旧東海道・『二宮』から『小田原』を通り『箱根湯本』へ(1)

『二宮』から『小田原』まで行ければと思っていたら、『箱根湯本』まで行けた。保土ヶ谷の<権太坂>のリベンジが暑かったので、『二宮』からは、8時には出発できるようにと実行したのが、上手くいった要因の一つである。もう一つは案内本をよく読みこんでいたこと。ただし友人がであるが、私はその場で読んで再確認。これも良かったのかも。思い込みがあるから、違う眼が入ることが、原点に戻れたともいえる。それにしても相も変わらず史跡を捜して行きつ戻りつである。仕方がないので、友人と二人で、本の編者の目から見た、突っ込みの入れ合いをして、楽しんで乗り切った。

「そう簡単に制覇できると思うのが甘い!」「そこは上手く行っても、油断させておいて戻らせた!」「これはこちらの責任ではない。当地の東海道への捉え方なのである。」

そして、昼食に美味しいお店に遭遇し満足感が気力と結びついた。さらに、大磯、二宮間の一里塚のリベンジを後回しとしたことも。捨てる計画あれば拾う計画ありである。

JR二宮駅から進んで国道1号から別れ旧東海道に入る道をまず見つけること。旧東海道は短い距離である。その分かれ道に<旧東海道の名残り>と標識があった。

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上手く旧東海道に入れた。右手<藤巻寺>と左手<道祖神>があるはずである。あれ!国道一号が見える。戻るしかない。立派な石の門柱には、<等覺院>とあり、上に小さく<藤巻寺>とある。境内には藤棚があり「将軍家光上洛のおりご覧になり、仁和寺宮が下向の際にもご覧になり、<藤巻寺>の別号を与えられた」と伝わり白い藤であるらしい。

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さて注意していたつもりだが、門柱をしっかり視ていなかった。行きつ戻りつ<道祖神>が無い。諦めて、国道1号線の合流点へ。あった。<天神社>の石碑もあり、もしかする<道祖神>をその後移したのかもしれないと「そういうことにしよう。」と許す。

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次が、<押切坂一里塚跡>であるが、これまた、国道1号を外れ短距離旧東海道である。これも上手く旧東海道に入れ、<史跡東海道一里塚の跡>も見つかる。案内板には、このあたりは旅人目当ての茶店やお店があり「梅沢の立場」と呼ばれて賑わっていた場所である。国道1号と合流し押切橋を渡る。しばらくはJR国府津駅までは国道1号を歩けばよい。

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JR甲府津駅を過ぎたところで行き過ぎてもどり、<真楽寺>と<勧堂>を捜す。<真楽寺>は解かった。<真楽寺>は親鸞さんゆかりの寺であるが、往古は聖徳太子さんの所縁よって建てられたとある。<勧堂(すすめどう)>は親鸞さんの草庵であるとのことだが、土地の人に尋ねてもはっきりせず、「時々人が立ち止まって見ている石碑があるのでそれかも知れない。」と教えてくださる。とにかくお礼を言って戻る。あった!石碑である。<御勧>とあり、その奥に何かある。親鸞さんが滞在されたという庵の跡である。中に何か残っているのかどうか、石作りで囲われていて様子は判らない。その裏に廻って観ると、相模湾が一望で風光明媚この上ない。親鸞さんなかなか風景に関しては贅沢である。

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地図上は些少の差で道を挟み並んでいる場合、こちらも、その些少さのさじ加減が難しい。それで、道の右、左と移動して捜すのであるが、見やすい所に表示があるかどうかはわからない。表示板なのか、石柱なのか、指標なのか。あれかなと検討をつけたり、突然あらわれたりする。

それにしても、お天気の良さが時々富士山の雪の残った頭を見せてくれるのが嬉しい。暑さのなかの一服の清涼感である。

国道左手に<小八幡一里塚>がある。その説明には、一里塚は家康が秀忠に命じて設けたとあり、男塚と女塚が左右にあるとしている。男塚と女塚の名称は初めて出て来た。さらにすすむと、今度は、日蓮さんの旧跡<法船寺>である。このお寺には小さな五重塔があった。

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次が昔は渡し舟であった<酒匂川(さかわがわ)>を渡るのである。今は<酒匂橋>であるが、渡しの位置まで行き、戻って、橋を渡り、渡しの着いた場所まで戻って、着いた場所からの道を進むのである。今回は、東側の渡し場も現在の橋のたもとで、西岸は橋から100メートルほど北側ということなので、楽である。しかし、酒匂橋からの景色がいい。富士山も少し見え、建物等をポンポン飛ばして消してしまう。これが雨や風のときは、川止めで旅人にとっては難儀なことであったのだ。この西岸の渡し場の位置が判らない。なんの表示もない。それらしい2本の道を通て一応通過とする。

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国道1号にでて、再度、超短い旧東海道である。小さなコブのように周って国道1号に出るのである。この道であろうと入ったら<新田義貞公首塚>の道標があり、ここが旧東海道と安心して進んだが首塚が無く国道1号に出てしまう。ももう一回道標までもどる。道標が ↱ 縦横であった。歩きながら見ているので長い横だけが目についた。「安心は禁物。要注意!」と言ってるよ。

ありました。小さな公園の中に。<新田義貞公首塚>の石碑である解説板もなく、この時代のことはよく解らないので、どうしてここにあるのかは不明である。首塚とみると、すぐ平将門さんなどの、首が飛んでくるのを連想してしまう。無事見つかり、国道1号と合流して小田原宿に向かう。因みに小田原宿は日本橋を発った旅人が二泊目の宿の場所である。

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