映画『日本橋』と本郷菊坂散策 (3)

2012年締めの観劇 『日本橋』で、観劇の感想を書いたが、映画『日本橋』(舞台公演を映画としてのこしたもの)を観る。時間がたってみると、かつて自分はこのように観ていたのかと意外とかつての自分に対し冷たいものである。今回は、<瓦斯灯>が気になって仕方が無い。一石橋で、お孝がガス灯の陰に隠れて佇み、葛木と巡査のやり取りを聞いていてガス灯の光を受けて姿をあらわす。照明の具合がいい。ガス灯はこんな具合に柔らかく照らすのであろうかと感じ入ってしまった。実際はどうあろうと私の中でこれがガス灯の灯りとインプットしてしまった。映画の場合、アップになる。舞台の場合は自分が好きなようにアップにしたり、全体を見たりと自在にやっているので、舞台の録画中継のとき、納得できなくて、ただ粗筋を理解しただけという場合もある。

さすが映画も作られている玉三郎さんである。重要な台詞のとき、聞かせどころ、観させどころを心得ておられる。アップが効果的で台詞がリアルに伝わってくる。そして涙しつつ、現実にこのような美しさはあり得ないが創造することは出来るのだと考えさせられる。汚れているはずのお孝がよごれをきちんと引き受ける潔さが伝わる。自分で播いた種を綺麗に刈り取って、次の種を播くためのさらな地を残していく。葛木はその時気がついたのではなかろうか。自分が作った美しさを人に求める時それは消えていくことを。彼が求める理想の人はこの世にはいないのである。しかし、鏡花さんは自然主義の自分をさらけ出して許しを請うことは文学の世界として相容れないものであった。消えても違う世界に美しくとっておきたいのである。触れることができなくなっても。

音がよかった。下駄の音。雪を踏む音。流れてくる長唄など(と思うが)。そこが舞台と違ってはっきり聞こえ映画の平板さを補ってくれた。

日本橋のコレド宝町は凄い人である。『日本橋』の映画を上映していたので行ったので何があるのかよく分らないが、こういうのは苦手なので早々に本郷菊坂散策の取りこぼし拾い作戦に移る。

上野広小路から仲町通りを歩く。現在は様々の歓楽のある通りである。通りの横道の空間から桜と不忍池の弁財天の屋根が見える。お蔦のころはもっと姿を現していたのであろう。その方向に手を合わせる人の姿も美しいものがある。そこから湯島天満宮の下を通り、切通坂を上る。瓦斯灯がきになったが時間がないので寄らない。しばらくは舞台映画のガス灯で十分である。啄木さんの案内板、壺の最中の壺屋さんもどんどん通り越し、本郷三丁目交差点へ。

申し訳ないが、再び交番で、「文京ふるさと歴史館」を尋ねる。春日通りをそのまま、信号3つ過ぎた右手の横道の左である。途中通り向かいに啄木さんの下宿していた床屋さん、理容院アライが見えた。一つ拾う。「文京ふるさと歴史館」についたのが4時40分過ぎ。5時閉館なので資料を買い、周辺地図をもらい、地図で<坪内逍遥私塾跡><宮沢賢治旧居跡>を教えてもらう。ゆっくり再訪することを告げ館の前の道を進むと炭団坂で急な階段である。その横に<坪内逍遥旧居跡>の案内板。メモする時間はない。炭団坂を下りて右手にいくと何人かの女性グループが<宮沢賢治旧居跡>の案内板をよんでいる。まずは三つ拾ったので安心。

地図を観て菊坂に上がり、菊坂を言問通りまで進む。今回は近道をしようとはせず、確実性を重視する。そこから新坂を上り、啄木ゆかりの旅館「大栄館」があり地図どおりに行くと、<徳田秋声旧宅>が見つかった。現在も人が住まわれているので案内板を静かにながめ元来た道をもどり、白山通りに出て<樋口一葉終焉の地>を目指す。そこは3回ほど行きつもどりつしてしまった。反省として旧東海道を歩いているわけではないのであるからして距離感覚を短くである。無事拾い集められたようである。歩いている途中で、明日の町歩きの問い合わせがくる。皇居の乾通り抜けは混雑しているようでやめることにする。

まずは何とか本郷菊坂散策は拾い集めることが出来た。詳しいことは後日何かの折に。

 

 

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