映画『湖の琴』からよみがえる旅(1)

映画『湖の琴』(1966年)は水上勉さんの原作ですが、<湖>を<うみ>と読ませるのだそうです。近江の余呉湖が重要な舞台となります。

三味線や琴など邦楽の弦糸を生産している近江の大西に若狭から栂尾さく(佐久間良子)が働きに出ます。次の日、主人の百瀬喜太夫(千秋実)が違う部落に用事があるためさくを伴って賤ヶ岳(しずがだけ)へ登ります。賤ヶ岳は羽柴秀吉と柴田勝家が信長の後継者争いの戦いの場となったところです。映像にもさくの想像としてた兵士が走りまわります。

そして、賤ヶ岳の頂上に到達すると琵琶湖と余呉湖が両方見えるのです。さくが桑の葉をつみに来るためにも桑賤ヶ岳のふもとにある桑畑も教えておきたかったのです。農地を売るということで訪れた部落で、さくは、松宮宇吉(中村 嘉葎雄)と出会います。宇吉は今度喜太夫のところで働くことになったのです。宇吉も若狭の出身でした。宇吉には両親がなく、すでに繭の糸取りもできる仕事熱心な青年でした。

お蚕さんを飼い、繭から糸を取り、糸巻きにとりつけて巻き、独楽よりで糸をより弦糸にするその様子が見ることができるという興味深い映画でもあります。90パーセントの三味線の糸がこの地域で作られていたのです。それも機械でなく手づくりです。

原作によると、初心者のさくがおこなっているのが真綿づくりだということがわかります。出来の悪い死繭を特別に煮たものを桶にあつめておいて、繭をひき破り、マス型の木枠にはめてうすく延ばす仕事です。

三味線糸の生まれる場所を見たいと京で有名な三味線の師匠・桐屋紋左衛門(二代目中村鴈治郎)が西山を訪れます。その前に高月の渡源寺で十一面観音様を見て感動し、西山でさくに出会い観音様と重なってしまいます。紋左衛門はこの娘に三味線を仕込んでみたいと思い立ち、京に呼ぶのです。西山の人々は誉だと喜び、さくも皆の期待に応えようとおもいます。さくが想いを寄せる宇吉は兵役のため入隊していました。

宇吉はもどり、二人は結婚を誓います。師匠は宇吉の存在からさくを誰にも渡したくないと思うようになります。さくはそのしがらみから逃げ出し宇吉のもとにきます。そして結ばれて自殺してしまいます。宇吉は誰にもさくの遺骸をさらしたくないとして糸の箱に詰め余呉湖に沈めることにします。宇吉は一人生きてゆ気力を失い自分も箱に入り、二人は湖深くに沈んでいくのでした。

余呉湖には羽衣伝説もありそのことも映画では重ねられています。西山には古い話が多く残っていて、西山の人々は紋左衛門一行に得々と語ります。

水上勉さんは、この作品は全くのフィクションで、近江の大音と西山へ何度か行っていて自分の生まれた若狭の村とあきれるほど似ていたといいます。桑をとり、糸とりする作業も母や祖母がやっていた座ぐり法で、七輪で繭を煮て枠をとるのも同じであったそうです。

「一日だけ、余呉湖行楽の帰りに、私は高月の渡岸寺に詣でて、十一面観音の艶やかな姿を見た。観音の慈悲の顔と、座ぐり法で糸をとっていた娘さんの顔がかさなった。と、私の脳裡に、不思議の村を舞台にして、亡びゆく三味線糸の行方を、薄幸な男女に託してみたい構想がうかんだ。」

連載中に、映画『五番町夕霧楼』の田坂具隆監督と脚本家の鈴木尚之さんが是非映画にしたいとし、結末を心中とするというメモをおいていきました。水上さんは二人の仕事ぶりに敬意をもっていたので一切を任せたとのことです。

思いもかけず賤ヶ岳の上から余呉湖をながめる風景や、弦糸の手作りの様子が見れて貴重な鑑賞となりました。題字が朝倉摂さんで、衣装デザインが宇野千代さんです。

原作で桐屋紋左衛門は、石山寺、義仲寺、渡岸寺と訪れています。

渡岸寺の十一面観音。絵葉書から。

渡岸寺は奥琵琶の観音像を訪れるツアーに参加し、渡岸寺は電車でも行けるのを知り、いつか再訪したいと考えていました。そして、ほかの地も訪れつつ渡岸寺にたどり着いたのです。その時余呉湖も訪れたのです。かつての旅がよみがえりました。

追記: 国立劇場小劇場での文楽鑑賞。文楽の『義経千本桜』の「伏見稲荷の段、道行初音旅、川連法眼館の段」が観れました。映像では味わえない躍動感。場面場面で人形遣いの方の衣装も変わり、人形と勘十郎さんの早変わりと宙乗りもお見事。ついに生で観ることができ念願かなったりです。咲太夫さんが休演だったのは残念でしたが、太夫さんの声、三味線の音も心地よく堪能できました。

四国こんぴら歌舞伎(1)

金丸座での歌舞伎復活は、テレビ番組で復元した金丸座へ吉右衛門さん、藤十郎さん、勘三郎(当時勘九郎)さんがトーク番組で訪ねてここで歌舞伎がしたいねという話が出てそれで実現したのです。そのテレビ番組を後で見て知りました。(昭和60年・NHK特集『再現!こんぴら大芝居』)

1985年(昭和60年)に第1回の上演が三日間ありその時は吉右衛門さんと藤十郎さんが出演され、次の年の第二回目は吉右衛門さん、藤十郎さん、勘九郎さんの三人が出演されています。

第20回目(2004年)に、金丸座で歌舞伎を観ることができました。お練りも見れました。切符のとり方など面倒なので、切符付き、琴平宿泊のフリーツアーセットで申し込んだと思います。友人と二人でお練りの道筋などを検討し、お練り見物に参加、宿泊所から金丸座の位置確認と所要時間などを確認したりと果敢に琴平の町を移動しました。次の日は芝居見物と金毘羅さん参りだったとおもいますが。

第20回記念公演で、さらに「二代目中村魁春襲名披露」というお目出たい舞台でした。さらなる金丸座修復で江戸時代の「かけすじ」という舞台での平行移動の宙乗りの仕掛けがみつかり「羽衣」ではその仕掛けを使ったのですが、残念ながら第一部の観劇でしたので見れませんでした。

演目の『再桜遇清水(さいかいざくらみそめのきよみず)~桜にまよえる破戒清玄~』は、一回目での演目でもあり、「清玄清姫もの」の『遇曽我中村(さいかいそがのなかむら)』を吉右衛門さんが改編し20回目でさらに手を加えられたものです。吉右衛門さんの祖先は芝居茶屋を営みながら松貫四の名前で芝居を書かれていた人で、二代目もこの名前で作品を新しくしています。

