奈良 山の辺の道 (2)

『旧柳生街道』もそうであるが、この『山の辺の道』も<東海遊歩道>の一つであるらしい。東海遊歩道というのがよくわからないが、そう指定されている道が東京から繋がっているらしい。『山の辺の道』の標識は判りやすい。どちらかなと思ったところに標識がある。今までで一番判りやすい親切な道標である。そのためか、平日でも人が歩いている。皆さんこの地域の農産物を買われ、ビニール袋を下げている。季節によっては、土日、祭日などは人が多いのかもしれない。

途中駅から歩かれるかたもいて、巻向(まきむく)からと言われた方もいた。次は<長岳寺>なのであるが、時間の関係で中には入らなかった。少し心残りであったが先へ進む。大きな<崇神天皇陵>(天皇陵として最も古いもの)<景行天皇陵>(ヤマトタケルノミコトの父)を右手に眺めつつ歩く。歌舞伎襲名興行スーパー歌舞伎『ヤマトタケル』で云えば、現猿之助さんがヤマトタケルで現中車さんが父の景行天皇ということになる。この辺りの歌碑の筆者が文学者や名前の知れた方々となる。中河與一さん、武者小路実篤さん、山本健吉さん、岡潔さんなど。

<桧原神社>到着。崇神天皇が天照大神を祀った社とされ、天照大神は、伊勢神宮に移されたのでここを、元伊勢とも呼ぶ。大神(おおみわ)神社の摂社で本殿はない。鳥居の間から、ラクダの背のコブような二上山に沈む夕日が見えるそうである。二上山は少し霞んでいるが鳥居の間にしっかり見えた。二上山の右側の雄岳には、悲劇の皇子である大津皇子のお墓があるという。

ここの茶店で昼食とする。にゅうめんセット、三輪そうめんである。美味しい。ご主人に、この辺りの桜の美しい場所を尋ねると、ここから5分ほどの池の辺りだという。山の辺の道から少しはづれるので、聴かなければ通り過ぎたであろう。

この井寺池にも歌碑がある。「大和は国のまほろば たたなづく青垣山ごもれる 大和し美し」 筆者は川端康成さん。歌に関して余計なひと言の二人。「あまり字は上手いとは言えないね。」そしてありました。「かぐ山は畝火(うねび)ををしと耳成(みみなし)と相あらそひき 神代よりかくなるらし いにしへもしかなれこそ うつせみつまをあらそふらしき」 筆者は東山魁夷さん。その位置から左から畝傍山、耳成山、香久山と大和三山が並び、そして二上山が並ぶ。明日香村ではこの反対に見ていたのである。お腹も満たされ自然もゆったりした気分で眺められる。そして茶店にもどる途中に、柿本人麻呂の歌碑が。「いにしへにありけん人もわが如(ごと)か 三輪の桧原にかざし折りけむ」 昔の人も、私が今するように、この三輪の桧原で髪飾りを折ったことだろうか。筆者は吉田富三さん。

所どころに<山邊道>の石標があるが、小林秀雄さんの字である。さて歩き始める。<玄賓庵(げんぴあん)>玄賓僧都の庵で、世阿弥さん作の『三輪』にも登場するそうである。この辺りから道も石畳となり雰囲気のよい小道が続く。何となく、デザートが欲しくなる気分。タイミングがよすぎる。居心地よさそうな外での椅子とテーブル。「わらび餅がいいね。」と入ってメニューを見たら、栗のアイス。柿大好きの友は栗も大好き。信州の小布施まで特別限定の栗のスィーッを食べに行っている。早朝から並ぶらしい。このお店の奥さんが丹波の出身で丹波の栗を送ってもらっているという。

これは大当たりであった。大きな栗の渋皮煮がアイスの横に。今年初めて渋皮煮に挑戦。レシピも見ずに実行。人には勧められない出来。実行力は自画自賛。しかしプロとの違いに深くカクン。来年はきちんと挑戦する予定。アイスの中にも栗が練り込まれている。陽が西に傾き始めている。満足と悠久の時間が過ぎてゆく。

美味しいもの後は、道を間違い大神(おおみわ)神社までの道を、大回りしてしまう。三輪山をご神体とする神社で、檜皮葺きの美しい拝殿である。お酒の神様も祭神としていて、全国からのお酒が奉納されている。酒屋で見られる杉玉(新酒が出来た印)は三輪山の杉で作られているそうだ。歌舞伎では、 『妹背山婦女庭訓』の<道行・三笠山御殿の場>が関係している。

さて、書き手は急ぐ。<平等寺>を通り、<金屋の石仏>二枚の泥版岩に釈迦如来像と弥勒如来像が浮き彫りにされているものが収蔵されている。<喜多美術館>を通り過ぎようとすると、友が、「佐伯祐三の絵がある。ごめん。彼の絵だけ見てもどってくる。」「この際だから急がなくていいわよ。」。彼女興奮して絵ハガキ片手にもどる。「一枚あって見たことのない絵だった。まだ所蔵があるらしい。」「絵に呼ばれたのね。展示の時連絡してくれるよう頼んだ。」「住所と名前書いて来た。」

<海柘榴市観音堂>。海柘榴市(つばいち)とは、この辺りは椿の林があったらしいい。山の辺は読み方の難しい漢字の出てくる道でもある。長谷寺へ向かう初瀬街道、飛鳥への磐余(いわよ)の道、大阪への竹ノ内街道、大阪からの舟もつく、交易市のあった場所である。観音堂は民家の間にひっそりと二つの観音様を祀っている。そして最後が初瀬川の流れをのぞむ<仏教伝来之地碑>である。

ただし、ここからJR桜井駅まで、1.5キロほどある。これが長かった。無事到達、あとは、奈良にもどっての乾杯のみ。飛び込みの友も、仕事と親の通院の介助もあり、違う日常に大満足。驚いたことに、そのお父上が池部良さんの同級生で「あいつは、本当にいいやつだった。」といわれているそうである。予定外の好きな画家の絵にも会え、良かった。

次の日、『正倉院展』も見れ、京都、東京、奈良国立博物館三館を訪れることが出来た、2014年の秋であった。

 

 

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