邦楽名曲鑑賞会『道行四景』

国立劇場で、<邦楽公演>というのがあり、拝聴させてもらった。邦楽とは、日本の伝統古典音楽ということで、敷居が高い。観て聴いての方は、どちらかが観客を助けてくれるという感じであるが、詞と音楽(楽器)だけとなると、退いてしまう。一中節、宮薗節、義太夫節、清元節の競演である。

ではなぜ行くことになったのか。夏に歌舞伎学会で「演劇史の証言 竹本駒之助師に聞く」という企画があった。そこで初めて女流義太夫竹本駒之助(人間国宝)さんの存在を認識したのである。申し訳ないが、女性の浄瑠璃は聴きたいとは思わなかった。そのためチラシなど目にしても、手に取ることはなかった。今思うに、何と勿体ないことをしていたのであろう。

学会では始めに駒之助さんの語りの映像があり、ご本人のお話(聞き手・濱口久仁子)があった。映像での声の艶と、女性でも浄瑠璃は大丈夫であるということを知らされた。そして、ご本人が、魅力的なのである。気取りがなく、修行のこともさらりとテンポよく語られ、後輩に対しても、小気味よくもう少し頑張ってもらわなくてはとからっと激をとばされる。人間国宝のかたにこんな言い方はと思われるかもしれないが、茶目っ気もおありになる。これは生でお聴きしなくてはと思っていたら、10月の国立劇場での<邦楽名曲鑑賞会>まで空いてしまったのである。

駒之助さんは、「道行初音旅」で、『義経千本桜』の静御前と狐忠信との道行である。狐忠信の戦さの様子を語る部分もあるが、女性であっても全然違和感がなく、独特の絵巻ものを繰り広げるような面白さがあった。三味線も勢いがあり、どこかに潜んでいた固定観念も払拭である。

『道行四景』ということで、一中節「柳の前道行(やなぎのまえみちゆき)」、宮薗節「鳥辺山(とりべやま)」、義太夫節「道行初音旅(みちゆきはつねのたび)」、清元節「道行思案余(みちゆきしあんのほか)」の四分野の浄瑠璃の競演である。詳しくはわからないのであるが、浄瑠璃も枝分かれしているようなのである。このあたりも、邦楽のややこしさであるが、『ワンピース』ではないが、自分流の楽しみ方をさせてもらった。

はじめに、橋本治さんの「未知への憧れ」と題したお話しがあり、これも楽しみの一つに入っていた。橋本さんは、ジャンルが広く、なんでもござれのかたである。任侠映画の道行きから、水杯の旅のことなど楽しく話してくれ、思わず知らないお隣の人と顔を見合わせて笑ってしまった。

こちらも、小分けに東海道を歩いているので、不安が伴ったことがよくわかる。何があるかわからないのである。新幹線でぴゅーと行ったり来たりするわけではないのであるから、行ったところで、動きが取れない状態もありえるので水杯ともなるであろう。東海道は江戸時代に整備された道で、それまでは、伊豆半島で行き止まり、そこから船で房総半島に渡り、そこから関東に入ってくるのである。

そうなのである。頭の中の街道が、東海道になっているが、時代によってはそれも消さなくてはならないのである。憧れに伴う不安の入り組んだかなり感情起伏のある道行である。

「柳の前道行」には、田子の浦、富士川、鳴海潟、熱田の宮、亀山、関などの詞がでてきて移動がわかる。「鳥辺山」は「鳥辺山心中」があり心中道行とわかる。「道行思案余」は、お半、長右衛門の親子差の年の離れた心中道行である。どうこう説明はできないが、それぞれの旅の世界に入っていたことだけは確かである。

一中節は宇治紫文(人間国宝)さん、宮薗節は宮薗千碌(人間国宝)さん、清元節は清本清寿太夫(人間国宝)さんと最高級の方々の浄瑠璃を拝聴させてもらいながらもそれがどう凄いか言えないのであるから困ったものである。それだけまだまだ、汲み取る宝水が豊富にあるということである。

こちらの旧東海道の道行は、大井川歩道橋を歩き大井川を越し島田から金谷に入れた。時間的にゆとりができ、帰りには島田の蓬莱橋を往復し、大井川を三回歩いて渡ることとなった。現実の旅の未知への憧れと不安は満足感と疲労感でぼんやりしている。

 

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