<能>を題材とした映画 『獅子の座』『歌行燈』 (1)

今、能を題材とした映画で思いつくのは、『獅子の座』と『歌行燈』である。

『獅子の座』(昭和28年)は、宝生流の15代と16代の子供時代を中心にその周囲の動きを題材にした映画で、国立劇場あぜくら会の集いで見ることができた。5、6年前なので解説者(増田正造)やゲスト(茂山忠三郎)のかたの話は記憶に残っていないのであるが、資料として貰った増田正造さんの一文は映画ファンにとって大変興味深いものである。

監督・伊藤大輔/原作・松本たかし(初神鳴)/脚色・伊藤大輔・田中澄江/音楽・団伊玖磨/美術・伊藤熹朔

出演  宝生彌五郎・長谷川一夫/妻久・田中絹代/息子宝生石之助・加藤雅彦(現津川雅彦)/義妹お染・岸恵子/幾太郎・堀雄二/幾右衛門・大矢市次郎/与兵衛・伊志井寛

伊藤監督は、幼い頃から能が大好きで、能を主題とした映画を作りたかったが、戦前は映画の一部に能楽をとりいれることがタブーとされ、やっと戦後実現したが、能に溺れすぎて熱くなりすぎ「失敗作」と語ったそうである。能の敷居はそれだけ高く、無闇に能の世界を外に持ち出すことはタブーだったのであろう。映画の中で、絵を描くためにと頼まれて能の形を見せ破門になる弟子も出てくる。伊藤監督は能を難しく考えている映画の観客のため「羽衣」「忠信」「石橋 連獅子」を選ばれ、能に関心を持って貰いたいと考えた。観客に迎合し過ぎたと思い失敗作と思ったのであろうが、興行成績は大成功であったようで、配役からしても、映像になったことのない能の世界であるから想像はつく。

宝生家の二人の息子を巡る内紛と16代目宝生九郎の雷嫌いは有名な話らしのであるが、雷嫌いは大きな問題へと発展するが、内紛は映画を見た限りではテーマとなってはいない。

15代宝生流宗家彌五郎は、一世一代の勧進能を催すことになる。この能には将軍徳川家慶が上覧し、江戸庶民も観覧できるのである。ところが、長男の石之助は雷嫌いで、親子で舞う「石橋 連獅子」の時雷雨となり、石之助は舞台に対するプレッシャーと雷の恐怖から楽屋を逃げ出してしまう。彌五郎は事の次第から切腹も覚悟するが、石之助は弟子に見つけ出され、無事舞い終えるのである。

ここまでの間に、芸の鍛錬の厳しさなどが描かれる。彌五郎の妻久は石之助に無事大役を果たして貰いたく厳しさをが増す。確か水を満杯にした<桶>を頭の上に乗せ水をこぼさない様に摺り足を練習させる場面もあったように思う。神経質な石之助は益々萎縮していき彌五郎も見かねて久に注意したりするが、舞台の成功を祈り水籠りなどもし、あくまで子を思う母の気持ちは変わらない。その気持ちを、彌五郎は舞台の終わった夜、屋根の上で石之助に語り親子の絆は一層深くなるのである。

長谷川一夫さんは、父・彌五郎の優しさと切腹を覚悟する芸道に殉じる気持ちを表し、それと対称的に田中絹代さんは盲信的に息子の成功のために鬼となる母性を押し出した。芸を引き継ぐ環境の中で、息抜きの場所を見つけたり、逃げたりする石之助の津川雅彦さんは子役の頑張りである。石之助を見つけ出す弟子幾太郎の堀雄二さんは、久の妹のお染の岸恵子さんの頼みで羽衣の能の形を見せ、それをお染が描き、許しもなく芸を披露したことのために破門となる。見ていてまずいことになると分かるが、岸恵子さんのような美し人に頼まれると嫌とは云えないのもわかる。白黒であるが、着物や能衣装の美しさが際立つ。

増田さんは、「この映画は、宝生流一門と、能楽界の総力をあげての協力の記録でもある。」と書かれている。増田さんの「映画『獅子の座』によせて」の一文は映画好きにはワクワクさせる内容で、映画『獅子の座』を思い出させる大きな手助けとなった。

 

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