国立劇場周辺の寄り道

東京メトロ半蔵門線半蔵門駅から国立劇場の行き帰りの寄り道を紹介します。半蔵門駅の1番出口か6番出口を出ますと道向かいのマンションの間にに小さな稲荷神社があります。千代田区麹町にあるので麹町太田姫稲荷神社と呼ばれているようです。

神田にある太田姫稲荷神社の分社で、伝説によると太田道灌の娘が天然痘にかかり、さる稲荷神社に祈願したところ治り、江戸城内に勧請し祀られたました。そのあといろいろな変遷があり麹町の有志によって、地域の守護神、病気平癒、商売繁盛の神としてまつられたようです。

「バン・ドウーシュ」というオシャレな名前の銭湯もあったのですが今回見ましたら名前がなく廃業したようです。皇居周辺をマラソンするかたも利用していたようですが憩いの場がまた一つ消えていました。

1番出口、6番出口を右に坂を下っていきますと平河天満宮があります。これもまた太田道灌が江戸の守護神として江戸城にお祀りしたようです。二代将軍秀忠によってこの地にうつされ、平河天満宮の名にちなんで平河町と名づけられました。御祭神が菅原道真公ですから学問の神様で合格祈願のお参りも多いようです。

鳥居が銅で作られています。左右の台座の部分に小さな四体の獅子がいます。初めてみました。銅の鳥居は何代も続く名ある鋳物師(八代目・西村和泉藤原政時)によって作られ、江戸時代の鳥居の特色の一つとのことです。鋳物だからこそできる意匠です。

稲荷神社の横には、百度石があり、力石、筆塚などもあります。そのほか、石牛、狛犬なども奉納されています。

半蔵門駅の改札を出てすぐの右手に『半蔵門ミュージアム』のポスターがありいつも気になっていたのです。仏教に関係があるらしく無料なのです。駅すぐそばなのです。いつも使う出口ではなく4番出口すぐそばでした。

運慶作と推定される大日如来座像だけでも必見の価値があります。そのほかガンダーラ関係のものもあり、今回初めて入館しましたが、静かで入場者も少なくゆったり鑑賞できました。シアターも二つ観ました。「曼荼羅」は解説を読んでも難解ですが、映像によりほんの少し近づけました。「大日如来坐像と運慶」も心が揺さぶられました。次回は「ガンダーラ仏教美術」も観たいとおもいます。

そして今回は写真家・井津健郎(いづけんろう)さんの「アジアの聖地」の特集展示がありました。お名前も作品も初めての出会いです。プラチナ・プリントなのだそうでが白黒写真とは違う不可思議な感覚が呼び覚まされます。静寂、恐れ、邂逅、祈り、命の尊厳、悠久の時間空間、一瞬、などなど言葉を越えた世界です。

大日如来様に会えるだけでも嬉しい場所となりそうです。ただ展示替えの休館日などもありますのでお確かめください。

半蔵門ミュージアム (hanzomonmuseum.jp)

追記: 『猿之助×壱太郎「二人を観る会」』。予定していなかったのですが出先から電話すると当日券ありなので寄り道しました。頭から足の土踏まずの丸みまで全身見えての素踊り鑑賞。歌舞伎舞踊の身体表現の深さ。壱太郎さんの進行が絶妙で途絶えることのないトークの楽しさ。芸の話がさらっと何気なく出て超納得。愉快な思い出話など爆笑多し。最後は打ち上げ花火のような『お祭り』。まさしく「二人を観る会」でした。

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追記2: 『猿之助×壱太郎「二人を観る会」』が開催された日本教育会館の1階ロビーに御神輿が飾られていました。休憩時間にゆっくり眺めさせてもらいましたが、清元『お祭り』にぴったりの偶然の出会いでした。御神輿のように歌舞伎座などとは異なるピカピカのおふたりでした。この雰囲気は他では観れないかもです。(笑)

東京国立博物館「浅草寺のみほとけ」

浅草寺の仏像で公開の機会が少ない13件17体を観るためにトーハクへ。12月19日までなので間に合いました。本館14室です。人が少なかったので本館入ってすぐの正面の階段が撮れました。テレビドラマ『半沢直樹』や多くの映像で活躍している場所です。

仏像の写真は撮っても黒くなってしまい残念と思っていましたら、受付で解説書があるということでいただきました。これに12像が載っていましてお顔もはっきりしていまして嬉しく、じっとながめています。

比叡山中興の祖・慈恵大師(良源)座像。険しいお顔です。右隣は、角大師座像です。疫病の神を退けた際に自身も鬼の姿に変化されたといわれていて、その姿を角大師(つのだいし)と呼ばれ、護符などの魔除けとして信仰を集めたのです。

10室ー1では、「浮世絵と衣装 江戸(衣装)」。

火事装束(かじしょうぞく) 猩々緋羅紗地波鯉千鳥模様(しょうじょうらしゃじなみこいちどりもよう)。(『江戸の華』とよばれるほど火事が多かった江戸。江戸屋敷に在住する大名家では、男女を問わず、鍛冶に備えて火事装束を調えました。舶来品の鮮やかな毛織物に刺繍で模様を施し、火事場とは思えない華やかさです。防火ににちなみ、波や龍など、水にかかわる模様が好まれました。)それにしても派手ですね。

