亀治郎から猿之助へ

テレビでの「新猿之助誕生」を見た。 亀治郎から四代目猿之助襲名までのドキュメントである。澤瀉屋を背負って行くのは亀治郎さんだと思っていたので、猿之助さんの下を離れて舞台に立つように成った時は修行に出たのだなと当たり前に感じていた。

叔父の猿之助さんに反発してとは思わなかった。澤瀉屋を背負っていくなら古典をもっと勉強すべきだし必要不可欠と受け取っていた。

その後の亀治郎さんは猿之助一門では出来ないような演目や役をどんどんこなし楽しませてくれた。電車の中で、歌舞伎の役者さんの話をしている若い女性達がいて、誰のことかなあと聞き耳を立てていたら亀治郎さんの事であった。亀治郎さんのファンが増えてきた風を感じた。期待に答えるだけの頑張りを見せていたので嬉しい事であった。

猿之助さんが病で倒れた時、その前からあれでは猿之助さん倒れるのでは、と見ている側では心配していた。その時亀治郎さんは猿之助さんの下へ戻らなかったそうであるが、それは的確な判断だったようにも思う。その後、玉三郎さんが猿之助一門を率いて公演をされたりして猿之助一門も新しい経験と勉強をしていた。

良い時期に亀治郎から猿之助に襲名されたと思う。二代目猿翁さんも身体は不自由でも内に秘める闘志は鬼気迫るものがある。

まだ舞台で二代目市川猿翁さん、四代目市川猿之助さん、九代目市川中車さん、五代目市川團子さんを拝見していないので、これからの出会いが楽しみである。また、どんな澤瀉屋一門になって行くのか期待の大きいところである。

追記: 2011年3月には「スピン(回転)」をテーマにブルーマンの音楽とコラボで「獅子」を舞っている。勢力的に前進し続けている。

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