数奇な茶室「如庵」

浅田次郎さんの話によると、文学教室の開催された有楽町・よみうりホールの場所から有楽町駅にかけて阿波藩蜂須賀家の上屋敷があり、東京国際フォーラムのあたりには土佐藩山内家の上屋敷があったそうだ。

有楽町の名前は、織田有楽斎が住んでいたのでその名が町名として残ったようである。

有楽斎は織田信長の実弟で、織田長益と言ったが、剃髪してからは有楽斎如庵と号している。

「如庵」(じょあん)といえば国宝の茶室「如庵」である。

「如庵」は、有楽斎が京都建仁寺の正伝院を再興したときに建てた茶室で、その後各地を転々とし、今は有楽斎の故郷尾張に落ち着いている。

明治に入ってから京都祇園町の有志に払い下げられたが、その後東京の三井家本邸に移築され、昭和11年国宝に認定される。

さらに神奈川県大磯の三井の別荘城山荘に移築され、最後は名古屋鉄道の所有となり、現在の犬山市にある有楽苑内に落ち着き公開されているのである。

東京では日本橋にある三井記念美術館の中に、「如庵」の室内を再現しているので様子を知ることができる。また大磯の県立大磯城山公園に「如庵」を模した「山城庵」があり中に入れてくれるので、「如庵」の雰囲気を味あうことができる。

有楽苑で国宝ということで見てきてはいるが、じっくりと出会うのは模造の方で本物と偽者も解かるまでには時間のかかることである。いや解かったわけではなく「如庵」という国宝の茶室があるという事実を知ったにすぎないが。

「如庵」の前に見た犬山城のほうが感動し、犬山城からみた木曽川も勇壮で、どうもそのほうに心を奪われていたようにも思う。

 

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