赤穂浪士が火事装束を用意しても、討ち入りのために用意したとはさぐられなくて済んだのかもしれません。火事のために多めに用意しているのだろうぐらいに思われたのかも。

10室ー2では、「浮世絵と衣装 江戸(浮世絵)」。

「仮名手本忠臣蔵」の浮世絵で葛飾北斎さんをはじめ有名な絵師の初段から十一段まで一枚づつ二通りの浮世絵が展示されていました。葛飾北斎さんの初段には富士山がきちんと描かれていました。五段目はもちろん工夫した斧定九郎が描かれています。中村仲蔵さんもまさか後々まで残るとはおもっていなかったでしょうね。「仮名手本忠臣蔵」の浮世絵は12月25日までです。

東京国立博物館・特別展『最澄と天台宗のすべて』

トーハクへは、上野公園の噴水のそばを通っていくのですが、今回は科学博物館への道をいきました。そして発見しました。

<多摩産木材を活用した園路舗装> 荒廃がすすむ多摩の森林の活性化保全、地域温暖化防止のために、間伐材を含む多摩木材を活用しているのです。木ですので腐ればまた取り換え間伐材の消費を促進するのだそうです。(東京都)

時には定番ではない道も歩いてみると違う出会いがあるかもしれません。

比叡山は観光の地としてツアーで行ったことがあるのですが、夕方について時間がなくて根本中堂の外観だけで、比叡山は修行の場で見せないところなのだと勝手に思ってしまいました。そのイメージが強く、その後、比叡山下の坂本は気に入り二回行きましたが、比叡山に行こうとは思いませんでした。

DVD『新TV見仏記 ⑦ 比叡山・大津編』で見どころ沢山なのを知り残念なことをしたと思っていました。

トーハク『最澄と天台宗のすべて』は展示物が充実していました。音声ガイドを借りまして、最初はそうですね、なるほどと納得していましたが、後半には猿之助さんの解説の声に頑張りますと誓いを立てて観てきました。予約制のためしっかり観れるので嬉しいのですがこれまた大変なんです。いつもは人がいっぱいで資料的文字系はパスすることが多かったのです。

今回は最澄さんの直筆もしっかりみました。三筆の一人である嵯峨天皇の直筆にはその文字の空間のバランス感覚に驚かされました。(三筆・嵯峨天皇、空海、橘逸勢)

最澄さんは桓武天皇、平城天皇、嵯峨天皇時代にまたがって朝廷の変化する時代に僧として生きられ、桓武天皇に認められました。

同時代には空海さんがいて、二大天才が同時代に存在していたわけです。空海さんは文筆がすぐれていて、文人の嵯峨天皇に好かれました。

そして今回の『最澄と天台宗のすべて』を前に、最澄さんに関する本として『雲と風と』(永井路子著)、『最澄と空海ー日本人のこころのふるさと』(梅原猛著)を読みました。さらに、『週刊 古寺を行く 延暦寺 10』をながめ、DVD『比叡山延暦寺 行と教学の霊峰 』(NHK)をも観て、かなり事前に最澄さんと延暦寺には触れておきました。

それだけに最澄さんが生きておられたころの展示は確認的要素がありましたが、死後の天台宗の流れは知らないことが多かったのです。第一会場は確認で、第二会場では、全国に散らばっている天台の至宝を目にすることができました。

比叡山延暦寺は、新しい宗教家、栄西、道元、法然、親鸞、一遍、日蓮らを輩出した勉学、修行の場でもあるのをあらためて紐解けた感じです。

司馬遼太郎さんの『街道をゆく 白河・会津のみち、赤坂散歩』で、「徳一」のところで、最澄と空海について書いてあり、そのことが頭にあって最澄という人を知りたいとはおもっていたのです。映画『空海』に少し登場しますが、最澄さんの映画はなく、宗教は解釈のこともあり難解で近寄りがたかったのです。とっかかりが見つからなかったので今回は最澄さんのことを知るうえで良い機会でした。

司馬さんの著書によりますと、僧・徳一は奈良の興福寺で学び、奈良仏教の堕落ぶりに批判的で会津で草庵を結び布教につとめ、慧日寺(えにちじ)という大きな寺を建て私学大学のようなお寺だったそうです。さらに、日本史上、最大の論争家としています。

徳一さんは、空海さんと最澄さんに論戦を挑むのです。最澄さんは真面目に論争に応じます。論争があまりに激しく、最澄さんの健康をむしばみ、死の遠因をつくったのではとまでいわれています。