清玄(せいげん)と桜姫の恋人の千葉之助清玄(きよはる)の同じ文字でありながら読み方の違うことから清水寺法師・清玄(吉右衛門)の悲劇がおこるのです。桜姫(魁春)と千葉之助清玄(梅玉)の逢引の手紙から同じ名前の清玄が罪をかぶります。当然破戒僧となるのです。そして、桜姫に恋焦がれてしまうということになり、これは叶うこともなく清玄は殺されてしまいます。清玄の霊は鎮まることがなく亡霊となってあらわれるのです。

小さな芝居小屋のほの暗さの華やかな舞台から、亡霊の場というおどろおどろしさを現出させようとの取り組みがわかりました。

平場での芝居見物は動きが制限され慣れない姿勢で窮屈だったような記憶もあります。今調べますと随分観やすい雰囲気になっているようで、今年も開催できないのは残念です。

それからです。切符さえとればなんとかなるのだということで、愛媛県の内子座などでの文楽などを鑑賞したのは。

いずれは出かけることも少なくなり、家での鑑賞になるのかなと思っていましたら、新型コロナのために早めに予行練習させられることになりました。これも気力のあるうちでないとできないということを痛感しています。

というわけで、初代、二代目吉右衛門のDVD鑑賞となりました。

二代目が主で二代目の得意とした21演目のダイジェスト版です。2時間強ですが、好い場面ばかりで、やはりお見事と休むことなく鑑賞してしまいました。戦さの悲劇性、虚しさなどが歌舞伎でありながら伝わってくるのです。現代にリンクする芸の深さです。

追記: 浪曲「石松金比羅代参」。次郎長が願かけて叶った仇討ちの刀を納めるために代参の石松の金比羅滞在模様は一節で終わり、大阪へと移動します。大阪見物を三日して八軒屋(家)から伏見までの30石船の船旅です。おなじみの「石松三十石船道中」となります。上り船で関東へ帰る旅人が乗り合わせての東海道の噂話という設定なわけです。

追記2: 落語で「三十石(さんじっこく)」(「三十石夢の通い路」)というのがあります。上方落語で六代目円生さんのテープを持っていてかつて聴いたのですがインパクトが弱かったのです。今はユーチューブで何人かの上方落語家さんの音声や映像で見れるので便利でありがたいです。落語は京から大阪への下り船で夜船です。

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追記3: 円生さんはまくらで『三十石』は橘家円喬が上方へ一年半くらい行っていた時に持ち帰り、それが円生さんの父五代目に、そして自分につながったと話されます。一度聴いただけではとらえ残しがありますね。

下げは、船で五十両盗んだ男を捕まえてみるとコンニャク屋の権兵衛で、「権兵衛コンニャク船頭の利」となり、「権兵衛コンニャクしんどが利」からきていて、京阪の古いことわざで「骨折り損のくたびれもうけ」の意だそうでそこまではやらずろくろ首でおわっています。米朝さんも権兵衛の下げはつかっていません。

円生さんは船の中の客に謎ときをさせ、沢山の船客を登場させます。客も江戸弁で上方との違いを表し、自分の語り口を生かしています。歌がありそれぞれの落語家さんの味わいのでる噺です。

追記4: 落語『三十石』にも出てくる京・伏見の船宿・寺田屋は坂本竜馬が襲われて難を逃れたのでも有名ですが復元されていて見学もできます。三十石船と十石船にも乗ることができ、十石船に乗りました。落語で出てくる物売りの舟(くらわんか舟)もありましたが、落語のようなにぎやかさではなく穏やかに商売をしていました。

追記5: 「第20回記念のこんぴら歌舞伎」がテレビで放映され録画していました。生で観ていたので録画は見ないでしまい込んでありました。今回見直し大きな誤りをしていました。 「かけすじ」という舞台での平行移動の宙乗りの仕掛け  とおもっていましたら、花道の上を飛ぶ宙乗りでした。映像を見てびっくりした次第です。

 

幕末の庶民の人気者・森の石松

思うのですが幕末の庶民の人気者と言えば、森の石松ではないでしょうか。講談や浪曲で圧倒的人気を得ました。

喧嘩早く、情にもろく、ちょっとぬけているところもあり、都鳥にだまし討ちにあって無念の最後というのも愛すべきキャラクターとしては条件がそろっています。

勘三郎さんの勘九郎時代のテレビドラマ『森の石松 すし食いねェ! ご存じ暴れん坊一代』を観ました。よく動き体全体で感情を表す森の石松です。

観ていたらシーボルトが出てきたのです。シーボルトが江戸へ行く途中で、それを見たとたんに石松は走り出します。江尻宿でしょう。仲間の松五郎の出べそを治療してもらおうとするのですが望みはかないませんでした。

そして次郎長親分の名代で四国の金毘羅へお礼参りに行くのです。そして金丸座で芝居見物です。上演演目は『先代萩』です。前の客’(鶴瓶)がうどんを音を立てて食べていて、石松は「うるさい。」と文句を言います。舞台は八汐が千松に短刀を突き刺しています。石松は芝居だということも忘れて「何やってんだよ。」と騒ぎ立てうどんの客と大喧嘩となります。

舞台の八汐、「何をざわざわさわぐことないわいな。」。勘三郎さんの八汐がいいんですよ。この台詞を聞けただけでもサプライズです。さらに舞台の役のうえでの台詞と、観客席の騒がしさ両方にかけた台詞になっているというのが落としどころ。

石松と八汐。同じ人とは思えません。

政岡( 小山三)が「ちょっと幕だよ、幕、幕・・・」。閉まった幕の前で千松(勘太郎)が「うるさいよ、おまえ。人がせっかく芝居しているのに。」と怒鳴ります。笑えます。と映像は切り替わり、三十石船を映しだし船上へと移ります。知れたことで「江戸っ子だってね。」「神田の生まれよ!」(志ん朝)となります。お二人さんの掛け合いがこれまた極上の美味しさ。

この後、都田吉兵衛によってだまし討ちにあうのですが、江尻宿を通り越した追分の近くに「都田吉兵衛の供養塔」があります。

清水の次郎長一家は石松の仇をここで討ちますが、吉兵衛の菩提を弔う人がほとんどいなかったので里人が哀れに思って供養塔をたてたとあります。

ドラマで浪曲もながれますが、初代広沢虎造とクレジットにありました。私の持っているCDは二代目広沢虎造なのですが。よくわかりません。

追記: 二代目広沢虎造さんの『石松と七五郎』『焔魔堂の欺し討ち』を再聴。名調子の響きにあらためて感服しました。そして、ドラマ『赤めだか』を鑑賞。本が出ていて評判なのは知っていましたが、なぜか読まずにいました。好評なのを納得しました。談春さんはもとより、立川一門(前座)の様子が破天荒で、談志さんの落語と弟子に対する心がこれまた響き、笑いと涙でした。

