友 遠方より来たる (番外編)

友人が旅の記録を一枚にしてくれると期待していたら、葉書一枚にして早々配達される。お見事である。いつの間にか行った場所のピンナップを撮っていてくれていて、人物は飲み会で、お店の人に撮ってもらっただけである。朝倉彫塑館の門柱のブルーの名前の彫がいいねと言われ頷いたが、それも建物の横に配置している。写真のために立ち止まらせることもなく意識させることもなく旅の最高の写真家であり編集者である。

大円寺に笠森お仙の碑があったが、笠森稲荷境内の茶店鍵屋というのは、本当は、天王寺の塔頭福泉寺(現功徳林寺)にあったもので、どうも後の人が大円寺の瘡守(かさもり)稲荷と混同したという説もある。

私の間違いで築地塀のあるお寺を長安寺と書いたが、観音寺であった。

初めて谷中を訪れたのは、団子坂に住んで居たことのある友人の案内であった。その時日暮里駅から御成坂を上がった右手の最初のお寺・本行寺で彰義隊が立てこもったため門に銃弾の跡があると教えられたつもりで確かめたが無かったので違う場所だったかと思いきや、調べたら隣の経王寺であった。今回近くを通りながら、上野の山の戦いの歴史の傷跡ととして見せられなかったのが残念である。その初めての時一緒に高村光太郎と智恵子の住んで居た住居跡も探してもらたのだが見つからなかったが、今は地図に載っているので今度突き止めたいと思う。

朝倉彫塑館を左手にまっすぐ進むとお寺の町のイメージが味わえるであろう。川口松太郎さんの「愛染かつら」のヒントとなった自性院もあるが、ただ、愛染明王は非公開で桂の木もないので行ったが印象うすいお寺である。

桜の時期は谷中霊園が、ツツジの時期は根津神社と忘れ物を探すように町歩きを楽しめる谷・根・千である。

その後、友人が『上野谷中殺人事件』(内田康夫著)を読み<谷根千>の意味が分ったと知らせてきた。こちらが分かっていても共通語になるには時間を要することもあるようである。

 

 

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