歌舞伎座6月 『天保遊侠録』『夕顔棚』

『天保遊侠録』。十一代将軍家斉の時代とあり、この芝居の主人公、小吉の息子の鱗太郎が言うように、新しい時代のくる兆しのあった時代である。それは、小吉が、無役から役につこうと、向島の料亭で上役に接待し、上役が傍若無人という武士の腐敗した姿を映し出している。

小吉は後の勝海舟(鱗太郎)の父である。小吉は勝家に養子に入った人物で、養子でありながら成人してからも放蕩生活を続け、座敷牢に入れられた、その時期にできたのが鱗太郎である。それらの事はセリフで語られる。

武士の腐敗と小吉の生き方などを全てセリフで理解し、小吉の生き方から、到底我慢できる世界ではないということがわかる。観ていて思ったのだが、小吉が爆発して全てをぶち壊すのは、甥の庄之助が一同にばかにされてである。小吉は、庄之助の姿に役についた時の自分の姿を見たのである。鱗太郎はその父の姿を見て呑み込み、父に代わって若君のお相手としてお城に入ることを決めるのである。

今回、残念だが鱗太郎のセリフにさらわれて人情噺になってしまった。小吉の橋之助さんには、もう少し大きな小吉を見せてもらいたかった。小吉に対しては、姉である阿茶の局である魁春さんが、きちっと一同に言い渡してくれる。小吉が父として息子に見せたくない部分を息子はしっかりわかっている。小吉は自分の行動を理路整然とは語れず、啖呵を切るだけである。それがこの人の生き方であり魅力である。この時代の風の中で遊侠でしか自分を表せられない小吉である。そこのあたりの人間像をもう少し骨太に押し出して欲しかった。

かつて駆け落ちした八重次の芝雀さんとの最後の場面に、小吉の照れ隠しの本音が上手くおさまり、良い幕切れであった。勘三郎さん、三津五郎さん亡きあと、橋之助さんに対する期待が大きいゆえの感想になってしまった。

團蔵さんが、聞きやすいセリフで、ややこしいしきたりなどを説明してくれたので、小吉の押さえが効かなくなっていく流れ上手くかぶさった。庄之助の国生さんは、セリフの多い役だけに、時々言葉がはっきりしないのが残念であった。

『夕顔棚』は、菊五郎さんと左團次さんは地そのものではないかと思われるような息の抜き方が楽しかった。お風呂からあがったお爺さんとお婆さんが、お酒を酌み交わしつつ、盆踊りのお囃子にのって昔を思い出しながら踊るのである。

清元と三味線を聞いていると、この老夫婦の若い頃の色気が彷彿としてくるから不思議である。このあたりに邦楽の艶の力を感じる。里の若者たちが二人を誘いに来て軽快に踊る。舞台がぱっと明るくなり良い感じである。里の女の梅枝さんと、里の男の巳之助さんのコンビがほのぼのとした健康的な色気を振りまく。

たわいない老夫婦の倖せが心地よい舞台となるとは、菊五郎さんと左團次さんのたわいなくはない舞台裏のありそうな芸道であろうか。

 

 

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