追記2: 『赤めだか』(立川談春・著)一気に読みました。涙が出るほど笑いました。ラストは緊迫しました。人の想いの踏み込めない深さと繊細さ。落語の噺の世界のような本でした。

追記3: 2006年(平成18年)5月30日、新橋演舞場で談志さんと志の輔さんが、2008年(平成20年)6月28日、歌舞伎座で談志さんと談春さんが落語会を開いています。時期的には談志師匠が闘病中で身体的につらいころと思われますが嬉しそうに見えました。大きくならない赤めだかが大きくなったのですから嬉しくないはずがありません。そして談春さんが、「志の輔兄さんもやらなかった歌舞伎座です。」と言われたので皆さんどっと笑いました。立川一門のライバル意識を皆さん楽しんでいました。

追記4: テレビとかの映像画像は著作権に触れることもあるようなので削除しました。風景はよいらしいのですが、よくわからずにやっていました。申し訳ありません。他もありましたら少しずつ変更していきます。迷惑をかけた方がおられましたら深くお詫びいたします。

有料動画配信 歌舞伎『桜姫東文章    上の巻』、文楽『傾城阿波の鳴門』『小鍛冶』

 

歌舞伎『桜姫東文章』は、二幕第二場の「三囲の場」が円熟度満載の仁左衛門さんと玉三郎さんのやり取りが大変気にいり、その場を5、6回観てしまいました。わずか10分の場面なのです。

桜姫東文章』は、かつて「玉三郎の世界」という放送があって、1982年南座公演のダイジェスト版を紹介していてその録画があります。ダイジェスト版なので「三囲の場」はありません。様々な展開がある中でこういう場があったのですね。後半はもっと激動的な流れになるわけですから、ちょっとこの場は全体の流れから雰囲気の違う見せ場でもあります。

世の中からはみ出してしまい、桜姫の子供を抱える清玄と桜姫が三囲神社の土手で出会い、あっ!と思った時には闇となりすれ違って別れてしまうのです。言ってみれば、桜姫と清玄は心が通い合うことのない関係なのです。宿命なのです。その関係をふっと忘れさせるような場面でお二人のセリフは聞いているだけで気持ちの好い響きと抑揚でした。

花道から桜姫、土手から清玄の出で、そこに流れるのが「身にしむる雨にもうきめを三囲の、、、」の唄の独吟なのです。

録画の画面には、権助と桜姫の濡れ場では「恋による花も思いのひとりくも 濡れぬ昔が 結ばれなる闇の髪」の歌詞がうつしだされています。後半の殺しの場面でも歌詞が映し出され、この作品は唄もとらえて見るとぐっと面白さが増すと感じ、それも考慮して見直しました。清玄と白菊の「江の島児ヶ淵の場」も唄を耳にして観るとまた違った味わいがありました。

三囲の場の舞台装置の図

国立劇場で『桜姫東文章』の公演をしています。調べたら2000年でした。当時の幸四郎さんと染五郎さんでした。染五郎さんの女形はまだ少し硬いと感じましたが、『桜姫東文章』の内容はその時わかりました。「三囲の場」は記憶にありません。生き残った清玄が出世して登場し、なるほどこういう流れなのかとそれからは肩の力を抜いて鑑賞した記憶があります。

歌舞伎の『桜姫東文章』がかつての玉孝コンビでが36年ぶりなら、文楽『傾城阿波の鳴門』は国立文楽劇場の本公演では33年ぶりの上演だそうです。よく上演されているような気がしましたがそうなんですね。

親を訪ねてきた巡礼の娘が、誤って父親に殺されてしまうという悲しい物語ですが、母親のお弓の嘆きが身につまされます。娘・つるを祖母に託し、お家の宝刀を探すため、盗賊になっている夫婦。そこへ娘が現れますが、盗賊で追われる身と母は泣く泣く娘を巻き込みたくないと帰すのです。やはりと後を追います。父は娘とは知らず巡礼の子の持っているお金を借りたいと頼みますが騒ぐため口をふさぎ誤って殺してしまいます。そこへもどったお弓。自分が名乗ってととどめておいたならこんなことにはならなかったのに。

これまた浄瑠璃と三味線を中心に見直しました。

小鍛冶』は、もちろん歌舞伎の『小鍛冶』と比較しながらわくわくして楽しみました。相槌のところは火花が出るのです。これは映像だとよく見えて効果抜群でした。それぞれの面白さを観ることができ一件落着です。こちらは床本がありましたのでそれを見つつさらなる鑑賞もできすべて満足の映像鑑賞となりました。

<ユーチューブ 傾城阿波の鳴門>で検索すると、様々な「巡礼歌の段」を鑑賞することができます。

ユーチューブはテレビで見れることが解りましたので、こうして次々と情報がわかると時間がどんどん押されて嬉しいような困るようなです。

西鶴さんに戻らなくては。

追記: 出血大サービスにひかれて映像をみました。浄瑠璃の太棹での三味線演奏家さんの爪の手入れを見たことがありますが、長唄の三味線でも同じように手入れするのですね。長唄の声のためにの荒治療にも驚きました。というわけで『音楽驛』視聴しましてじっくり聞かせてもらいました。

出血大サービス! | 市川弘太郎オフィシャルブログ Powered by Ameba (ameblo.jp)

追記2: 『好色一代男』で主人公の世之介は二十歳の時長屋に住む娘のところに無理やり婿入りしてしまいます。そのあとに「婿入りしたその夜に毒殺された小栗判官にならなければいいけどね。」と西鶴は書き足しています。小栗判官の説教節に例えているのです。小栗判官の話も色々に脚色されていて、歌舞伎でも、スーパー歌舞伎Ⅱ『オグリ』では殺されて閻魔大王にあっています。近松門左衛門の原作も加味した『當世流小栗判官』では死んではいませんが、娘・お駒の嫉妬によって、目が見えなくなり不自由な身体になるという話に変わります。西鶴さんは近松さんの物語を読むか見るかできたのでしょうか。気になるところです。歌舞伎の『當世流小栗判官』はギリギリで視聴でき久しぶりに鑑賞できました。

歌舞伎オンデマンド|歌舞伎美人 (kabuki-bito.jp)

えんぴつで書く『奥の細道』から(4)から歌舞伎座『小鍛冶』

えんぴつで書く『奥の細道』から(4)からなぜ歌舞伎座『小鍛冶』かといいますとえんぴつで書く『奥の細道』から(4)で能の『』の紹介をしました。『』が再度観たくなりました。その同じDVDに能の『小鍛冶』も録画されていまして観たわけです。

さらに歌舞伎の『小鍛冶』の録画もありました。そのことは2013年に記していました。

2013年11月2日 | 悠草庵の手習 (suocean.com)

