<能>を題材とした映画 『獅子の座』『歌行燈』 (2)

<能>を題材とした映画 『獅子の座』『歌行燈』 (1)で、>戦前は映画の一部に能楽をとりいれることがタブーとされと、増田正造さんの文を参考にして書かせてもらったが、『歌行燈』のほうが昭和18年で『獅子の座』より10年先にできた映画である。『獅子の座』のほうは原作が能に関係している方であり、『歌行燈』は泉鏡花原作で、架空の文学作品ということもあるのであろうか。但し能楽考証として伝統芸能研究者の松本亀松さんの名前が出てくるだけであり、能楽指導の方の名前はない。仕舞の場面もあるだけに、このあたりはミステリアスである。

成瀬監督は「内務省もうるさかった頃ですからね、よくやったと思う」と言われている。芸に精進する一生懸命さが、戦中ものとして許可されたのであろうか。成瀬監督は、この後、昭和19年に『芝居道』(長谷川一夫、山田五十鈴)の芸道物を撮っている。

映画『歌行燈』は、東宝映画と新生新派提携作品である。

監督・成瀬己喜男/原作・泉鏡花/脚本・久保田万太郎/時代考証・木村荘八/能楽考証・松本亀松 / 出演 花柳章太郎・柳永二郎・大矢市次郎・伊志井寛・山田五十鈴

若手の才能ある能役者の恩地喜多八(花柳)は、名古屋公演あと、父(大矢)や叔父(伊志井)と伊勢を回りゆっくりしようと列車に乗るが、そこで、古市にあなたたちより凄い謡の師匠宗山がいるといわれる。古市に着くと喜多八は宗山を訪ねる。宗山は元は按摩で今では3人の妾もおり、周囲からはよく思われてはいなかった。喜多八は宗山の謡の浅さをしらしめ立ち去る。そのとき、宗山の娘のお袖(山田)を妾と思い「死んでも人のおもちゃに成るな」と叱責する。宗山は自分の芸を辱められ自殺してしまう。そのことにより、喜多八は父から勘当され、謡をうたうことを禁止され門づけの旅烏となる。

お袖のほうも父を亡くし、伊勢山田で芸者に出るが三味線が出来ず、芸がなければ嫌な仕事につかなければならない。喜多八の門付けの博多節の上手さから客のつかなくなった次郎蔵(柳)が、喜多八の声の良さが気に入りご祝儀の貰い方を伝授してくれ、ひょんなことからお袖のことも話してくれる。

喜多八はお袖に会う。お袖は、ある人から「死んでも人のおもちゃになるな」と言われたので、自分はそれを守りたいが三味線も出来ず何の芸もないと涙する。喜多八は宗山への仕打ちの悔恨もあり、お袖に7日間だけ仕舞を教える。この場面が重厚で美しい。鼓ヶ岳の林の木漏れ日の中での仕舞の伝授。いそいそと稽古に向かうお袖。それを迎える喜多八。新派ならではである。7日目に喜多八は去る。

お袖は、山田にも居られなくなり桑名で芸者となる。お座敷二日目に客の前で一つだけある芸の仕舞を披露する。喜多八から伝授された謡曲「海人」の一節「珠取り」の舞である。その二人の客は喜多八の父と叔父であり、お袖が喜多八から伝授されたことを聞き、父は謡をやり、叔父は鼓を打つ。それを、酒場で耳にして、喜多八が駆けつける。勘当されてから2年、全ては氷解し喜多八も謡に参加し、お袖が舞うのであった。

仕舞の舞台、練習場面、お座敷での仕舞、謡などが豊富であり、山田五十鈴さんがしっかりと男性陣について行きつつ、最後は圧倒する。「死んでも人のおもちゃになるな」の言葉を秘めての生き方もお涙ちょうだいにはならず、真摯さがいじらしい。それでいて貫禄を備えている。大きな女優さんの例えが似合う役者さんである。

泉鏡花の母は江戸育ちで、生家は葛野流の鼓の家であり、兄は能楽師である。

古市は歌舞伎『伊勢音頭恋寝刃(いせおんどこいのねたば)』の舞台でもある。古市の廓・油屋で孫福斎宮(まごふくいつき)が起こした刃傷事件を、歌舞伎にしたものである。歌舞伎では、主人公・福岡貢とその恋人油屋の遊女・お紺の話となるが、二人を弔う比翼塚が、大林寺にある。伊勢に旅したとき寄ったが、歌舞伎で想像するような昔の面影は街には残っていなかった。

最後に増田さんの文から伊藤監督が『歌行燈』を意識したかもしれない一文を紹介して終わる。「雨の上がった夕焼け。「母の情けありがたや」と、「小袖曽我」を謡う父子交流のラストシーンは、「田中絹代を画面にだせ」という松竹側と、「それでは新派劇になる」という監督との間に、はなはだしい論争があったという。」

 

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