「空海の場合、徳一の論争をたくみにかわし、むしろ徳一を理解者にしてしまったところがあり、このあたりにも、最澄の篤実さにくらべ、空海のしたたかさがうかがえる。」

この文章から、最澄さんのことが頭のどこかにありやっとすっきりしました。

ただこの論争は、最澄が記録していて後世にとっては大いなる幸いでもあると司馬さんはいわれています。

雲と風と』の著者・永井路子さんは、空海さんと比較しつつも最澄さんびいきのため、最澄さんの生真面目さが人が好すぎるとしています。会津の僧徳一との論争では、最澄さんの残された命の時間から、そんなことに時間をとられている場合ではないとやきもきしています。

最澄さんは、嵯峨天皇に東大寺での戒壇院での授戒だけでなく、延暦寺で修業した僧は延暦寺で授戒を受けれるように請願していたのです。最澄さんの後押しをするだけに、そんな永井路子さんの心情が読み取れて微笑ましかったです。願いが認められたのは最澄さんが亡くなったあとでしたから。

梅原猛さんのほうも客観的で、僧徳一との論争の長さはやはり最澄さんにとって法華経教学の理論を固めるうえで必要であったとしています。

徳一さんとの論争については展覧会では触れられてはいなかったとおもいます。(見逃していなければ)

沢山の仏像のなかでも楽しませてくれたのが十二神将立像(愛知・瀧山寺)の4体でした。その姿のポップさに、驚くやら、この仏師は異端児だったのだろうなあと感嘆しました。この仏像に関しては、みうらじゅんさんといとうせいこうさんの掛け合いの感想が聞きたいところです。

BS日テレの「ぶらぶら美術館」11月9日 夜8時 特別展『最澄と天台宗のすべて』の放送があります。展示物が多いのでどのように観られるのか、山田五郎さんのコメントもたのしみです。

展示会場では映像も多いです。制覇するためには最澄さんに劣らぬ真面目さと粘り強さが必要かとおもいます。

追記: 「東京国立博物館ニュース」によりますと本館14室で「浅草寺のみほとけ」を展示中(~12月19日)です。現在は聖観音宗ですが、中世には天台寺院としていて仏像13件17体を展示と書かれています。知っていれば観てきましたのに。期日的に観にいけそうですが。特別展では、国宝の『法華経』や『浅草寺縁起絵巻』も美しい状態で展示されていました。

追記2 深大寺の慈恵大師(良源)座像は巨大なのに驚きました。おみくじを始められたのはこの方とも言われています。加持祈祷の力もあったようです。

追記3 猿之助さんと春日太一さんの時代劇の映像の話面白かったです。猿之助さんとの共演者の演技に対する姿勢がよく語られていてさりげなく濃密な話を聞けました。監督・キャメラマン・スタッフの話も興味深かった。猿之助さんの冷静な分析力が冴えていました。

時代劇づくりの裏側のチケット情報 – イープラス (eplus.jp)(終了)

上野・東京芸大美術館『みろく』展

東京芸術大学美術館で開催中の『みろくー終わりの彼方 弥勒の世界ー』展鑑賞のため上野へ。弥勒誕生の地ガンダーラからアフガニスタンのバーミヤン、中国の敦煌(とんこう)らを経て日本へ伝わりました。その地、その地で祀られていた周囲の様子や祀られかたやそこにあった弥勒像が復元されています。

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上のフライヤーの弥勒はバーミヤンE窟仏龕天井壁画のラピスラズリで彩色した<青の弥勒>です。

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一番上の弥勒は敦煌莫高窟第275窟の交脚弥勒菩薩像の再現です。足を交差させているのは初めて意識してみました。今まで見たことがあるかどうかさだかではありません。中宮寺や広隆寺の弥勒菩薩半跏像の原点と思える像もあったのですが上手く写真に撮れませんでした。

敦煌莫高窟57窟想定復元の弥勒。窟での独特の存在感です。

こんな場所におられた弥勒様の像の姿が様々な形で伝えられ日本に渡られて新たな姿として祈りの尊像となられたわけです。


東大寺中性院弥勒菩薩立像摸刻と室生寺弥勒菩薩立像復元摸刻をながめますと宝冠の飾りやアクセサリーや飾り物が豪華できめ細やかになっています。

復元、復刻と言いましてもその技術は素晴らしく、近くで鑑賞できますし、その美しさに満足しました。

芸大の美術館へ行く前に、不忍池弁天堂に宇賀神像があるということでそれを確かめさせてもらいました。おられました。弁天堂のまえに。先ずは確認できてひと安心です。

上野・トーハク・本館から東洋館へ(2)

本館に入って正面の階段はよく撮影に使われテレビドラマ『半沢直樹』にも登場していました。『聖林寺十一面観音』のあとさら~と常設展をみて二階のテラスに出て庭を眺めもどってきて壁に目が行きました。知っていましたが、微妙で地味ながら古風な文様に写真をとりました。触るとゴツゴツ、ザラザラした感触です。

そしてお隣の東洋館へ。青が綺麗。

地下におりてすぐ右手に『ナーガ上のブッダ座像』があり、ここで思いだしたことが。『新TV見仏記』のなかで、仏像の光背のてっぺんが前にカーブしているのを「コブラ型」と話されていたのです。