そこで友人がダビングしてくれた狂言の『釣狐』と白頭の『小鍛冶」が観れなかったとあります。観たいという執念でしょうかそのDVDを処分せず残しておりました。ただのものぐさですが。ふっと思ったのです。友人の機器はブルーレイが観れるといっていました。もしかしてそれかな。今の機器はブルーレイが観れるので試してみたところ映ったのです。その嬉しさといったら。これはお狐様のお告げで歌舞伎座の澤瀉屋の『小鍛冶』を観るべきだと。

「芸能花舞台」で解説の利根川裕さんが澤瀉屋の『小鍛冶』は能に近いと言われていたのです。

というわけで四月歌舞伎座は一部の『小鍛冶』だけの観劇です。

舞台は紅葉の時期で、三條小鍛冶宗近(中車)が登場しますが衣装がはっきりした濃紺で舞台に映えます。中車さんは舞台人として板に身体がなじんでこられました。上手に赤い稲荷の鳥居。宗近が参拝に訪れたわけです。本来は文楽座の出演なのでそうですが、今回は竹本でした。

童子(猿之助)の登場です。登場場所はわらぼっちからです。狐は豊作の神様でもあります。稲を食べる野鼠を退治してくれるからです。だから稲荷神社でもあるわけです。紅葉は火とも重なります。

童子の出としても可愛らしくていいです。童子は手に稲穂を持っています。童子は過去の名剣についても語ります。語るといっても竹本の語りで身体表現をするのですが、動きの良い猿之助さんですので安心して鑑賞させてもらいました。

狂言の『釣狐』では人間に化けた狐が面白い動きをするので、この童子はどんな狐の動きをするのかなと注目していました。消える前に大胆に飛び跳ねました。

次は長唄で巫女(壱太)、宗近の弟子4人(笑三郎、笑也、猿弥、猿三郎)の5人による間狂言の踊りで本来は3人なのだそうですが今回は5人で楽しませてくれます。猿翁さんに厳しく訓練された役者さんだけに心配なしです。巫女は袖を朱の紐でまとめていて、その材質が柔らかくふわーっとしていて顔に映えて明るい巫女となりました。宗近の相槌がいないという話もしています。

童子は実は稲荷明神でした。稲荷明神(猿之助)は白頭でした。頭上には狐。歯を金にしてましたが、金泥の能面を意識されたのでしょうか。

次の場面がいよいよ刀つくりとなるのですが、そこに座っているだけでも風格をあらわしてくれるのが勅使橘道成の左團次さん。舞台の重みが増します。

再び竹本となり胡弓もはいっていました。宗近は稲荷明神の相槌を得て軽快につちを打ちます。リズミカルな音楽性も豊かな場面です。竹本の三味線のテゥルルルルルの音は初めて聞いたような気がしますが。

稲荷明神は途中で遊びに行くように場を離れますが、遊んでいる場合じゃないでしょといいたくなる余裕の体です。笑えました。時々狐の足もみせてくれて緊張感のなかにも可笑しみがあります。

無事、小狐丸の名刀もできあがって稲荷明神は揚揚と花道を飛ぶように去っていきます。それを見送る小鍛冶宗近と橘道成。これが澤瀉屋の『小鍛冶』なのだと鑑賞できて満足でした。

あとは赤頭と文楽の『小鍛冶』ですが、今月文楽は大阪で公演しているそうで何とか映像でも良いので観たいものです。それぞれに工夫が多い作品です。

画像が悪いですが能の童子と稲荷明神です。(能では稲荷明神の使者の狐としているようで、黒頭、白頭ではその狐の設定もちがっているようです。)

観世流の童子

観世流の黒頭の稲荷明神の使者

宝生流の童子

宝生流の白頭の稲荷明神の使者

十七歳の時の勘九郎さんの稲荷明神、隈取が狐を表しています。長唄の『小鍛冶』は宗近との相槌の場面だけでした。

(今月の『小鍛冶』の舞台の画像は制限がかかっておりますのでご自分で検索してみてください。)

能『』のDVD鑑賞は今回笑ってしまいました。老人が僧に近辺の名所を案内するのですが突然急いで去っていくのです。消えるのですが、それを観ていて、そうよね名所を案内してる場合じゃないですよ。六条の河原院に想いを馳せてもらわねばと思っていましたら、融の大臣が気品のある姿で現れたのです。内容は知っているのですが、こちらの雑念が通じたようで能がぐっと近くなりました。

狂言『釣狐』がこれまた今までにない面白さでした。狐が人間に化けて狐を罠にかける猟師にそれをやめさせようとするのですが、うまく化けたかどうか水に姿を映して確かめたりする動きが鋭角的であるのになんともユーモアにあふれています。歌舞伎舞踊『黒塚』で鬼婆が自分の影を振り返るのと雰囲気が似ていたり、ぴよんぴょんと軽く跳んだり急にすり足で動いたりと目が離せません。

さらに奥州の殺生石の話を持ち出して狐は死んでも妖力があるので恐ろしいのだと脅すのです。

この殺生石は芭蕉さんも寄っています。旅としては通り過ぎています。場所は日光と白河の間である那須温泉に殺生石はあります。

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芭蕉は日光のあと黒羽(くろばね)城下に入ります。那須野を越えて九尾の狐が埋められたと伝わる玉藻の前の古墳を訪れます。さらに那須神社の八幡宮へ。屋島の戦いで、平氏方の軍船に掲げられた扇の的を射落とすなどの功績をあげた那須与一ゆかりの八幡宮です。那須与一は義経について従軍しました。さらに雲巌寺に寄ったあと那須温泉に向かいそこで殺生石をみています。

玉藻の前という絶世の美人は鳥羽上皇と契りを結びますが、玉藻の前は妖力を持った狐の化身で鳥羽上皇は病に伏せてしまいます。陰陽師が対峙しますが玉藻の前は那須野に逃れさらに討伐の軍の矢に射られて死にます。ところが毒石となるのです。毒を発し近づく生き物を殺してしまうのです。

現在でも硫化水素や亜硫酸ガスなどの有毒ガスを発しているといわれる場所です。(危険な時は見学させないそうです)

釣狐』ではその話をして猟師を脅し罠を捨てさせるのです。さて狐と猟師はその後どうなるのでしょうか。

狂言の猿(靭猿・うつぼざる)から始まって狐(釣狐)に終わるという作品のひとつです。

そんなわけで芭蕉さんは様々な伝説の地も見学されているのです。それだけ情報もとりいれていたわけです。

追記: 今月の歌舞伎座の『小鍛冶』のお話を巫女で出演されている壱太郎さんがされています。解りやすくてお見事です。是非どうぞ。

「小鍛冶」の見どころを解説【四月大歌舞伎】 – YouTube

追記2: 三津五郎さんの『馬盗人』の録画を観ました。チャプリン顔負けです。シャボン玉売りの『玉屋』はご本人は柔らかくが難しいと言われていましたが、動きが綺麗で内容も解らないまま見惚れていました。そう簡単には処分できないです。

