた湖」に出てもらうため篠田さんが、寺山さんと一緒にシナリオを書いていた神楽坂の川田旅館に来て貰い、それが寺山さんと九條さんの縁で、九條さんは篠田さんだから行ったので篠田さんからで無ければ行かなかったし、寺山さんとの縁も無かったと言われた。その川田旅館は、川田晴久さんが奥さんにやらせていた旅館で、川田さんが松竹で美空ひばりさんと共演したギャラがそちらに廻ったらしく、松竹関係の人達もよく利用していたらしい。「乾いた湖」のシナリオを篠田監督と寺山さんが書いている隣の部屋で大島渚監督たちは「太陽の墓場」のシナリオを書いていて、寺山さんは大島監督の政治的行動を意識して自分として意見をシナリオの中に書いていた部分もあるようだ。話を聞いているだけで当時の熱さがわかる。

「小津監督の「東京物語」、木下監督の「二十四の瞳」、大庭監督「君の名は」で松竹は年4回のボーナスがあり、その後映画界は斜陽の兆しが見え始め次の監督を作らなければならない。どんな映画であれば良いか会社も判らず、好きにさせてくれたところがあった。」

篠田監督と寺山さん(脚本)は6本の映画を作っている。 「乾いた湖」(寺山さんの映画初脚本) 「拳銃よさらば!『みな殺しの歌』より」 「夕陽に赤い俺の顔」 「わが恋の旅路」  「涙を、獅子のたて髪に」(篠田監督も脚本参加・寺山さん作詞も担当・加賀まりこさんデビュー作)「無頼漢」(河竹黙阿弥の「天衣紛上野初花」を題材にしている。斬新で舞台人も多数出演。)

観客の方の質問「瀬戸内三部作は寺山さんの何かに通じるのか」に対し篠田監督の答えは「小津さんが子供の映画が作れなくては監督としてダメだといわれた。小津さんも「生まれてはみたけれど」、木下さんが「二十四の瞳」、大島渚も「愛と希望の街」「少年」を撮っている。松竹の伝統のようなものです。」

「夕陽に赤い俺の顔」 は 5月27日(月) NHK・BSプレミアム 13時から 放映される。

白井晃さんは寺山さんの本から衝撃を受け大学受験のとき寺山さんの劇団の「天井桟敷」を目の当りにしてこんな演劇があるのかと驚愕。ただそこに自分が入ろうとは思わなかった。ただ劇団のエキストラ見たいなのには出たことがあり、劇団の稽古を観に来て寺山さんの声が聞こえてきて「ああ!寺山さんだ!」と声だけで感動をおぼえたと。寺山さんの作品の舞台映像は観たことがあるが寺山さんの実際の舞台を観ていないのと、白井さんの舞台も観ていないので、その辺のつながりが判らなくて残念であったが、白井さんが舞台をやりたいと思わせたのは寺山さんの存在であろうことは判ったし、今は無い<怖い舞台>だったそうである。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です