映画『リトルブッダ』でお釈迦様が修行されてるときコブラが背後から近づいてくるのです。そばまできて立ち去るのかなと思っていましたらお釈迦様の頭の上までおそいかっかてきます。そしてじっととまりました。お釈迦さまが雨に濡れないように傘になったのです。それで「コブラ型」かとわかったのです。

ナーガ上のブッダ座像』は少し破損しているのですが、お釈迦様の背後には頭上に7つの蛇の頭がつきだしています。解説がありました。

「禅定(ぜんじょう)に入るブッダ(釈迦)を降り続くあめから守るため、蛇神ナーガがとぐろを巻いた体を台座に、7つの頭をさしかけて守る様子をあらわした像です。カンボジアでは水を司る神であるナーガに対する信仰が篤く、仏像と結びついてこの形の像が多数造られました。」

他にもありました。納得です。(「クメールの彫刻」)

みうらじゅんさんといとうせいこうさんの掛け合い漫才のような可笑しさでいながらピッピッと記憶の残ることを発せられるのです。どこかの大国主大神(おおくにぬしおおかみ)像のお顔を観て「これも怒ってるね」といわれていたのです。『聖林寺十一面観音』に「大国主大神立像」もおられまして怒っていました。袋を肩にかけられていて、大国主と大黒天とが習合されて信仰された時期があるようです。そして怒ったお顔の時期もあるらしいのです。らしいのですで終わりますが、「怒っている」に反応しました。

どうして怒っているのかはゆっくり調べてみます。

イスラーム王朝とムスリムの世界』。イスラーム王朝の歴史には全く無知ですが、工芸品は美しく優雅です。

青釉透彫(せいゆうすかしぼり)タイルの青、文字文タイルの文字が模様のように浮き出たタイルなどもイスラムの建築様式の華となっていたのでしょう。

異文化を堪能しました。

追記: 下記にアクセスすると、『ナーガ上のブッダ座像』の写真が見れます。

 東京国立博物館 – 展示 アジアギャラリー(東洋館) クメールの彫刻 作品リスト (tnm.jp) 

追記2: 東洋館のクメールの彫刻の作品リストの中にある『ガネーシャ座像』は、頭が象で体が人なんですが、ヒンドゥー教のシヴァ神の子なんだそうです。見仏記のスペシャルDVD「驚愕の異形編」で大阪の正圓寺に体が仏様の仏像がありました。

みうらじゅんさんといとうせいこうさんが興奮していましたが、私も日本にもこうした習合の仏像が作られたのだと驚愕でした。東洋館もっとゆっくり丁寧に楽しまなくてはとおもいます。

上野・聖林寺の十一面観音像がお出ましに(1)

うれしいです。よくお出ましくださいました。奈良で出会いまして、二回目お目にかかりに行きました。

一回目、桜井駅にある観光案内で聖林寺への行き方を尋ねたのです。小さな手書きの地図が用意されてありまして、帰りには安倍文殊院に寄るようにと黄色のマジックで道を記してくれたのです。こういう出会いがあると今回の旅は善き旅であると確信しました。

その観音様が上野の国立博物館にお出ましになってくれたのです。しばらく出歩かないのでトーハクのフライヤーも目にしなかったのですが、歌舞伎の『日蓮』を観て、何となくトーハクのホームページを開いたら嬉しいショックでした。日蓮さんの波及力静かに広がってました。

聖林寺の十一面観音菩薩立像、360度、間近にお姿を拝見することが出来ました。

大神神社(おおみわじんじゃ)の神宮寺(神社に属する寺)の大御輪寺(だいごりんじ)に秘仏としてまつられていたのですが明治時代の神仏分離で廃仏毀釈となるところを聖林寺へ移されたのです。おそらく聖林寺でも説明があったのでしょうが、聖林寺の十一面観音菩薩立像としか頭になく、今回かつておられた場所と、一緒におられた仏像もしっかりわかりました。

地蔵菩薩立像(法隆寺蔵)、日光菩薩像・月光菩薩像(正歴寺蔵)。 不動明王坐像(玄賓庵蔵)は今回はお見えになりませんでした。

東京国立博物館 – トーハク (tnm.jp)

追記:

追記2: みうらじゅんさんといとうせいこうさんのDVD『新TV見仏記2』で聖林寺と安倍文殊院に行かれてました。聖林寺で座して拝観した十一面観音の感じがでてますので映像から撮りました。ガラス越しからの拝観なのです。博物館ではガラスにすっぽり収まっています。

ドキュメンタリー映画『ハーブ&ドロシー』

マンハッタンの小さなアパートに住む普通の夫婦が絵画をコレクターし、全てを美術館に寄贈された。ドキュメンタリー映画『ハーブ&ドロシー ~アートの森の小さな巨人~ 』(2010年)がヒットして2作目『ハーブ&ドロシー 2 ~ふたりからの贈り物~ 』(2012年)ができあがる。プロデュース・監督が日本人の佐々木芽生さんである。

