旧東海道・神奈川宿から保土ヶ谷宿(~戸塚宿)

やっと旧東海道歩きの仲間たちの神奈川宿から保土ヶ谷宿に参加できた。

東海道川崎宿から神奈川宿で、仲間たちの心残りを書いた。<神奈川宿に入る手前に生麦事件の場所がある。薩英戦争にまで発展した事件である。それよりも歩いた仲間たちは、京急生麦駅の近くにあるビール工場に寄りビールが飲みたかったと残念がっていいた。心残りはそれらしい。> 次の神奈川宿から保土ヶ谷宿の時、生麦に寄ってビールを飲んではどうかと提案したら早速、キリンビール横浜工場の見学に申し込みをしたと連絡が入り、実行となった。ビール飲むなら行くという人も現れた。

京急電鉄の生麦駅で6人集合。無事保土ヶ谷まで着くのであろうか。途中に生麦事件の碑があったが工事中のため一時的に移転して現在の場所にある。

キリンビール横浜工場は予想以上に広大でさらに工事をしているらしく見学入口まで、ぐるりと回った感じである。ホップを手にし、麦芽を口に。香ばしい。ビンビールのビンを軽くしたり容器にも工夫をしている。なるほどなるほどと思っているうちに、お待ちかねの試飲である。種類を変えて三杯までOK!一杯目がまろやかで美味しい!その時ビールの美味しい注ぎ方を実演してくれてそれに見惚れてて慌てて二杯めを。そこで時間切れ。しっかり要領を解っていて三杯目をクリアーした人もいる。ビール工場を二つ周るツアーに参加し、六杯きちんと飲んで来たそうであるからさすが。心残りがまたまた残った人もいたが、もう次の事を考えていた。ビールを自分でつくり送ってもらうという有料体験コースもあり、これは人気で抽選だそうでこれに次は挑戦するようだ。

生麦駅にもどり、そこから電車で神奈川駅へ。人任せなので呑気なものである。一人の時は地図とにらめっこである。生麦事件のイギリス人は横浜の根岸競馬場からの帰りという話がでる。あの競馬場は外国人用の競馬場だったとか。調べていないので事実かどうかは定かではない。どんどん歩いていて、先導者が、あれ!あっちは横浜よね。旧東海道を飛ばしてきたのかな。立ち止まりつつ、その交差点の高台側にある欄干が青海波の模様の橋が気になっていた。狭い橋のようであるが、人が歩き車が走る橋。何故かあの橋が気になるんだけど。うん。気になる。とにかくあそこの橋まで上がってみよう。

正解。旧東海道であった。もどることとする。神奈川駅から青木橋を渡り、大覚寺と書かれている高台まで、まず上がるべきであったのだ。先導者これが東海道よ。さっきのの橋が上台橋。そこを神奈川駅方面にもどると、台の関門跡がある。さらに台の茶屋跡。広重の<台の景>の場所である。そこに案内版があり、今も残っている「田中家」さんという料亭は坂本竜馬のおりょうさんが働いていたところだそうだ。そこに広重の版画の写真もあり、まさしく東海道の面影がある。田中家さんの前身さくらやもある。かつては左手は海だったのである。横浜は海だったのですからね。

ふりだしにもどり本覚寺へ。横浜開港の時、アメリカ領事館となったお寺である。下まで降りてまた最初に通った道を引き換えす。途中食事をして、今時珍しくにぎやかなシルクロード天王町商店街を通り、帷子(かたびら)川にかかる帷子橋をわたり無事JR保土ヶ谷駅へ。

人任せは楽で楽しいのですが、観劇の事を先行したため時間も立ち、地図を見直していないので途中の記憶が抜けている。困ったものである。今回はビール工場と広重の東海道五十三次の神奈川宿<台の景>が残れば良しとしましょう。

保土ヶ谷駅前のお蕎麦屋さん「桑名屋」でおそばをいただきました。

次の保土ヶ谷宿から戸塚宿は参加できないようなので自力で何とかしなければ。

追記 : 保土ヶ谷宿から戸塚宿

保土ヶ谷宿から戸塚宿までは、戸塚から保土ヶ谷に逆方向で歩きそのためか権太坂が見つからず再度権太坂を探しに。見つけることができ無事歩きました。

歩いた日にちは違いますが一応、保土ヶ谷宿から戸塚宿で写真を並べてみました。

本陣跡案内板

保土ヶ谷の旧東海道は「歴史の道」として案内板を設置していました。小田原北条氏の家臣苅部豊前守の子孫が本陣を守っていました。三軒の脇本陣がありました。(藤屋、水屋、大金子屋)

脇本陣は普段は一般旅行客も宿泊させられますが本陣は参勤交代のためのだけの宿なので継続が難しくなる本陣もあったようです。

脇本陣(水屋)跡と保土ヶ谷宿の宿泊・休憩施設案内板

一里塚跡・上方見附跡

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樹源寺  

境内

旧東海道途中の小祠

旧東海道権太坂改修記念碑

権太坂案内板   権太坂の由来は旅人が坂の名前を老人に尋ねたら権太と自分の名前を答えた。

権太坂の石碑

権太坂案内板   もう一つの権太坂の名前の由来。権左衛門という人が代官の指示でひらいたので「権左坂」と名づけられたがいつのまにか権太坂となった。


境木立場跡   権太坂、焼餅坂、品濃坂と難所が続くが見晴らしは良かった。

境木地蔵尊

武相国境之木   武蔵と相模の国境

焼餅坂の案内板   坂の近くの茶店で焼餅を売っていた。

  

品濃一里塚   

一里塚公園

益田家のモチノキ

護良親王(もりながしんのう)首荒井戸   護良親王については深くは知りません。 

江戸方見附跡  戸塚宿に入るわけです。

吉田一里塚跡

清源院   徳川家康の側室だったお万の方が家康の供養をした。

境内に千手観音のあった朝日堂石碑。その右は心中歌碑。近くで心中があり住職が歌碑を建てた。   <井にうかぶ 番(つがい)の果てや 秋の蝶>

旧東海道 戸塚から藤沢 (1) | 悠草庵の手習 (suocean.com)

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