常総市の石下

大雨による鬼怒川の氾濫で、常総市が大きな被害を受けてしまった。常総市の石下は二回ほど訪れたことがあり、テレビ映像から見ていて、あの静かで平和な田園に泥水が襲い亡くなられたかたやまだ行方がわからかたもおられ、なんとも痛ましい限りである。一日も早く生存の確認が取れることを願う。自然の残酷さを思い知らされる。

細長い常総市の真ん中を常磐線の取手駅から水戸線の下館駅へつながる関東鉄道常総線が鬼怒川と平行して走っていて、この鉄道も水に埋もれたようである。

石下は、歌人で作家の長塚節さんの生まれた土地であり、生家がある。石下駅から鬼怒川にかかる石下橋を渡り歩いて50分位のところに生家があり、西地区といわれ、そちらの方は少し高いようである。石下駅から川を渡らず10分くらいのところの東地区に、お城の建物があり、常総市地域交流センターである。その六階に長塚節さんの関係資料が展示されている。この交流センターも一時は孤立状態となったようである。豊田城として市民の交流の場とされ図書館や多目的ホールもあり、ここは高く位置しているのであるが、その高さをも孤立させるだけの水かさとなったのである。

七階は展望室になっていて、そこからは、遥か彼方に筑波山が見え、一面田畑なのである。二回目に行った時は、東日本大震災の後だったので、上階には上がれなかった。茨城は震災のときも被害を受け、農作物も放射能汚染の疑いから苦しい立場となり、やっとそれを乗り越えてきたところである。

農作物の被害も相当なものとなるであろう。収穫できない想い。心のケアと同時に経済的ケアが必要である。再び芽を出す田畑の整備がなされれば、また自然とともに生きる力も湧いて来るであろう。そのための経済的援助が欠かせない。そのことも平行して、先に進む道をつけてあげて欲しい。

被害は石下だけではないが、豊田城から一度目にした風景が焼き付いていて、目にした土地が特別となっている。一日も早く再び優しい実り多き大地となることを祈るばかりである。そして亡くなられた方々のご冥福を。(合掌)

 

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