着物の展覧会

日本の着物地、布、和紙、染め、色などを眺めているのは楽しい時間です。

世田谷美術館で『母衣への回帰 志村ふくみ』を開催しています。志村ふくみさんは自然の草木からの染色の絹糸で紬織をされている重要無形文化財保持者でもあります。60年におよぶ創作活動をされていて、染めて織られた着物の作品が初期から最新の作品まで展示されていますが、字も、文章も読みやすくそれでいて深く、文章を読むと作品に会いたくなり二回訪ねました。

説明文はあとにして、何を感じとれるか自分の感覚を楽しんでいくため、織物の<題>は作品を見てからにしたのですが、一つも当たらず、そうくるのですかとその題名も楽しませてもらいました。

興味があるであろうと思う友人に展覧会のことを伝えておいたのですが、二回目のとき友人と偶然遭遇しました。「母衣曼荼羅(ぼろまんだら)」は志村ふくみさんのお母さんの使われていた残った糸で志村さんが紡がれたもので、友人がその前に立っておりました。声をかけると涙がでてきてしまったと自分の世界に入っていましたので、私は二回目なので、好きに味わってと各々の空間へ。時間がないので後日ランチでもと別れました。

二回目は『いのちを纏うー色・織・きものの思想ー』(志村ふくみ、鶴見和子)と『遺言ー対談と往復書簡』(志村ふくみ、石牟礼道子)の二冊を読んだ後だったので、しゃがんだり、すかしたりと結構時間をようしました。

志村ふくよさんの作品が残っていて美術館の展覧会で作品を観れるのは、新橋の芸者さんが、志村ふくみさんの着物をみてこの着物を着たいと購入しはじめ、その後、滋賀県立近代美術館に60枚ほど寄贈されそれが引き金となって志村さんも「源氏シリーズ」を寄贈されて、地元の美術館に収蔵されることとなった経緯があるからです。この紬の着物に魅かれ、後を濁さず美しいながれが続く行動を起こされた方も、やはり志村さんの紬の着物に行動させる命の芽ぶきを感じられたのでしょう。

こちらは、後日のランチが次の日となり、口の大活躍となりました。志村さんの本はさらに数冊積んでますので、目も活躍させます。色々なことがつながって驚きと楽しさと深さの空間の中に漂わせてもらっています。

世田谷美術館 11月6日(日)まで

終ってしまったなかで面白かったのは、泉屋博古館分館『きものモダニズム』(2015年9月26日~12月6日)です。大正から昭和にかけて花開いた「銘仙(めいせん)」とよばれた着物たちです。日本の古典的柄を色、大きさの配置で新しい感覚で描き、さらに花などの植物や幾何学的模様の大胆な構図が、現代よりも解放されていました。こういう感覚も戦争によって閉じられてしまったのだという時代が左右する文化の閉塞が思いやられました。

ただ、この展覧会に来られている若いひとたちの着物の着方が、展示されている着物に劣らないくらいの楽しさでした。帽子をかぶっていたり、長い羽織をきていたり、そのコーディネートは、色の組み合わせ、小物の配置のしかた、手の持つ袋物など、じろじろながめてしまいました。

おそらく、着物をきてこられたかたたちは、見られるだけの感性を着方に集中されていて、ご自分の着物を通しての芸術的センスを造形しておられたとおもいます。若いだけにシックな色をもってきて着物の着方の基本をくずしても落ち着いた雰囲気でした。それが、展示の<きもののモダニズム>と上手く共有し、観る者を楽しませてくれました。

全然わからなかったのが、弥生美術館での『耽美華麗悪魔主義 谷崎潤一郎文学の着物を見るーアンテイ―ク着物と挿絵の饗宴』(2016年3月31日~6月26日)です。

谷崎さんの文学作品に出てくるヒロインの着物姿とはどんなものかを再現させたのです。『細雪』などの映画のなかで女優さんが着ているような着物を想像するとおもいますが全然違うのですとありましたが、その通りでした。

半衿から帯から帯締めの飾りから帯揚げから羽織から、すべてに模様があり、どこをどう見ればよいのかわかりませんでした。全部が主張していて、記憶に残らないような組み合わせなのです。作品の文章も紹介されていますが、どうやら、文章は目で追いつつ、頭の中の映像は映画の映像だったようで、正しく文を捉えていませんでしたが、それを知っても、着物の姿を思い描くことはできないということを知りました。

<耽美華麗悪魔主義>とは、これだけならべると何が耽美で何が華麗で何が悪魔なのかわからなくなってしまうということです。上から下までトータルで見る見方をしているためか、ひとつひとつの価値がわからないということなのかもしれません。

布その他工芸にかんしては、東京国立近代美術館工芸館でたくさん見させてもらっています。芹沢銈介さんの作品(2016年3月5日~5月8日『芹沢銈介のいろは』)もここでじっくり楽しませてもらいました。この国立近代美術工芸館は金沢に移転されるそうで、全て東京に集中せず地方へというのは賛成ですが、国立近代美術工芸館東京分館として、今までと同じように作品は楽しませて欲しいものです。

 

 

 

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