ル テアトル銀座 『三月花形歌舞伎』

海老蔵さんの誠実な舞台であった。等身大の舞台と感じた。口上を聞きさらに納得していた。海老蔵さんは父上團十郎さん、勘三郎さんに教えを受けたことを幸せと率直に受け止め今はひたすらそれを自分の身体でなぞることに喜びを感じているようであった。特に今回は、團十郎さんと親子で「オセロ」の舞台の予定であったが、團十郎さんの歌舞伎座柿葺落4月公演に備え「オセロ」から「三月花形歌舞伎」の話があった時、即、勘三郎さんの追悼公演にしたいと思い、勘三郎さんから教えを受けた「夏祭浪花鑑(なつまつりなにわかがみ)」と「高坏(たかつき)」を選んだそうである。

想像であるが、勘三郎さんの映像は見ずに教えられた言葉を思い出しつつ、共演の役者さん達とのバランスを取りつつ作られていったのではないだろうか。中村亀鶴さんの一寸徳兵衛と団七の組み合わせが良い。団七も徳兵衛も人に引き立てられてやっと今現在男だてとして生きていられる身分である。その仲間意識が二人の立ち姿ですっきり見せてくれる。良い対称である。いざ一人になってみると団七は強欲な義父・義平次に助けられ男だてになったが、牢にも繋がれ、その間義平次の娘で自分の嫁・お梶と倅の面倒をも見てもらっている。義平次は金のため、団七の旧主の恋人を他所へ斡旋しようとする。それをされては団七の男が立たない。この義平次(片岡市蔵)の団七のなじり方は、それまで爽やかな男だてだった団七に浪花のじっとりした暑さをじわじわと感じさせる。ついに団七は義父を殺す事となる。そこからの見得の形の善さは、海老蔵さんきっちり身体一面の刺青を生かして決めてゆく。花道が無く、通路が花道である。義平次殺しも泥は使わず水のみである。賑やかな神輿の一群の人々について観客の間を逃げてゆく。

今回は屋根上の捕り物がつき、花形歌舞伎の若さも満開である。

「口上」では勘三郎さんとの思い出、團十郎さんの人柄などを湿っぽくならないように愛情込めて楽しそうに話される。このお二人に身近に教えを受けたことに心から感謝されているのが伝わる。特に十二代目團十郎さんは父十一代目が早くに亡くなられ殆ど教えを受けていない状態であり、その事を考え合わせると海老蔵さんの中で何かが芯となって残されているように思われる。<歌舞伎を宜しくお願い致します>の最後の締めは歌舞伎をこよなく愛した勘三郎さんと團十郎さんの願いでもある。

「高坏」は勘三郎さんがされていた仕草だと思われる愛嬌の箇所が幾つかあったが、おとぼけは海老蔵さんならではの雰囲気である。以前から亀鶴さんの行儀のよい踊りに何時か伸びると思っていたが、高足売り、なかなかよかった。砕けすぎず、次郎冠者のとぼけた所を崩さずに騙してしまった。爽やかな「高坏」であった。

 

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