えんぴつで書く『奥の細道』から『義経千本桜』

文楽『義経千本桜』の「川連法眼館の段」を観ると、通称「吉野山」(道行初音旅)が観たくなります。録画がありました。2009年大阪の国立文楽劇場開場25周年記念公演が『義経千本桜』の通しだったのです。その放送が2010年お正月三日間にわたってあったわけで録画していました。「道行初音旅」は人形だからと思っていたところがありましたが美しくて面白くて驚きました。豊竹咲大夫さんの解説もわかりやすくやっと霞が晴れたような心持です。前のほうがオーソドックスなので四段目はケレンで楽しませてくれるようになっていると。

奥の細道』の次の場所は平泉です。義経最期の地でもあるわけで、『義経千本桜』を通過しなければ平泉には飛べません。 

初段「堀川御所の段」で咲大夫さんのおかげで『千本桜義経』の構成がわかりました。義経は兄頼朝から裏切りの嫌疑をかけられその使者が川越太郎です。嫌疑の一つが、平知盛、維盛、教経の首が偽物である。二つ目が、後白河法皇から頂戴した初音の鼓で、鼓は打つものなので頼朝を打つという印。三つ目が、正妻の卿の君が平時忠の養女であること。卿の君の実の父親が川越太郎でした。彼女は自ら命を絶ち太郎は娘の首を取ります。一つは疑いが消えますが、出足から悲しい始まりです。

その後主人公が違ったりもしますが、知盛(二段目)、維盛(三段目)、教経(四段目、五段目)が関係しているのです。(この上演は四段目、狐が飛んで終わりでした。)平家は敗者です。義経も敗者。敗者の美学と咲大夫さんは言われます。

四段目に初音の鼓の秘密が明かされ、それが狐の親に対する思慕で、義経はこの狐に自分の名前と鼓を与えます。義経が自分は何もいらないのだ、兄と和解できればとおもっているかのようです。

人形の狐が出るのですが、人形同士だから効果抜群です。二段目「伏見稲荷の段」から狐忠信の登場がわかりやすくなっており、狐の登場ということからこの場所が選ばれたのでしょう。きちんと意味づけもぬかりありません。

別枠にしたほうがよいかもと思わせられるほど全体の納得度が高い鑑賞となりました。二段目で知盛が幽霊として登場。三段目「すし屋」では維盛登場ですが、主人公はすし屋のどうしょうもない息子いがみの権太です。その権太の驚くべき行動も梶原平三が全て把握していました。梶原平三は頼朝が維盛の父の重盛が池の禅尼の口添えで助けられたことから維盛の命を助け出家させます。しっかり過去を顧みる梶原なのです。頼朝へ義経の事を悪く伝えたのが梶原ということで悪者の梶原ですが、ちょっと印象が違ってきます。だからでしょうか、義経は三段目には登場しません。

そして武士ではなく市井の人を主人公にもってくる。本筋から離れて幅を広げて観客に身近にさせていきます。四段目のケレンなどどと合わせて、書き手の作劇術と咲大夫さんはいわれていました。書き手は三人です。そしてこの三人は『菅原伝授手習鑑』『仮名手本忠臣蔵』も書かれているのです。恐るべき三人です。竹本出雲、三好松洛、並木千柳。

2009年の文楽『義経千本桜』の公演の出演者については<文化デジタルライブラリー>で検索してください。

こうなれば教経の登場の場が観たいなと思っていましら、DVD「歌舞伎名作撰」の『義経千本桜』(川連法眼館の場・奥庭の場・蔵王堂花矢倉の場)が封も開けないでおりました。「四の切」は何回も舞台で観ていたので映像で観る気が起きなかったのでしょう。三代目猿之助さんの舞台映像久しぶりでしたが見慣れている感じですーっと入れました。静御前は玉三郎さんでした。(1992年歌舞伎座)

教経が登場するのは「奥庭の場」からです。「川連法眼館の場」で源九郎狐は横川覚範が僧兵と攻めてくると知らせ手助けし、貰った鼓を手に大喜びで宙を飛んでいきます。

覚範(段四郎)は実は教経で忠信の兄・継信の敵でした。源九郎狐の仲間が教経をはばみます。こちらは着ぐるみの可愛らしい狐が多数登場です。忠信は教経を打とうとします。それを止めるが義経(門之助)です。二段目の大物浦で知盛から預かった安徳帝を教経にたくすのです。

教経は、建礼門院の大原で安徳帝を出家させ自分も出家するといいます。静御前は大和の源九郎狐の里へ行くといい忠信はお供しますと。義経はみちのくへ旅立つとし、弁慶(彌十郎)がそれに従うと。吉野山からそれぞれが旅立つのです。

平泉へ義経さんについて行かなければなりませんが、義経さんが亡くなったあとですのでもう少し残ります。

シネマ歌舞伎『東海道中膝栗毛 歌舞伎座捕物帖』をアマゾンプライムビデオで観ました。歌舞伎座での「四の切」の舞台稽古で殺人事件が起こるのです。「四の切」の舞台裏がみれます。床下から弥次さんが飛び出したり、僧兵に代役の喜多さんが隣の人を見て真似をすればいいと言われて、隣の狐忠信の真似をするのがやはり笑えます。

さて、平泉にそろりそろりと向かいましょうか。

追記: 文楽『義経千本桜』の放送で「すし屋の段」の弥助寿しのモデルとなった釣瓶鮨屋(つるべずしや)の紹介がありました。そのお鮨屋さんが谷崎潤一郎さんの『吉野葛(よしのくず)』に出てくるというので読みました。主人公の作家は作品の取材で、友人は亡き母の実家を訪ねるという内容です。浄瑠璃『妹背山女庭訓(いもせやまおんなていきん)』の風景、初音の鼓、狐など谷崎さんの知識と独特の情感が満載で、さらに紀行文としても読めて、初めての道を分け入る気分をかきたてる作品でした。

友人の母の実家は紙漉きを仕事としていますが、『趣味悠々 おくのほそ道を歩こう』のテキストで、白石の和紙工房を紹介しています。かつては300軒ほどあったのが今は1軒だけで、奈良の二月堂お水取りの練行衆が着る紙子の和紙として納めているのです。大和と陸奥の様々な交流です。

追記2: 文楽『妹背山女庭訓』の「妹山背山の段」の録画を観ました。『吉野葛』の見えない架空の風景を感じながら聞いて観てでした。大夫、三味線が妹山、背山に分かれての二か所での出演。観終わってDVDケースにシールを張り幼稚園児のように満足。一つ一つ終わらせます。