ドロシーは図書館司書でハーブは郵便局の仕分け係の仕事をする普通の夫婦である。ドロシーは新婚旅行でワシントンD.C.へ行きナショナル・ギャラリーで絵のことをハーブから教えてもらうのである。ハーブは絵を描いていたことがあり、郵便局で夜中から朝8時まで働き数時間眠って、ニューヨーク大学の芸術学部に通い西洋からアジアまで美術を学んだ。ただハーブは自分の趣味を人に押し付けるのを好まなかった。職場の人は夫婦のことが新聞やテレビで紹介されはじめて知るのである。

ドロシーも絵を学ぶようになり新婚のころは二人はコレクターではなく描く方ほうであった。それが、現代アートの若手アーティストの作品を購入するようになり、アパートのの壁にはたくさんの作品が飾られさらに所狭しといたるところに積み上げられるようになる。

アーティストの所に通いコツコツと交渉し、コツコツとコレクターしていったのである。売るためではないのを知っていて安く購入できるものもあった。自分たちの働いた収入で購入するのである。値段が手ごろで、アパートに収まる大きさであること。

ドロシーの兄夫婦がゆったりとしたソファーに座り、義妹が、あの人たちも絵の一枚も売れば私たちのようにゆったり暮らせるのにとコメントしている。そうなのである。こちらは食卓の腰掛け椅子のゆとりしかないのである。しかし、それはそれぞれの生き方の価値観であり多様性のよさである。

ナショナル・ギャラリーに寄贈することになる。売らないという条件付きである。ナショナル・ギャラリーは観覧無料である。ところが、全てを展示することができない。あまりにも数が多いのである。次のプロジェクトが。全米の50の美術館に50作品づつを寄贈することになる。ハーブは反対だったようである。一人のアーティストの作品が分散されるのをきらったのである。そのことは次の『ハーブ&ドロシー 2 ~ふたりからの贈り物~ 』でドロシーがちらっと話す。

アーティストの中にも分散されることに反対し夫婦から離れ、その後和解する様子も描かれている。ナショナル・ギャラリーの倉庫に眠らせておくのはしのびないという想いからのプロジェクトであった。各美術館がアーティストや夫婦に展示の方法を聴いてそれぞれの展示の仕方を考えていくのもすばらしい。ハーブのこだわりに合わせて展示する様子も楽しい。

ハーブが亡くなりドロシーはさらに全てを寄贈する。そして興味深かったのはパンフレットとか細々した資料を公文書館に送るのである。夫婦が特別な人だからなのであろうか、ドロシーは気軽に送ることを言っている。普通は美術館とかなのではないかと思うが。受けるほうも資料が多く配達する人が大変でしょうと笑っている。

作品を寄贈する時、引っ越しの大型車(日本より大型)一台であろうと予想したら5台であった。作品なので梱包も考慮したのであろうが驚きである。普通の人ってやるときはやるのである。格好いい。頑固にコツコツやっているのがお見事。

ドロシーは、送った美術館にも展覧会が行われているか、送った作品がデジタルで紹介されているかなどもきちんとチェックしている。図書館司書としての仕事が生きているのかもしれない。この映画はハーブとドロシーの生き方にも感動するが、現代アートが観たくなる気持ちにさせる。

http://herbanddorothy.com/jp/

とにかく絵画に対する飢えを感じて上野の芸大の美術館へ。『芸大コレクション展 2020』。久しぶりに『序の舞』(上村松園)、『一葉』(鏑木清方)と出会う。生徒製作(卒業制作)の自画像もそれぞれの画家の違いや、なるほどと思わせてくれる物もあり楽しかった。

上野公園では、路上パフォーマンスの人たちが、ちらほら見受ける。「七か月ぶりなんです。その線からは近づかないでください、すいません。」と気を使われている。

こちらも久方ぶりの散策である。

https://www.geidai.ac.jp/museum/exhibit/2020/collection20/collection20_ja.htm

映画『シャーリー&ヒンダ ウォ―ル街を出禁になった2人』 『人生タクシー』からの継続(3)

〔 謹賀新年 〕 新しい年を迎えたが、内容は昨年の続きである。

東京国立博物館で『御即位記念特別展 正倉院の世界 ー皇室がまもり伝えた美ー』が開催されていた。シルクロードの一つの終着点が奈良正倉院と言われるが、イランがペルシャ帝国と言われていたころの文化が日本に到着し正倉院に保存されていた。

ペルシャ系人とおもわれる「伎楽面 酔胡王(すいこおう)」、聖武天皇が愛用されペルシャで流行っていた水差し「漆胡瓶(しっこへい)」、胴にペルシャの天馬(ペガサス)が描かれた「竜首水瓶」、80もの円形切子のあるガラス器「白瑠璃椀」、紺色の中にかすかに残る白濁色が残る「ガラス皿」、草原の狩猟を描いた四絃琵琶「紫檀木画槽琵琶(したんもくがのそうのびわ)などペルシャから伝わった展示品をわくわくしながら鑑賞した。

