郡上八幡での<郡上おどり> (3)

夜、7時から活動再開始。宿泊所は掃除が行き届き、高野山の宿坊を思い出した。規則を守ればご自由にという感じも気に入った。ただ門限10時は、踊りが10時半までなので最後まで踊りたい方には適しないかもしれない。

今回は初めての参加なのでジーンズと靴の参加である。ポシェットを忘れたので、小銭や小物を収納するためポケットの多いジーンズとする。宿泊所に夕食が付いていないため、近くの飲食店に飛び込む。出来あがっているお客さんも居て、気さくなお上さんが話の輪に入れてくれる。ここが、地元の方と触れ合う短いが楽しい時間となった。やはり踊るなら宵越しの期間が良いと言われる。今日は何処が会場?と反対に聞かれてしまう。城山公園ですと答えると、やはり街中で踊るのがいいわよと。初めての経験ですから、先ずは踊って次の機会の楽しみにします。来年もおいでね。もちろんですと答えお店を後にする。(来る要領を伝えれば仲間の何組かは勝手それぞれに計画するであろう)

通りでは何やらお囃子の音がしている。何のお神楽であろうか通りを練り歩ている。岸剱神社関係のお祭りらしい。多種のお祭りや慰霊祭があってその為に踊るらしいのであるが、獅子やそれを刺激する子供もいて、襲ってくる獅子から逃げて太鼓を叩いたり、鼓を打つ子供もいたり、大人と子供が一緒になって練り歩く。地元の人達中心のお祭りである。しばらく後を着いて眺めつつ、道を別れて城山公園に向かう。次第に郡上おどりのお囃子と歌う声が聴こえてくる。そのまますぐ踊りに参加である。お城の天守閣がライトアップされ見下ろしている。

中心に、移動できる屋形がありその上でお囃子と歌い手がおり、その周りを適当に輪になり踊るのであるが、参加型なので丸くはなっているがいびつな丸である。参加した人は輪の中心方向のこの人の真似をしようと思う人を見つけ、真似をし覚えていくので、綺麗な輪にしようなど気を廻すゆとりはない。だから隣の人と手と手がぶつかったりするのであるが、それが踊っていくうちに自分がどうすれば良いかが分かってくる。伸ばす手を真横から少しづらしてぶつからないようにするとか、出入り自由であるからその間隔を踊りつつぶつかりつつ、分かってくるのである。それに気がつくとその気の配り方も踊りの楽しさになる。目をつけた先輩の踊り手が視界から消えると次の師匠を捜す。<春駒>などは踊り易くてどんどん気持ちがエスカレートして行く。でも疲れてくると飛び跳ねるのをやめて息を整える。人に見せるためではないから自分で自由に調節できる。そうすると掛け声もあることに気が付き、その掛け声を出すのが楽しくなる。リードするお囃子さんが、踊る人々の様子を見ていて<やっちく>のような語りものに入り、踊り手は単純な動きをしつつ、その語りに耳を傾け掛け声をかける。踊っているうちに、郡上おどりの楽しみ方が次々見つかっていく。この流れも病みつきになる原因かもしれない。今度は歌を口ずさめるようにしようと、次の目標も決まる。

毎回、上手に踊れた人に保存会から「免許状」が渡されるようで、今回の課題曲は<猫の子>のようである。何回も参加される人にとってはそれも楽しいお土産かもしれない。<かわさき>の足が難しく練習した時も四苦八苦であったが、すでに忘れていて誤魔化し続け終わりころにやっと合い始めた。足は誰も見ていませんであるが、手も誤魔化しである。

<かわさき>は郡上おどりの代表歌で、伊勢古市の里で唄われた川崎音頭が流れてきて郡上に伝承されたといわれている。伊勢音頭など伊勢古市はこうし歌と踊りを生み出したメッカである。伊勢音頭というと歌舞伎の『伊勢音頭恋寝刃(いせおんどこいのねたば)』を思い浮かべてしまう。

9時半過ぎに輪から離れ帰途につく。体調も持ち、楽しい気分で帰れるのが嬉しい。

次の朝は雨。

郡上のナ 八幡出てゆくときは   雨も降らぬに 袖しぼる

袖を濡らさぬ恵みの雨であった。と思ったら地域によっては集中的に降ったらしい。東海道線も昼の落雷で大幅に電車が遅れたり運転中止だったようだ。途中から東戸塚の友人にメールすると会えるということで途中下車。久しぶりに歓談。雨のため隅田川の花火は中止になったとか。自然の動きが今一番分からない分野である。これを考えると少しでも分かる分野は補修可能と思うのだが。

 

 

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