追記3: テレビ『にっぽんの芸能』で「中村吉右衛門 こん身のひとり舞台“須磨浦”」を放送していましたがこの時期の新歌舞伎として様々な古典芸能を融合させ凝縮した作品でした。そぎ落としたり加えたりとこういう方法も伝わり方に力があることを確認しました。竹本の義経と対峙するのも息があっており、やはり納得できない逆縁のつらさが身に沁みます。橋懸りで見せる親としての姿。この後、武将<熊谷直実>を保つ孤独感に思い至りました。新たな挑戦でした。

追記4: 『  妹背山婦人庭訓 魂結び 』(大島真寿美著)をよい時期に読みました。面白くて作品の渦に巻き込まれました。

えんぴつで書く『奥の細道』から(4)

白河の関から進みますが、次の目的地塩釜松島は『趣味悠々 おくのほそ道を歩こう』の録画がありませんので、私の旅と本からたどって行くことにします。

檜皮(ひわだ)で芭蕉は安積山へ向かい「かつみ」の花を探しますがみつかりませんでした。今は安積山公園となっていますが私は残念ながらここへは行っていません。同じ郡山として開成公園そばにある「開成館」と「こおりやま文学の森資料館」の地図をのせておきます。歴史と文学に興味ある方は参考にされてください。

二本松では、芭蕉は歌舞伎に興味のある方ならご存じの「黒塚」を訪れます。

黒塚 | 二本松市観光連盟 (nihonmatsu-kanko.jp) 

二本松は『智恵子抄』の高村智恵子の生まれたところでもありますので興味があればこちらもどうぞ。

高村智恵子 | 二本松市観光連盟 (nihonmatsu-kanko.jp)

芭蕉は、<「かつみかつみと」と尋ね歩きて、日は山の端にかかりぬ。二本松より右に切れて、黒塚の岩屋一見し、福島に宿る。>そして向かったのがしのぶの里の『文知摺石(もぢづりいし)』で歌枕にもなっています。ここは私的な旅でご案内。

長野~松本~穂高~福島~山形(3)

芭蕉は『文知摺石』をみてから『医王寺』にむかいます。飯坂温泉の近くだそうです。ここからは知らないことでしたので魅かれました。藤原秀衡に仕えた佐藤基治一族の墓が『医王寺』にあるのです。芭蕉は義経びいきです。その義経のために戦って死んだ基治とその息子二人の墓に手を合わせます。息子二人とは継信と忠信です。忠信といえば歌舞伎好きには狐忠信が浮かびます。『吉野山』、『四ノ切』(『義経千本桜』四段目)。

さらにこの二人の嫁が息子の死を悲しむ姑を慰めるために、亡き夫の甲冑をつけて「ただいま今凱旋」と声をかけ凱旋姿として見せたのです。この話に芭蕉は涙します。

松尾芭蕉ゆかりの地|真言宗豊山派瑠璃光山 医王寺 (iou-ji.or.jp)

この嫁の甲冑姿をのこしているのが白石の田村神社の境内にある甲冑堂です。田村神社といえば坂上田村麻呂が祭神です。となれば『阿弖流為(アテルイ)』です。いえいえお嫁さんの話でした。継信の妻の名前が楓、忠信の妻の名前が初音です。初音とは驚きです。狐忠信が慕う鼓の名が初音の鼓。芭蕉さんいろいろなところへ連れて行ってくれます。

しろいし観光ナビ (shiroishi-navi.jp)

芭蕉は、仙台では伊達家や政宗ゆかりの神社仏閣を訪ねています。私は青葉城跡だけですので進んで塩竈松島にむかいます。

でこぼこ東北の旅(4)『伊勢物語』

芭蕉が松島の月が心にかかり『奥の細道』の旅を思い立ったのですが、松島では宿の二階から見事な月と松島をめでたのです。松島の風景を賞賛していますが句ができなくて眠れない夜となりました。

④松島や 鶴に身を借れほととぎす(曾良)

松島は鶴が似合っているからホトトギスよ鶴の姿を借りるほうが良いだろうということです。声のよいホトトギスも松島の美しい姿にかなわなくて声も出なかったとするなら、句作できなかったホトトギスは芭蕉のことにも思えます。曾良の句が面白いと思った芭蕉がそこにいるような気がします。

今回は観光案内と自分の旅の紹介が多く登場することになりました。次の旅もつながっていました。

司馬遼太郎 『白河・会津のみち』

能 『融(とおる)』

さらに文楽の『義経千本桜』の四段目「川連法眼館(かわつらほうげんやかた)の段」はどうなるのであろうかと思いましたらユーチューブにありました。嬉しいですね。思ったらすぐ観ることができたのですから。歌舞伎とは違うこれまた斬新な演出でした。

芭蕉さん、にぎにぎしい旅で申し訳ございません。

「三谷文楽」から文楽、歌舞伎へ(4)

これは『曽根崎心中』と『天網島時雨炬燵』を観なくてはと録画を探したらに二作品を一気に放送してくれていたのがあったのです。2006年に国立小劇場で上演されていた。パンフレットでは『曽根崎心中』が第二部であり、どうやらどうやら第三部の『天網島時雨炬燵』を鑑賞していたようである。

心中物には敵役と情に厚いひとが登場するが、『曽根崎心中』の九平次は本当に腹立たしい人である。醤油屋・平野屋の手代徳兵衛は親方に返さなくてはならないお金を九平次に貸すのである。ところが九平次は、借りていないという。印を落とし届けていて徳兵衛の持っている借用書はそのあとの日付だから徳兵衛はかたりだというのである。窮地の徳兵衛。それがもとで徳兵衛と天満屋の遊女お初は心中をすることになる。

「天満屋の段」はお初が徳兵衛を打ち掛けに隠し縁の下に導き入れる。そこには九平次もきていて徳兵衛の悪口をいう。お初は徳兵衛の悔しさを察し死ぬ覚悟を足でたしかめる。徳兵衛はお初の足を自分ののど元に持っていきその覚悟を知らせる。それによりお初も覚悟する。有名な場面の誕生でもある。

天神の森での心中となるのであるが、お初は白無垢に着替え、水色のしごきである。このしごきを縦半分に切って結んで長くし二人の体をつなぐのであるが、このしごきをつかっての二人の悲しくも美しい動きとなり、刀で二人は息絶えるのである。この場面が美しいので『其礼成心中』のおかつさんが実際には美しくはないと強調するのである。

お初がこのしごきを実際に切っているいようなので何か仕掛けがあるのであろうと思った。今回、文楽、歌舞伎、映画等と録画を整理したのである、もう一本文楽の『曽根崎心中』の録画があった。2002年、秋田県小坂町の康楽館で上演されていたものである。人形遣いのお初は蓑助さんで、徳兵衛は勘十郎(この時は蓑太郎)さんである。2006年と同じであった。案内も両方とも山川静夫さんである。

