映画館「銀座シネパトス」有終の美 (5) 「花籠の歌」

「花籠の歌」(1937年/松竹)戦前の映画である。

監督・五所平之助/原作・岩崎文隆「豚と看板娘」/脚色・野田高吾・五所亭          出演・田中絹代 、佐野周二、徳大寺伸、川村惣吉、高峰秀子

東京のとんかつ屋を舞台にその看板娘とそこに通う大学生の青春恋愛映画である。その当時の銀座、とんかつ屋の二階の窓から見える東京の風景など「銀幕の銀座」(川本三郎著)に興味深く書かれているので読めば楽しく想像できる。映画を観てから改めて読み返し、なるほどと感心させられつつ思いださせてもらった。

とんかつ屋の看板娘・田中絹代さんは溝口監督の田中絹代さんと違って愛くるしくて可愛らしい。溝口監督と田中絹代、小津監督と原節子。確かに演技的にもその計算された美しさも良いのであるが、彼女たちの初期の映画の原石としての瑞々しさがなんとも新鮮である。それに対し高峰秀子さんのちょっとひねた演技には、デコちゃんらしいと笑ってしまう。此のくらいの年齢で、もう大人達に対し素直にはなれないわよという態度があり、誰も真似の出来ないところである。演技指導があっての事なのか、あの子役は面白いからやらせておこうとの判断なのか。役がとんかつ屋の看板娘・田中絹代さんの妹で、どうも女優の勉強をしているらしく、自分が売れる女優になれるかどうか疑問の言葉を吐くが、周りは注目しない。なんせ看板娘に皆の目は集中しているのだから。姉が恋人の佐野周二さんとの事で泣いていると、デコちゃんはどうしたのと心配し慰めつつ、周りの男たちをちらりと見回し、何とか出来ないのとあんた達とでも言っている様である。仲代さんが高峰秀子さんの事を<日本の女優には非常に珍しく、人間のニヒリズムってものをやっぱり強烈に出した人ですよ>(「仲代達矢が語る日本映画黄金時代」)と的確に言われている。

看板娘・お嬢さんに恋焦がれているコックの中国人・李さんは徳大寺伸さんでこの俳優さんが徳大寺伸さんという名前である事を今回はっきり記憶に残した。作詞家・西條八十にあこがれ作詞家を目指していて、お嬢さんに捧げる歌を作りたいと思っている。しかし、恋破れ、とんかつ屋を去るのである。この中国人・李さんのとんかつの腕と看板娘でこのとんかつ屋は持っていたのであるが、李さんが去り、慣れない佐野周二さんが婿に入りどうなることかと思いきや、看板娘の父(川村惣吉)は2年後には<すき焼き屋>にしよう、きっと儲かると言って明るく終わるのである。

原作名「豚と看板娘」が映画名では「花籠の歌」と変わっているのが面白い。これは中国人・李さんの作詞しそうな題名である。

「銀幕の銀座」にとんかつ屋の出てくる映画として、川島雄三監督の「とんかつ大将」と「喜劇・とんかつ一代」、小津安二郎監督の「一人息子」が紹介されている。「喜劇・とんかつ一代」は見ていない。「とんかつ太将」はとんかつが好きで貧しい人達の治療にあたっている医師を中心とした話である。その医師が佐野周二さん。その友人で佐野さんが戦地に行っている間に佐野さんの婚約者と結婚してしまうのが徳大寺伸さんである。「とんかつ大将」は浅草が舞台で、そう簡単にはとんかつは口に入らない。貧しい人にとってあこがれのとんかつである。「一人息子」のとんかつ屋は砂町あたりだそうである。「花籠の歌」で佐野周二さんの友人で寺の息子の笠智衆さんは「一人息子」では、信州の学校の教師で、教師を辞め勉学に燃え東京に出るのである。この先生の勧めで、一人息子を貧しいながらも母は一人で働き続け、東京の学校まで出すのである。母が一人息子に会いに行ってみると、息子は結婚し子どももおり、夜学の教師となり細々と生活し、かつての先生もこれまた細々ととんかつ屋となっている。こちらのとんかつ屋は総菜屋のようである。母にとっては期待はずれの納得のいかない<とんかつ>である。

「一人息子」(1936年)砂町・「花籠の歌」(1937年)銀座・「とんかつ大将」(1952年)浅草・「喜劇・とんかつ一代」(1963年)上野である。

 

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