柿葺落四月大歌舞伎 (六)

【第三部】 二、勧進帳

「勧進帳」は長唄の中でも一番多く聞いている作品である。舞台を観てても音楽と役者さんと一体感に成れる作品でもある。弁慶は幸四郎さんである。幸四郎さんはミュージカルも多く演じられており、五線譜の洋楽と邦楽では間が違うのでは無いか、違和感は無いのであろうかと思うがどうなのであろうか。

平家追討に大きな業績を残しながら、それが義経の想いとは違う方向に進み、兄頼朝の不興をこうむってしまう。義経の若さ、一途さと云う事でもある。芝居での義経は強力(ごうりき)に身をやつしても品良く振る舞い、じっと弁慶に従うが、義経は梅玉さんである。弁慶はいかにして義経の存在を消し安宅の関を越えるか。義経は居ないのであるから何の懸念も無いという大きさがその知略を現す。そして、弁慶と同じように義経を思う四天王を従えている。四天王の染五郎さん、松緑さん、勘九郎さんはこれから弁慶を受け継いでいく方たちなので力の入れ方が凄い意気で伝わってくる。弁慶とその三人の間を持つ左團次さんも良い位置にある。これらを束ねつつ弁慶は関を守る富樫・菊五郎さんとの対決である。弁慶は何も書いていない勧進帳を読み上げるが、これが源平の戦で焼けた東大寺再建の勧進である。平重衡が火を点けてしまった奈良炎上で焼失した東大寺ある。誰もがすぐ思い浮かぶ事実である。上手く事は運び関を一行は通ろうとするが番卒が強力が怪しいと富樫に進言する。富樫は引き止める。

怪しまれた弁慶は主人の義経を杖で打ちすえる。もし義経であれば、家来がそんな事は出来るわけが無い。富樫はそこまでして主人を助けようとの弁慶の心意気にうたれ、逃がしたことが知れると自分の命が危ないのに係わらず見逃すのである。この辺の緊迫感とそれぞれの内面が少ない動きで分かるのが面白い。富樫が引いた後、弁慶は主人を打ち据えてしまい身の置き場がない。そんな弁慶を義経は手を差し伸べ労わるのである。これには泣かない弁慶もついに涙してしまう。

そこへ富樫が再び現れ疑ったことを謝り弁慶に酒を勧める。本当であれば断って早くこの場を立つところであろうが、そこは富樫の温情に答え酒を豪快に飲み延年の舞を踊る。ここは観客への緊張感からの開放でもある。そして楽しんでいると見せながら何気なく義経たちを先に発たせるのである。ここがまだ気は許してませんよと観客に思わせる好きな仕草で、幸四郎さんは軽快にやられた。そして一行が花道から去り姿が見えなくなって初めて弁慶は安堵するのである。お客も弁慶が無事義経を安宅の関を抜けさせた功績と弁慶役者が無事ここまで成し遂げたことに安堵し弁慶とそれを演じる役者とが一瞬切り離され役者さんを讃える空気が生まれる。

最期、観客も弁慶にもどり、弁慶は大きく六法で花道を引っ込むのである。

四天王の若手三人が本当に真剣な眼差しで全身に力が入り、自分達が次には演じるだという気迫が感じられ、動かなくても頭の中では動いていたと思われる。富樫に見破られたとき、<かたがたは何ゆえに・・・>から四天王の勇みを押さえる弁慶に迫力と威厳があり、しばらくはこの世代間の葛藤が楽しめる様に思える。

 

柿葺落四月大歌舞伎 (六)」への2件のフィードバック

  1. 古い?映画は、あまり心惹かれませんが(ゴメン!)・・・・歌舞伎は、一度も本物を見たことが、ないのですが、機会があれば~触れてみたい分野です。ですから~貴方のブログを見ていると、とても描写が細かいので~なんだか歌舞伎を見ているような楽しい錯覚を感じます。歴史の勉強にもなりますね。すっかり忘れていた人物達を私の中で再登場させています。

  2. コメント有難う御座います。見るのが遅れてすいません。歌舞伎は自分の中でもう一度基本から確認したいと思って書き込みしているのですが、観たことの無い方に興味をもっていただき嬉しいです。
    私もこんなに歴史と結びつき次々繋がりを持つので楽しいと同時に読みたい本が積み上げられ時間の無さに涙です(笑)
    今夜、5月5日、NHKテレビ(夜 9時から)にて「新生・歌舞伎座」が放送されますので宜しければご覧下さい。芝居ではなく舞台裏の様子と思いますが参考になるかもしれません。

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