水色のしごきがカミソリで切れていく仕掛けをみせてくれたのである。糸でぬってあってかみそりを充てると糸を引っ張って半分に切れていく形となるのである。

康楽館には花道があるので、蓑助さんの提案で、天満屋を去る場面と天神の森への出の場面を花道を使ったのである。空中を動くお初と徳兵衛は足も地に着かずという心持であろうから違和感はなかった。映像では一方向からであるが、両方向のお客さんに満足されてもらうみせどころであったとおもわれる。アンコールで蓑助さんは花道からで180度に対してわかる細やかな人形の遣い方であった。劇場によってその雰囲気にも多少変化がでてきて同じ演目でもあきなかった。

天網島時雨炬燵』は、妻子ある紙屋を営む治兵衛(勘十郎)が、曽根崎新地紀の国屋の遊女小春(和生)との心中である。すでにふたりは心中の約束をしていたがなかなか会うことができない。小春を探して河庄の外に立つ治兵衛。中では小春が頭巾を被った侍の相手をしている。そして小春は心中しなくていいようにしたいと告げるのである。それを聞いた治兵衛は裏切られたと脇差を小春めがけて投げつける。

侍は治兵衛を格子に縛り付ける。それをはやしたてる恋敵の太兵衛。それをいましめる侍。侍は治兵衛の兄の粉屋孫右衛門(玉女・現玉男)であった。

孫右衛門は小春が心中する気がないので安心する。ところが、小春の心変わりが治兵衛の妻おさんからの手紙によるものだとわかるのである。孫右衛門は治兵衛と小春の間に入り、小春の心情を思いつつも手を切らせようと苦心するのである。この孫右衛門の情を出すのが難しいと住大夫さんは話された。

映像のほうにはそのあとの治兵衛宅「天満紙屋内の段」がない。治兵衛は自宅に帰る。おさんは夫の様子から小春が自分の手紙で心中を思いとどまったことを知り、小春は一人で死ぬつもりだと察知し小春を助けるために算段する。今度はそのおさんの気持ちに対して二人は申し訳ないと心中の道を選ぶのである。

簡単にいえばそうなるが、かなりほかの人とのお金と人間関係もあり複雑にからみあっている。

歌舞伎の『心中紙屋治兵衛 河庄』は、文楽とは趣がかなり違っている。まず丁稚がおさんの手紙を持参し小春に渡すのである。この丁稚が愛之助さんであった。(1997年大阪松竹座収録・歌舞伎名作撰))そのため観客も早々と小春の心変わりを理解するのである。小春(秀太郎)はひたすらじっと耐える。事情を知らず裏切りと思う治兵衛(藤十郎)は腹立たしさから小春を懲らしめようとし、それを止める孫右衛門(富十郎)とのやりとりがなんとも可笑しさをともなう見せ所となっている。

治兵衛と孫右衛門の浪花ならではの間の取り方とテンポは絶妙である。孫右衛門には本心を打ち明けたくなる小春を押さえる役目もある。その難しさがありながら笑いも入れるという歌舞伎ならではの「河庄」である。

文楽と歌舞伎の持っていき方の違いが分かりやすい演目の一つかもしれない。上方歌舞伎のほうは役者が演じているうちに工夫が加わり変化していったのであろうか。この間は真似をしようと思っても簡単にはいかない芸域である。

三谷ワールドが個人的嗜好から勝手な味付けができて本人は自己満足しています。

整理していたら断捨離できなくなりました。録画して忘れていた面白い組み合わせの舞台もでてきたのです。観るだけ見て録画するだけしての現在ということでしょう。ぬり絵していけるかな。努力しましょう。

追記: 緊急事態宣言延長のうちに新型コロナの変異株の拡大を防いでほしいです。ワクチンで希望が出てきたのに敵は手ごわいです。先におさえこまなければ。

追記2: 東日本大震災から10年。様々な報道がなされていた。被災地で当時10歳だったお子さんも成人されたわけである。成人された方が10年を通して見てきたことから自助ではどうすることもできないこともありますと語られていた。つらい状況をしっかり見つめられ前をむいて生きておられている若い力にこちらが光を当てられているようなパワーをいただいた。

追記3: 新型コロナの変異株のなかには、感染力が強く、15歳以下の子供たちの感染が多くなっているともいわれている。科学的検証をしっかりしてもらい対策を早急に検討していただきたい。若い力が未来に羽ばたけるように。

追記4: お気に入りは冷蔵庫に張れるミニホワイトボード(100均)。気がついた時に買い物の品物を書き込みスマホで写真に撮って買い物へ。バーッと記憶のままに品物を選び、じゃまにならないところで写真を見る。買い忘れたものを足してレジへ。有料配達も上手く利用して自転車で。

若いお母さん方電動自転車でお子さん乗せて頑張っています。電動はもう少し先の楽しみにとっておきます。

「三谷かぶき」から三谷文楽『其礼成心中』(3)

「三谷かぶき」を楽しんできたが三谷文楽『其礼成心中』(2012年・パルコ劇場/昨年の8月にも再演されました)に進みます。この作品のおかげで文楽の『曽根崎心中』と『天網島時雨炬燵(てんのあみじましぐれのこたつ)』の録画を観なおすこととなり、さらに歌舞伎の『河庄』のDVDも鑑賞することとなり文楽と歌舞伎の違いも改めて味わえました。

其礼成心中』の録画を以前観たときは少しお笑い的かなと思い、舞台の後方上に大夫と三味線が位置するのも違和感があった。ところが観るうちに面白い筋を考えたものだと感心していた。今回は大夫と三味線の位置も慣れたのか気にならなかった。

そもそもこういう位置関係にしたのはかつてこういう形もあったということで、さらに大夫(浄瑠璃)、三味線、人形の三位一体の文楽であるからとして三谷幸喜さんは考えたのだそうである。

三谷さんは文楽の魅力を、あの小さなサイズの人形が一生懸命生きるのがいじらしく、小さな世界を俯瞰でみられ応援したくなるといわれている。始めは人が動かしているとおもってみるが、いつしか人形が人の手を借りずに動いているように引き込まれていくのが不思議である。

近松門左衛門が『曽根崎心中』を書き、芝居が大ブームとなる。半兵衛とおかつ夫婦は天神の森のはずれで饅頭を売っているが、次々とカップルが心中の場所として選び死を誘う饅頭として売れなくなっている。これ以上心中が増えては困ると半兵衛は心中しそうなカップルがいないかパトロールしてまわる。

油屋の手代・六助とお嬢さんのおせんが心中しようとするのを半兵衛は止め、店に連れてきて相談に乗る。半兵衛よりもおかつの説得のほうがカップルは納得する。おかつは心中は近松門左衛門が描くような美しいものでななく、実際にはみにくくて、汚くて、くさくて、みじめだという。カップルはおかつの話に納得して饅頭をもらって帰るのである。