五絃の「螺鈿紫檀五絃琵琶(らでんしたんのごげんびわ)」も展示されていて、四絃はペルシャで五弦はインドで多く使われ、「螺鈿紫檀五絃琵琶」は新たに復元したものも展示されていた。この復元の琵琶の糸は絹糸で、美智子上皇后が育てられている蚕からの絹糸が使用されていた。この蚕は日本の在来種小石丸といい、奈良時代からのものだそうである。このお仕事は、雅子皇后に受けつがれるのである。

イラン関係の本によると、『続日本紀』には736年の記録には当時中国姓を名乗ったらしいペルシャ人も渡来しているということであり、日本に現存する最古のペルシャ文書は1217年に渡来したペルシャ語の詩句とある。

さらに太宰治さんが『人間失格』の中に挿入しているルバイヤットの詩句が、ペルシャのオマル・ハイヤーマの詩集『ルバイヤート』からなのだそうで、11篇も挿入している。この詩句のことなど頭になく、それがペルシャの詩集からなどということも当然知らなかった。さらに『人間失格』の作品の中でどう関連しているのかも。『人間失格』を開いたら確かに挿入されている。読み返してみる必要がありそうである。

さらに、松本清張さんが『火の路(みち)』の中で、自説の古代史の仮説を提示しているという。奈良の飛鳥の石造遺物が、ゾロアスター教(古代ペルシャで生まれた世界最古の炎を崇拝する拝火教)の拝火壇で、日本に渡来したペルシャ人が造ったのではないかという仮説である。推理小説なので殺人もでてくるようだ。興味がそそられる。松本清張さんの著作に『ペルセポリスから飛鳥へ』もある。

迎賓館赤坂離宮に行きたいと思いつつ実行していなかったので、和風別館「遊心亭」のガイド付きで申し込む。映像での紹介の場所があり先に予習をした。見どころいっぱいである。その中にイスラム風の「東の間」があり、意外なつながりに嬉しくなってしまった。世界のあらゆるものを取り入れていたのである。パンフレットにも写真が載っているが、残念ながら公開はされていない。

独特の美しさを持つイスラム風を味わいたい。モスク(イスラム教寺院)である東京ジャーミィ(トルコ文化センター)が公開しているのを知る。曜日によっては案内ガイドつきである。その時間に合わせる。自由にお茶を飲みつつ待つことができる。ガイドのかたの話しが、こちらは知識ゼロのため面白い。チューリップの原産はオランダではなくトルコであった。チューリップバブルというのがおこっていたのである。

礼拝の様子も見せてくれた。生のコーランを耳にする。途中でガイドされたかたも礼拝に参加された。ガイド終了後はゆっくり静かに内部の模様や色使いを楽しませてもらう。美しい。

というわけでトルコ映画へとなったのである。鑑賞したのは『海難1890』(日本・トルコ合作)・『少女へジャル』・『裸足の季節』の3本だけである。

もう一つ長期間、ハマっていた映画の分野がある。ダンス映画である。それもストリートダンスである。30数本観た。なかでも多いのがブレイクダンスである。身体表現は映像であってもやはり魅力的である。その他のダンス映画も観ていたのでダンス系は50本は観たと思う。それと並行しての鑑賞なので、トルコ映画は観れるリストは作ったのでこれからとなる。

石和温泉大衆演劇の旅

  • 老人会の旅と称して動線はゆるやかである。行先は山梨県の石和温泉にある大衆演劇つきの宿。友人はどんなところか心配している。大衆演劇のお値段もついての宿泊料に疑心暗鬼であったようだ。あっと驚く・・・「いいではないかあ!畳も新しい!」ようございました。その時はその時と思っていたのであるが先ずは通過。スパランドでもあるので館内はスリッパ無し。部屋にはたびソックスも用意していてくれた。一息いれて館内の散策である。お風呂は宿泊者用のロッカーもあり、浴用タオルは使い放題である。お風呂は大衆演劇が終ってからゆっくりと。ただここは天然温泉ではないが、満足。

 

  • 友人たちは大衆演劇初体験なので、興味津々である。四か所の飲食店のサービス券ももらったので先ずはこじんまりと乾杯して、大衆演劇の会場で食事とする。指定席を予約していたので、時間になると先に飲食されていたお客さんを誘導して席をあけてくれる。またまた乾杯。この旅で何回乾杯したことか。スパランド内藤は土日が大衆演劇昼夜、平日は昼のみの上演である。今回は気に入れば次の日昼の部を観劇する予定であった。

 

  • 友人達、気にいってくれて次の日の午前中は石和温泉駅までの送迎バスで石和温泉駅前に出る。観光案内でいくつかチエックして駅裏の大経寺へ。本堂前も綺麗に整備されていてお庭も有料で拝観できるが残念ながら応答なしで誰もおられなかった。そこからワイナリーへ。試飲などして買い物をして食事すると送迎バスでスパランドにもどる時間となる。もし大衆演劇がもう結構となれば、甲府に出て太宰治さんの新婚生活の場などを散策してもと思っていたが歩く気なしである。

 

