南木曽・妻籠~馬籠・中津川(4)

藤村さんの系図を簡単に紹介すれば、藤村さんは馬籠宿本陣の四男として生まれています。母(ぬい)は妻籠宿本陣の娘で馬籠本陣の長男(正樹)と結婚し、藤村さんの二番目の兄(広助)は三歳のとき、母の実家の妻籠本陣に養子にはいっています。もともと、妻籠本陣と馬籠本陣の当主は島崎家から出て続いていくのです。

藤村さんは、九歳の時、三番目の兄と一緒に勉学のため東京にでてきて泰明小学校に通います。本陣を継ぐものは一人でいいわけで、長男以外はそれぞれの生きる道を見つけなければなりません。

馬籠本陣の隣の大黒屋の娘・おゆうさん藤村さんの幼馴染で初恋の人といわれていますが、おゆうさんは、14歳の時、妻籠の脇本陣にお嫁入りしています。

妻籠宿の本陣は江戸時代の本陣を再現し、藤村さんのお母さんとお兄さん関係の島崎家の印象が強いです。脇本陣にはおゆうさんの使っていたものも展示され、それらの高価さから見ると藤村さんのその後の生活と比較し、おゆうさんも収まるところへ収まったのかなという感じを持ちます。

妻籠の脇本陣は屋号を「奥谷」といい、9月から3月まで夕方明かり窓を通して囲炉裏ばたに美しい縦じまの光の道を描きます。係りの方が、「残念です。陽が射していれば見れるのですがと」と教えてくれました。ここには歴史資料館もあって三館をゆっくりみさせてもらいました。

そのほか瑠璃山光徳寺には、幕末から明治にかけてここの住職さんが考案したという駕籠に車をつけた人力車が飾ってありました。面白い事を考える住職さんです。

馬籠宿は本陣跡は藤村記念館となり、第二文庫では、藤村さんの長男・楠雄さんの息子さん・緑二さんの作品展があり、穏やかで優しい水彩画が展示されていました。大黒屋さんも楠雄さんの四方木屋さんも残っています。馬籠脇本陣は史料館となっていてめずらしいのは、玄武石垣という亀の甲羅ににた六角形の石垣が積まれているものです。

永昌寺にある島崎家のお墓もいってみました。島崎藤村家は楠雄さん達もふくめ幾つかのお墓が一つの集まりとなって肩よせあい静かに眠られていました。

『夜明け前』では、藤村さんの祖父の時代からはじまり、藤村さんのお母さんが半蔵さんのところにお嫁に来て、お母さんの兄で妻籠本陣の当主・寿平次さんが訪ねてきたり、半蔵と寿平次とが一緒に三浦半島にいる先祖を訪ねて江戸にでてきたりします。その時半蔵は国学の平田門人としての許可をもらうのです。半蔵はそのことだけに集中し、寿平次との性格の比較としても際立つ旅です。

落合宿や中津川宿には、半蔵の学問の友や師がいて、師の宮川寛斎は、中津川の生糸商人に頼まれ開港した横浜へ生糸を売り込むためにつきそい、その後よそで隠遁生活に入りますが、半蔵は別れの機会があると思っていましたが寛斎は半蔵にあわずに去ってしまいます。

中津川宿は、信濃とは違う商人の宿でもあり、これからの『夜明け前』でもいろいろでてくるのかもしれません。

実際の今の中津川宿は、説明書きも新しく整備されていて、日本画家の前田青邨(まえだせいそん)さんの生まれ故郷でもありました。桂小五郎さんが隠れていた家などもあり、「中山道史資料館」には、桂小五郎、井上薫、岩倉具視、坂本龍馬など幕末から維新にかけて活躍した人たちの資料があるらしいです。行ったときは、<企画展 中津川の明治時代 ー情熱をそそいだ学校教育から地域の発展へー >をやっていました。ここは脇本陣のあったところで、建物の一部と土蔵一棟が公開されています。皇女和宮さまの降嫁の際に随行した江戸城大奥老女花園が尾張徳川家の御用商人である間家に宿泊し、さらに翌年に寄りその応対ぶりに感激し人形などを送りその品も飾られていました。

皇女和宮様の降嫁の行列はそれを受け入れる側も大変で、人はもちろんのこと立派なお嫁入り道具などもあるわけで死人もかなりでたようです。山道を考えるとそうでもあろうとおもえます。人足などはただ囲われた寝泊りの場所で、農民たちは農作の繁忙期に宿の手伝いにでなければならず、それに対する不満も次第に膨らんでいきます。

明治にはいると明治15年4月3日には自由党総裁・板垣退助が中津川で演説を行い、その3日後に岐阜で暴漢におそわれています。「板垣死すとも自由は死せず」

歴史資料館を見てますと、平田学などの国学の人々が自由民権運動にも参加して、さらに中津川の教育にたずさわっていったような感じもみうけられました。

中津川は江戸末期から地歌舞伎が盛んのようです。横浜港が開港したと聞くとすぐ生糸を売りにいき紡績がはじまり、水力発電がはじまるとその工事関係の人でにぎわったようでそういう人の集まりに合わせて芸能も楽しみの一つとして受け入れられたのでしょう。江戸の歌舞伎役者さんにもきてもらったようで、地歌舞伎が今も残っているというのは凄いことです。

旅としては中山道はしばらくないと思いますが、中津川の資料館では、この近辺の中山道の道をコピーして置いてくれてましたので、それを眺めつつ観光として出かけることもあるでしょう。

さらにここで『夜明け前』の文章と写真で構成した『夜明け前ものがたり』(白木益三著)を購入したので、それを開きつつ、『夜明け前』の続きにとりかかるとしましょう。

 

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