そこで半兵衛は心中のカップルの身の上相談をして饅頭を売ることを思いつき曽根崎饅頭として売りだし大評判となり店も大繁盛である。

ところが、近松さんは次に『心中天網島』の芝居を書きこれが『曽根崎心中』を超えたとしてさらなるだいブームとなる。半兵衛夫婦の一人娘のお福が網島に天ぷら屋が出店を出し人気だと知らせてくれる。名前もかき揚げ天の網島。夫婦はさらにお福に偵察に行かせる。

かき揚げ天の網島は大繁盛で曽根崎饅頭屋傾いてしまう。さらにお福は天ぷら屋の一人息子と恋仲となりロミオとジュリエットの状況となる。

半兵衛は近松門左衛門に『曽根崎心中』の続きを書いてくれとたのむ。近松は自分が書きたくなるような「それなり」の心中があれば書くという。『其礼成心中』とはどんな心中であろうか。誰が心中することになるのであろうか。

曽根崎心中』に『心中天網島』をぶつけるというのが面白い。そして『其礼成心中』はできあがるのであろうか。

三谷ワールドであるから人形もいつもより立ったり座ったり走ったり、さらに水中で泳ぐということまでやってしまう。足遣いのかたは大忙しであった。

三谷さんは、人形も人形遣いさんも実際に水浸しにするという提案をしたところ文楽の方から、それは違うといわれる。たとえば『女殺油地獄』の油まみれで転ぶシーンも人形は何もなくても転ぶことができる。人間が演じることを人形が演じるということはウソの世界であるから、文楽はすべてウソの世界である。なるべく本物を排除して人間のできないことをしようということになったのだそうである。

近松門左衛門の『心中天網島』は今は原作ではなく改作が上演されていて、文楽では『天網島時雨炬燵』として、歌舞伎では『心中紙屋治兵衛』(『紙屋治兵衛』)などとして上演している。『天網島時雨炬燵』で心中に向かう「道行名残の橋尽くし」の場で橋の名前がでてくる。

其礼成心中』の中で、半兵衛夫婦が『心中天網島』を見に行く。紙屋治兵衛と紀の国屋の遊女小春の道行。「天神橋はその昔 菅丞相(かんしょうじょう)と申せし時 筑紫へ流され給ひしに 君を慕ひて大宰府へ たった一飛び梅田橋 跡おひ松の緑橋 別れを嘆き悲しみて 跡に焦るる櫻橋」

「道行名残の橋尽くし」に出てくる橋は、蜆橋、大江橋、難波小橋、船入橋、堀川、天満橋とつづき、最後の場所綱島の大長寺に行きつくのである。

この橋の場所などを知りたいと思ったらありました。

独立行政法人日本芸術部文化振興会のサイトの文化デジタルライブラリーの近松門左衛門から地図で見る「道行名残の橋づくし」で探してみてください。大変参考になります。

『~芸がさね舞がさね~』(第2回江戸まちたいとう芸楽祭クロージングイベント)②

「手妻(和妻)」は日本が工夫してきた奇術で、奇術のなかに組み込まれているのを見た事があるが、「手妻」だけというのは初めてである。この伝統を引き継いでいる藤山大樹さんは、2014年には、アジアでのマジックチャンピオン、2015年の世界大会「FISM(フィズム)」で第5位とのことである。

演目にも名前がついている。〔七変化〕〔柱ぬき〕〔連理の曲〕など。〔七変化〕は歌舞伎の舞踊などでもあり、お面を変えて違う人物になり変わるのであるが、もっと速く一瞬に変わるのである。演目に名前があるのはスト―リーがあるからなのである。一匹の狐が、化けて、人を驚かし、楽しむ。ところが、その変化の速さに驚かされてストーリーをとらえるまでには至らなかった。

和の紙の材質を活かした奇術といえるのかもしれない。切ってハラハラと散らす。こよりにすれば強い。折りたためば広げるとどうなるかなど。今度観る機会があれば、ストーリーを楽しませてもらうことにする。

和楽演奏・AUN J (アウンジェイ)クラシック・オーケストラ。和太鼓、三味線、箏、尺八、篠笛、鳴り物の和楽器のユニットである。関心したのは、観客を乗せていくパフォーマンスである。ヒデさんが鳴り物の手拍子(チャッパ)で先ずリズム感を座っている観客に伝えてくれる。そして津軽三味線で井上良平さんと井上公平さんが演奏され、つぎに二人羽織りの芸のように津軽三味線ひと棹を二人で演奏。これが聴きつつ観るパフォーマンスを加えてくれる。良平さんと公平さんは双子ということでさらに納得。

そして6人の演奏となる。尾上秀樹(中棹三味線)、市川慎(箏、十七絃筝)、石垣征山(尺八)、井上良平(和太鼓・津軽三味線)、井上公平(篠笛・津軽三味線)、ヒデ(鳴り物)。浅草といえば隅田川で滝廉太郎さんの『花』も演奏される。映画『わが愛の譜 滝廉太郎物語』が浮かぶ。廉太郎さんはこの頃はまだ希望に満ちた時代である。

和楽がジャズセッションのようでもあり、観客の乗せ方もうまい。『梅笑會』でも、岡谷太鼓の会の方々が花道で花林拍子木で素敵な音のリズム感を響かせてくれたが、まだまだ和楽器も開拓されていないやり方がたくさんあるということである。

爆笑問題のおふたり、いやはやスピード感が半端ではない。そのスピードについて行きつつ笑わせられる。これって練習するとしたら一回で嫌になってしまうと思う。打ち合せだけなのであろうか。相手の言いそうなことが分かっているので、修正しつつ次々と移っていくのであろうか。

それと今の世の中の話題ネタの新しさ。桜を見る会のシュレッダーとバンクシーのシュレッダーも、バンクシーのバレンタインの絵の話題があって復活させられる。そういう鮮度を落とさない探知機がたえず働いているらしい。今の話題をネタにするのは下手をすると録画をみる感じになってしまうが、そこをすくい上げる手腕にすきがない。すくい上げた金魚を元気に跳ねさせ、のぞく観客の反応を見つつまたすくい上げる。あれよあれよという間に。

この後、神田伯山さんと爆笑問題のおふたりは新宿末廣亭・夜の部でご一緒とかでどちらもぼやいていましたがお客さまはお待ちかねであったろう。

『平家物語』の〔那須与一〕読み返したが、伯山さんの講談のほうがやはり生き生きとしてワクワクさせられた。物語をさらに「講釈師、見てきたように嘘をつき」の腕がなければお客はなんだ昔のはなしかで終わってしまう。

庶民的料金で、これだけの芸を見せて貰っていいのであろうか。第3回は心して情報に気をつけます。

追記: どれだけ暇なのか、上から目線だと文句をつけつつこの書き込みを読んでくれている友人から「2/16の情熱大陸を拝見!」とメールがくる。それは結構!結構!「後でメールしようとメモしておいたけど、酔っていてどうでもよい話ししかメモされていなかった~ヤレ、ヤレ」と。どれだけ飲んでいたのか~ヤレ、ヤレ。