  • 大衆演劇二日目。お芝居も舞踏ショーも前日と違うが何となく役者さんがわかり、あの役者さんは昨日のあの役の人ねとゴチョゴチョ、ヒソヒソ。ただ友人一人、座長さんの立役と女形とを別の人とずーっと思っていました。舞踊ショーは今日のほうが振り付けに変化があり、役者さん一人一人の個性が出ていて良かったとの共通意見。面白かったのが、二才の子がフード付きの衣裳で出てきた。この衣装、大衆演劇ではブームのようで笑ってしまった。うしろ向きになってフードを外しての見せ場なのであるがなかなかフードを後ろに外せないのである。何んとか外してお顔をばっちりである。

 

  • 口上の時も現れて、座長さんが舞台が好きでと言われていたが、もう音楽の世界に入りきっている。舞台中央の先端に座ってポーズをきめ、二段ほどの階段を飛び降り、客席の真ん中を通り舞台にもどりジャンプしたりしてきっちり最後まで自分の世界を披露してくれた。最後の群舞にも出て来て自分なりの踊りをしていたが皆さん移動して踊るのでちょっとぶつかって泣き出してしまった。でも誰も慰めてはくれない。役者さんは皆さん自分の踊りを続けている。どうするのかなと見ていたら、泣いてる場合か!とばかりに踊り始めて前のほうに前のほうへと移動していた。あっぱれ!こうやって幼い頃から芸を身につけていくのかと納得。

 

  • 20代で座長になられる方も多く、20歳くらいまでには最低一か月昼夜別芝居をできるだけの数の芝居を覚え込まなくてはならないであろうし、怪我や病気などの団員さんもでてくるであろうから、その場その場で臨機応変に対処できるノウハウも身に着ければならない。2歳くらいからやっても時間は短いともいえる。

 

  • 後方と前方と観劇でき、友人達も大満足であった。休憩のときはまた乾杯。こんなに一生懸命演じるとは思わなかったと。また老人会宜しくとのことである。そしてお風呂のあとは、また飲んで、しゃべって。次の日一緒に山梨県立美術館に寄る予定であった友人が、少し飲み過ぎのため先に帰る友人と共に帰ることとなり、石和温泉駅で別れて一人山梨県立美術館へ。

 

  • シャルルー=フランソワ・ドービニー展』。どこかで観ているのでしょうが印象に薄い。「バルビゾン派から印象派への架け橋」とあり、バルビゾン派はどちらかというと好きではなく、「架け橋」にひかれたのである。バルビゾン派の画家の一人で個展を開催されたことがなく、没後140周年企画といことである。後年、サロン(官展)の審査員をつとめ印象派の画家たちを応援した。モネが落選したときドービニーはそれに反抗して委員をやめている。

 

  • 面白い人で、アトリエ船「ボタン号」に乗って移動しつつ絵を描いていて「旅する画家」と呼ばれた。挿絵で生計を立てていた時期もあり、エッチングの版画で『船の旅』を出しており、ゴッホもその版画を集めていた。ゴッホは『ドービニーの庭』の作品もあり、ドービニーのアトリエのあったオーヴェルがゴッホの終焉の地である。ゴッホがオーヴェルに行った時はすでにドービニーは亡くなっていたが非常に敬愛していたようである。

 

  • モネも船上での制作を試みたことがあり、特別出品の『セーヌ河の朝』は時間の流れにともなう光からの色の変化を追求するモネの原点に、ドービニーの影響を示唆している。ドービニーは船での移動で観る自然の風景が時間によって変わることを体験したからこそ、印象派の新しい若き画家たちの絵を理解し後押しできたのであろう。「架け橋」とは大事である。甲府市に宿泊した人は割引きしてくれた。(12月16日まで) 同館のミレー館ではミレーの『角笛を吹く牛飼い』が約100年ぶりの一般公開であった。

 

  • 新宿から甲府まで高速バスもある。日中は30分おきに出ていて、特急便は2時間くらいで甲府駅まで行き、途中、石和で停まる。このバス停で降りると徒歩10分で石和温泉駅につく。平日限定の二枚回数券「トクワリきっぷ」が3000円である。甲府まで片道・2000円であるからかなりのお得である。おそらく石和までもあると思う。石和温泉駅で送迎バスを待っている間、色々な宿のむかえの車がきて石和温泉元気じゃないのと思ったが、20年前にくらべると落ち込んでいるそうだ。外国のかたは、外国経営の宿に泊まるそうである。石和温泉に行こうなんて思ってもいなかったので、これをご縁に石和(いさわ)温泉心にとめておこう。

 

東京国立博物館『京都大報恩寺 快慶・定慶のみほとけ』

  • 京都の大報恩寺は行っていない。北野天満宮の近くのようだが、梅の時期に北野天満宮だけを目指し周辺を散策しなかった。大報恩寺のみほとけの解説は分かりやすく頭の中の整理ができた。六観音がそろい、十大弟子がそろった。先ず、釈迦如来坐像(行快作・快慶の一番弟子)のお顔の目が切れ長で少しつりあがっている。これが鎌倉時代の仏像の特徴のようである。六観音のお顔もそうで、姿が平安と比べると細身である。特別展は平成館で、本館の彫刻展示室に仏像がありどれが鎌倉時代か当ててみた。平安との比較でもあるので当る確率は高い。

