歌舞伎座 3月『菅原伝授手習鑑』(1)

菅原道真公を中心に据えた、通し狂言である。道真公は、醍醐天皇の御代、右大臣の地位にありながら大宰府へ左遷させられてしまう。その史実を土台に、道真公が名前をつけた三つ子、筆法を伝授した式部源蔵、そして家族との別れを加え膨らませた名作である。

今現在、当代仁左衛門さんしか考えられない菅原道真公(菅丞相)と、道真公を慕う人々を演じる次世代のぶつかり合いでもある。次世代のリアル過ぎると思われる役への思い入れも感じられたが、そのリアルさが、時間とともに深みある芸となり形となって行くのであろうと想像した。そして、思いを一つ一つ確認している姿から、こちらが見落としていたことなども気づかされる。

この名作も悲劇が次々と展開されるため、その場面ごとで上演されても、一つの悲劇が普遍的な問題性を提示させるだけの力のある作品である。それでいながら、芝居の随所に可笑し味を提供してくれて、肩の力を抜いてくれるようになっている。

菅丞相(かんしょうじょう)に名前を付けてもらった三つ子の、松王丸、梅王丸、桜丸は、それぞれが仕えた主人が違うことによって、政争に巻き込まれ、それぞれの木として自らの道を進まなければならなくなる。そのことが「梅は飛び桜は枯るる世の中に何とて松のつれなかるらん」と読んだ菅丞相の歌に重ねられる。道真公が実際に読まれた歌ではないが、歌人としても優れていた道真公と菅丞相とを重ね合わせる芝居の妙味でもある。

肩の力を抜く場面で音楽的リズム感とも相まって楽しいところで、一番こちらが楽しかったのは、父親の70歳のお祝いで実家での、梅王丸と松王丸の兄弟喧嘩である。相対する主人に仕えているという事よりも、親元に帰り、子供の頃もあったであろう、稚気あふれる喧嘩の可笑しさである。さらに、無量寺での芦雪さんの虎図と龍図を重ねてしまったのである。虎が梅王で、龍が松王である。あの襖絵から飛び出したらこの二人のような喧嘩になると思えたのである。

愛之助さんの梅王は、まだ幼さの残るそれこそ、飛べもしないのに飛ぶぞと飛んでしまう虎である。染五郎さんのほうは、何を小癪なと思いつつも、弟の向こう見ずなけしかけに乘ってしまう龍である。龍は飛べるのであるが、その力を出しては公平でないとばかりに絡みつく。そんな様子が浮かび、梅王と松王に乗り移ったらこんな楽しい喧嘩であろうと思って楽しかった。そして、桜の枝を折ってしまう。桜丸は兄弟喧嘩のできない立場である。稚気は消え薄せ、自分の責任問題に決着をつけなければならない立場に立っていたのである。その辺りのアップダウンの構成も上手くできている。

三人は実家での<賀の祝>の前の<車引>の場で顔を合わせるが、桜丸の菊之助さんは、どこか憂いがある。梅王丸は菅丞相に仕えていて、その主人が左遷となったのは、この車に乗っている藤原時平の懺悔からであるから敵という思いで怒り怒りであるが、桜丸は梅王と同じに怒りを表に出せない。それは、菅丞相の流される原因を作ってしまっているのである。松王は、時平に仕えているから、弟二人を相手に、自分の主人に何事かと立ち向かう。善悪でいうなら、松王は悪である。その三人三様の立場での太棹に乘った、様式美の場面である。この場面の菊之助さん、愛之助さん、染五郎さんが、役柄に相まって生き生きとしている。

しかし、桜丸と松王丸の悲劇が、後を追っている。

 

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