友人達の希望で信州へ。長野、松本、穂高は行っているので、時間的配分も何とか頭の中に浮かぶ。問題は福島と山形であった。こちらは、私の希望である。福島は以前から見たいと思っていた、<文知摺石(もちづりいし)>が目当てで、山形は昨年行った<慈恩寺>をもう一度訪れたかった。どちらも、バスと電車の本数が少なく苦慮したが、アクシデントを助けられて希望通りにクリアできた。
初日は友人と二人で長野へ向かい、お昼にもう一人の友人と長野駅で合流である。合流するまで時間があるので、長野からバスで<川中島古戦場>へ行く。以前、長野から松代へバスで移動したときバス停があり、ここが川中島合戦のあったところなのだと思って通過していた。バスで25分で本数もあるから丁度良い。
武田と上杉の戦いは5回あって、4回目が有名な「川中島の合戦」だそうで、実のところ武田と上杉のことはよく判っていないのである。今は八幡原史跡公園になっている。<八幡社>があり、その他<執念の石><逆槐の木><三太刀七太刀の碑><信玄・謙信一騎討ちの像>などがある。
映画『風林火山』で山本勘助が三船敏郎さん、武田信玄が中村(萬屋)錦之助さん、上杉謙信が石原裕次郎さんで、武田信玄の周りを馬で上杉謙信がぐるぐる回り謙信がそのまま去って行ったので何なのであろうかと思ったが、信玄・謙信の一騎打ちを印象づけた映像だったわけである。勘三郎(十八代目)さんが勘九郎さんの子役時代で武田勝頼になって出られていた。
野外彫刻に中原悌二郎さんの『若きカフカス人』があった。劇団民藝の『大正の肖像画』にも出て来た彫刻家で新宿中村屋のアトリエに集った一人である。友人は中村屋サロン美術館に一緒に行ったことがあるのでその事を伝える。芥川龍之介の言葉があった。〔 誰かこの中原悌二郎氏のブロンズの「若者」に惚れるものはゐないのか?この「若者」は未だ生きてゐるぞ。 〕
土手を上がると広かった。目の前に長野市立博物館がありながら、違う話に花が咲き入らなかったのである。長野駅で、後から来た友人と合流し「川中島どうだった?」と聞かれ「広かった。」の一言である。
善光寺前までバスで移動。昼食をと思って何となく脇道に入ったらどうも酒蔵風である。誘われるともなく入ったところ、お酒の試飲である。なかなか、飲ませていく順番が上手い。次はお味噌である。気持ちよく乗せられ送ることとなる。美味しかったのでそれは良いが、そこで教えて貰ったお蕎麦屋さんが納得できなかった。私たちがおばかだったのか、天丼とお蕎麦のセットにしたら、お蕎麦がはずれ。お蕎麦は後からきたのに蕎麦がくっついている。友人があとで、お蕎麦だけの人とお蕎麦が違っていたよと。それを知っていたらセットにしなかったのに。
善光寺さんでの<お戒段めぐり>では、皆、極楽の錠前を探り当てられた。
そこから歩いて<東山魁夷館>へ。友人達は東山魁夷さんの絵は初めてで、ゆったりした気分にさせられたと満足してもらえた。すぐ前のバス停から駅までのバスも待たずに来てくれた。
今日の宿泊は松本なのである。長野と別れ篠ノ井線で松本に向かう。途中に夏に来た姨捨駅がある。棚田は車窓からは見えなかった。見えても教えられないほど友人たちは爆睡していた。篠ノ井線の秋の風景もよかった。
松本観光は明日半日の予定なので、ホテルに荷物を置き松本の町を散策に。蔵の街の中町通りと縄のように細長いナワテ通りをぶらぶらと歩く。夜で暗いが松本の町を少し感じてもらう。
一日目の散策は終了。飲めて食べれてと探したが適当なところがなく、知らない土地では、チェーン店が安心よということになる。安心しすぎて大きなお風呂に入れなかった。松本で二泊なので、二泊目は私だけ入った。友人たちはお風呂の大きさはこだわらないようだ。
追記: 大河ドラマ『風林火山』のⅮⅤⅮをレンタルして観た。川中島での信玄と謙信の対峙がなんで回数が多かったのかがわかった。武田、北条、今川の同盟もその策略も生き残りをかけた裏を読む戦いであった。面白かった。