新橋演舞場 壽新春大歌舞伎 ~ 三代目市川右團次、二代目市川右近襲名披露~ 昼の部

新橋演舞場の新春歌舞伎は、市川右近さんが三代目市川右團次を、子息の武田タケル君が二代目市川右近を襲名のお目出度い公演です。

雙生隅田川(ふたごすみだがわ)』は、隅田川物といわれるものの一つで近松門左衛門さんの作品です。と書きつつ、チラシの内容を読んでいませんでしたので、新右近さんが二役で、出番の多いのには驚きました。そして宙乗りもされて、その落ち着きぶりには何ということであろうかとあっけにとられてしまいました。初舞台でもあります。

近江の国の吉田家が、帝から山王権現二十一社の鳥居建立の命をうけます。そのために比良ケ嶽の杉の木を伐り出したところ、そこに住む天狗が怒り、当主の吉田少将行房(門之助)は病となり、次郎天狗(廣松)とお家を狙う勘解由兵衛景逸(猿弥)が手を握ります。吉田家の跡取りは双子で、松若丸(市川右近)は別のところで育てられ父の見舞いに屋敷に姿を見せますが天狗にさらわれ、少将は殺されてしまいます。

どうにか梅若丸(市川右近)が吉田家の家督相続を許され母の班女御前(猿之助)や局・長尾(笑三郎)も安堵します。悪賢い勘解由は、一計を案じます。

朝廷からの預かり物の「鯉魚の一軸」の中の鯉に眼を入れて鯉が絵から飛び出すかどうかを梅若丸にためさせます。そそのかされて梅若丸が眼をいれると、絵の中の鯉が池に飛び込んで逃げてしまいます。困惑する梅若丸は、勘解由に一時的に身を隠すよういわれ屋敷から去ります。そして人買いの淡路の七郎(右團次)のもとで折檻されて亡くなってしまうのです。

狂乱しつつ子供を探す母の班女御前は、程ヶ谷から隅田川までたどり着きます。ここで隅田川が出てきます。対岸には筑波山が見えています。北斎さんの『隅田川両岸景色図』にも筑波山が描かれていました。母は子の死を知り悲しみにくれます。

<ふたご>とありますが、では松若丸はどうしたのか。実は人買いの淡路の七郎は、もと吉田家の家来・猿島惣太といい、傾城狂いからお家のお金を使いこみ、吉田少将に命は助けられ、傾城の唐衣(笑也)と下総で人買いになっておりました。惣太は唐衣にも内緒で、主人の恩に報いるため使ったお金の一万両をためていたのです。主君の子とは知らず、梅若丸を十両で売れば一万両となるのです。あと十両とのおもいが梅若丸をとんでもないことに死なせてしまいます。

捜し訪ねて来た県権正武国(海老蔵)の前で事実を知らされ、惣太は貯めた小判をまき散らし悔やみます。その一念は切腹して七郎天狗となり、隅田川の班女御前の前にさらわれた松若丸を連れてきます。喜ぶ親子。七郎天狗、松若丸、班女御前は、宙乗りで、急ぎ吉田家目指して飛び立ちます。

逃げた鯉は奴軍介(右團次)が見つけだし、絵に戻すべく本水で「鯉つかみ」の奮闘の場面となり無事鯉は絵にもどり、絵は松若丸の手にしっかりと手渡されます。

三代目猿之助(二代目猿翁)さんが築かれたものが、新しい世代に手渡された瞬間でもあります。

右近さんの出番が多いのわかってもらえるでしょう。絵の中の鯉のように、しっかり芝居の中に入り込んでいました。そして、宙乗りで跳ねられました。

猿之助さんが、隅田川での母の嘆きを丁寧に表し、海老蔵さんが脇にまわり芝居に厚みを加えられました。

中車さんは、台詞を慎重に工夫しつつ言われているのためでしょうか、瞬きの多いのが少し気になりました。門之助さんと猿弥さんは澤瀉屋ならこの人でしょうの持ち役です。笑三郎さんの局も安心して観ていられる役どころです。

笑也さんが、国立劇場の『仮名手本忠臣蔵』で一層身体的にも心根もしっかりされてきました。それと同じように、米吉さんも、国立劇場の経験から独り立ちしたようなそんな感じを漂わせていました。男女蔵さんは浅草歌舞伎からどんどん遠のいての惣太の父役で渋さを増してきました。廣松さんまだ悪になりきっていず、弘太郎さんも悪役としては今回甘いです。

芝居の流れは、台詞で説明するようにした部分もありますが、台詞がはっきりしていてよく聞き取れ判りやすくなっており、何より三代目市川右團次さんと二代目市川右近さんの親子共演の襲名公演としてたっぷり楽しめる演目となりました。

 

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