河鍋暁斎とジョサイア・コンドル (4)

コンドルについては、訳者の解説をかりると、英国生まれで日本へ来たのが明治九年(1876)24歳の時。建築家でも本国では実作は無い。どのような経緯で日本政府に招かれたのかは不明である。明治政府工部省管轄の工部大学建築学科教師となる。学生たちにも「温順で親切な」人柄で評判は上々である。

コンドルは<日本衣裳史><日本の造園研究><生け花の研究><日本画の研究>など日本古来の成り立ちから現在にそれがどう生き続けているかを調べ紹介している。

「そのほかコンドルは歌舞伎を愛好して役者の演技や声色を披露し、寄席に通って三遊亭円朝の落語や神田伯円の講釈を聞き惚れ、自ら実演を試みる意図があったのか、その速記本をローマ字で書き写したりした。日本舞踏の稽古では出稽古に招いた坂東流の師匠金蝶(きんちょう)の内弟子と遂には正式に結婚するほどに熱中している。」

コンドルが暁斎に入門したのは明治十四年(1881)、第二回内国勧業博覧会のため自分の設計した上野美術館(旧国立博物館)で暁斎の「枯木寒鴉図(こぼくかんあず)」を見てからであろうとされている。コンドル・29歳。暁斎・50歳の時である。

 

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