立川談志さんの『芝浜』

談志さんは人情噺をやりたくないといわれ、それなのになぜ『芝浜』をやるのであろうかと、考えつつ言われたことがある。他のに比べれば私の『芝浜』は上手いよと、当然自画自賛も忘れない。

年末に有楽町のよみうりホールで、『芝浜』を語るのが定番となっていたようで、談志さんが亡くなる何年か前に、最初で最後の年忘れの『芝浜』を聴いた。

酒好きの魚屋が女房に諭され久しぶりに魚河岸に魚の仕入れに行く。ところが、おかみさんが時間を間違え、まだ誰もいない時間に河岸についてしまう。煙草を一服しながら、ひょいと紐を引っ張ると財布が出てくる。慌てて魚屋は家に帰り、財布の中身を調べてみると42両入っている。これで遊んで暮らせると、近所の者をよんでどんちゃん騒ぎである。ところが眼を醒ましてみると、おかみさんは、財布など見た事もない、夢を見ていたのだろうと素っ気ない。さあ大変である。お金もないのにどんちゃん騒ぎ。私が切り盛りするから、働いてちょうだいというので、お酒をぷっつりやめ仕事に精を出す。

三年後には、長屋の裏から表に出れるまでになる。大晦日、畳も新しくしておかみさんは財布をだし打ち明ける。大家さんに相談して、お前さんには夢だったことにして噓をついたのだと。怒る亭主。しかし、考えてみれば、財布をひろった事は世間にも知れ、つまらぬ生き方したであろうと、魚屋はおかみさんに頭を下げる。そして、すすめられたお酒を飲もうとして、「やめた、夢になるといけないから。」ときめる。

談志さんは、この女房が嫌いだと言う。どうしてかは言わない。話し方によっては、出来過ぎた女房になり過ぎるということなのか。名作というのは、様々な人がやっているので、それを超えるというのが難しい。この人のこういうところの『芝浜』はいいと言われなくては、また『芝浜』かと思われてしまう。

私が聴いたときは、畳が新しくなった大晦日、魚屋の家が新しい明るい家に代わっていた。そして、おかみさんが可愛いのである。あの談志さんの顔を思い出すと、信じられないが、噺にずーっと聴き入っていると、「おまえさん、あたしお酒呑みたくなった。おまえさんも呑もうよ。」「おれも呑んでいいのか。」「呑んじゃいなさい。べろべろに酔っちゃいなさいよ。」の誘い掛けが真に愛らしいのである。今まさに仲良く飲みかわすその寸前で、こちらの夫婦に入れ込んだ夢は壊されてしまうのである。

談志さんは、『芝浜』を語る前に一番いい『芝浜』はすでに三鷹でやってしまったと言われた。どんな『芝浜』なのか聴きたいとおもっていた。談志さんの一周忌に『映画 立川談志』が出来た。その中で、三鷹での『芝浜』が入っていた。おそらく、これが談志さんの言っていた『芝浜』と思う。

よみうりホールで聴いたのとは違う。あくせくしていない。ゆったりと構え、その動作も丁寧である。飲んべいで、その日暮らしの魚屋である。そこに突然お金が舞い込む。しかし、それは夢である。おかみさんに、後押しされ魚屋は働きはじめる。おかみさんはずーっと、亭主に噓を言ってきたことを気にかけていたようである。大家さんの考えとは言え、噓のうえに亭主を乗っけておくのが忍びないのである。すべてを打ち明けて、そこからの出発にしたいのである。<噓>にこだわるおかみさん。怒る魚屋。「ねえ、おまえさん別れないで。」と頼むおかみさん。魚屋はそんなことが言えた義理ではない。「えっ、許してくれるの、おまえさん。おまえさん、わたしお酒呑みたくなった。」

おかみさんが呑みたくなる気持ちがわかる。<噓>と<お金>の必要が無くなったのである。おかみさんにとって、恐いものはもう何もないのである。亭主さえいてくれれば。

おかみさんの手柄にはしていない。それでいながら、そのおかみさんへの魚屋の返答が、「夢になるといけないから。」なのである。

これが、好き勝手なことを言われている談志さんの『芝浜』である。悔しいが、ほろりっときて、見事に裏切ってくれた。談志さんは、落語は<一期一会>と言われていた。

 

 

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