串本・無量寺~紀勢本線~阪和線~関西本線~伊賀上野(2) 

2日目の朝、なばなの里派と別れる。

新宮駅で熊野三大社派は那智へと向かい、フリー孤独派は、串本の<無量寺>に向かうがその前の空き時間に<徐福公園>にダッシュ。

 

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<無量寺>を訪ねようと思ったのは、前回の熊野の旅の時、「佐藤春夫記念館」で手にしたチラシである。大きな虎の半身図の墨絵の横に<芦雪寺>とある。正確には<無量寺>でそこに<応挙芦雪館>があり、そこでこの虎図に会えるらしい。龍図もあり、筆は長沢芦雪である。チラシは虎の大きな顔の前に大きな爪を立てた前足があり目は獲物を狙う睨みがある。ところが、なぜかその顔は「何やってるのよ」と、頭をポンと叩きたくなるような雰囲気なのである。長沢芦雪も記憶にない名前である。いつか行けたらと思っていたら、早くに実現した。

串本は、本州の最南端であった。<無量寺>は紀勢本線串本駅から徒歩10分であるが、人に道を尋ねる。原画は収蔵庫に保管してあり、雨の日は見せてもらえない。雨が降りそうなので、先に収蔵庫の原画を見せてもらう。

 

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<無量寺>は、富士爆発の直前、南紀に大津波があり、この無量寺も流されてしまい、40年後に愚海和尚が本堂を再建し、友人である円山応挙に襖絵を頼む。多忙の応挙は自分の作品を持たせ、弟子の芦雪を代わりに行かせるのである。芦雪が本堂の中の間の左右のふすまに描いたのが、虎図と龍図である。龍図も龍の顔と爪を伸ばした大きな前足だけ描かれ、身体の部分は墨をふすまを立てて流し、激しい風を巻き起こしているような感じである。

 

絵葉書入れの龍と虎

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虎図の裏側に猫が何匹か描かれ、その一匹が池の魚を狙っているような、ちょっと脅かしてやろうかというような襖絵になっていて「薔薇図」としている。そう言われれば左上に薔薇が描かれている。しかし猫に目がいく。何か芦雪に遊ばれているような気がする。師匠である円山応挙の緻密な絵と比べると、明らかに長沢芦雪の絵には、応挙には無い枠を超えた自由さがある。

収蔵庫のあと、<応挙芦雪館>を見せてもらう。そこで芦雪を取り上げたテレビ番組のビデオを見ていると、虎図は、裏側の襖絵の魚を狙っていた猫を、魚側から見た図であると解説していた。<見た目>の手法である。<見た目>は岡本喜八監督の映画の撮り方でも出て来たので納得できた。たとえば、引き出しを開けるのを、引き出しの中から撮るという手法である。そうなのである。あの虎の構図は狙われたものから見たと思えば納得できるのである。

この館でもう一つ楽しませてもらったものがある。それは、熊谷守一さんからの前住職さんへの年賀はがきが展示されていたのである。

このあと本堂で、デジタル再生画の虎図龍図の襖絵を見せてもらうのである。良い状態で長く保存するために、色々なことを考慮しなくてはならない訳である。

芦雪さんは、南紀ではこの<無量寺>だけではなく、幾つかのお寺にも襖絵を描いている。南紀での画作は師匠の応挙さんの名代として、それでいながら芦雪さん自身の絵を見つける旅であったように思える。円山応挙さんの虎図『遊虎図』が、四国の金刀比羅宮で見れるが、芦雪さんのほうが面白さがある。

この芦雪さん司馬遼太郎さんの小説になっていた。『芦雪を殺す』。今回実際に芦雪さんの絵を見て、遊び心があり、これは苦しんで苦しんで到達したという絵ではなく、どこかゆとりがあり、才に任せるところがあると思えた。芦雪さんは、旅先の大阪で急死しており、殺されたという説もある。司馬さんは、小説で芦雪さんの死を手の込んだ形で死の原因を作っていて想像していない設定でそうくるのかと感心する。そして、最後は、芦雪の女房のつもりのお里の<見た目>で結んでいる。

<無量寺>のあと、串本駅から歩いて25分位の海に突き立つ<橋杭岩>(はしくいいわ)を見に行こうと思ったが、雨が降り始めたので止めて電車の中からの見学とした。新宮へもどるので、車中から2回見れたわけで良しとする。<橋杭岩>まで行けば新宮へは遅く着くから、こちらのことは気にせずそちらだけで夕食はどうぞと伝えておいたが、新宮駅に着くと、見慣れた人達が前を行く。どうやら那智から同じ電車だったようだ。那智の滝を下りたところで雨となったようで、なんとか雨を避けて歩けたようである。

食事をしつつ、次の日の雨の場合の予定を検討している。こちらは、神倉神社に行くために新宮までもどる予定にしたので、早朝に<神倉神社>に行き、<道成寺>に向かうこととし、そこで別れを告げる。

 

つづき→   神倉神社・道成寺・紀三井寺~阪和線~関西本線~伊賀上野(3) | 悠草庵の手習 (suocean.com)

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