 

  • 釈迦如来坐像を中心に並んでいるのが十大弟子たちの立像である。どこかでチラシを手にしたら見開きにしてながめてほしい。十大弟子がそれぞれどんな力があるのか簡潔に紹介してくれている。棟方志功さんにも十大弟子の作品があるが、どいう修業をして何が優れているのか調べもしなかった。そんな怠け者にとってこの説明は灯です。運慶と並び称せられる快慶作。

 

  • 自分がなれるなら目犍連(もくけんれん)がいいなあと。超能力が使えるのです。少し膝を曲げ、いつでも発するぞの気構え。修業ぬきでの願望なので、阿那律(あなりつ)に見透かされそうである。眼は見えませんが、心の眼で見通せるのです。そして、そういうことではいけないと富楼那(ふるな)に説得されそうである。どのような人でも説得してしまうのです。

 

  • そう考えると十大弟子も親しみがもてる。そして、棟方志功さんの十大弟子が気になる。棟方志功さんは、この弟子をどう考えてこう表現したのかなあなどと興味がわいてくる。手の位置や形などにも何か意味があるのであろうかとも考える。棟方さんの十大弟子はどこか愛嬌が合って今阿難陀(あなんだ)は静かに集中してお釈迦様の教えをきいているのだなあと想像がついてきたりする。よかった。これで棟方志功さんの十大弟子に会っても会話できそうである。

 

  • 六観音菩薩さまは、六道のどの世界にいても手を差し伸べて救ってくれる。天道→如意輪観音、人間道→准胝(じゅんでい)観音、修羅道→十一面観音、畜生道→馬頭観音、餓鬼道→千手観音、地獄→聖観音。六観音菩薩像は運慶の弟子・定慶作である。六体が光背も台座も造られたままで残されている。六体あるのでなるほどと思って鑑賞する。自分は極楽に行くと言い切る友人がいる。私が地獄にいたら助けてちょうだいと頼んである。もちろん蜘蛛の糸を垂らすようなことはせずに即救助してくれるようにとつけ加えてある。かの友人はわたしにとって聖観音菩薩ということになる。体形的には鎌倉でなく平安である。

 

  • 誕生釈迦仏立像は、花まつりで甘茶をかけらるお釈迦様の誕生像だが、天を指す右手の人差し指と地を指す左手の人差し指が超長かった。心して思考せよと言われているみたいだが、あまりの長さに思考がとまった。作者不明。平安時代の作者不明の千手観音菩薩立像の手があどけない赤子の手のようだった。

 

  • 見どころ1 「慶派のスーパースター 快慶・定慶・行快の名品がずらり!!」
  • 見どころ2 「秘仏・本尊・釈迦如来坐像と十大弟子が同じ空間で!!」(寺外初公開で寺院では別々に安置されている)
  • 見どころ3 「六観音菩薩像の光背を会期中に外し背中も間近にみれる!!」(現在は外された状態) 東京国立博物館・平成館 12月9日まで

 

  • わかりやすくて満足。今度はやはり現地での再会をである。東洋館がリニュアールされてから観覧していないので再び訪れる。その前に人気の明治外苑イチョウ並木へ。人が多く想っていたより黄色がはっきりしない。歩道をおおう左右の薄黄色と薄緑のコントラストのトンネルのほうが面白い。上野公園では数本の色鮮やかな黄色のイチョウのそばに桜が咲いていてこちらの方が印象に残る。

 

  • 東洋館が観やすくなっていた。展示室の空間を狭くして展示品も少なくしたのであろうか美術館感覚で鑑賞できた。鑑賞したいところをメモしておいて出かけた。

 

  • 5階から降りてゆく。5階の9室「清時代の工芸」ーガラス工芸と玉製器物で繊細で美しい。
  • 4階の8室「特別企画 中国近代絵画の巨匠 斉白日」-これが新感覚。墨絵も近代となるとこうなるのかという楽しさである。赤とか黄色などの使い方。濃淡。熊谷守一さんと似たところがあって身近なものを描いていたりする。カニの群れ。魚の群れ。カエルの群れ。群れと言ってもイラスト的な感覚も加味され、軽さがあり格式ばった山水画のイメージが一掃され、いいな、いいな、いいなと心の中で連発していた。
  • 3階の5室「中国の陶磁器」ー景徳鎮窯の作品。なんという色であろう。どうしてこういう色がでてくるのか。自然の色にかなわないというが、押し込められた人工の色もなかなかである。アジアの占い体験コーナーもあり、国立博物館前が見渡せるテラスにも出られる。疲れた時にはくつろげる場所である。地下の13室「アジアの染織 カシミヤ・ショール」を忘れて見逃してしまった。

 

  • 本館1階では「綴プロジェクト作品 平家物語 一の谷・屋島合戦図屏風」が展示されていた。原本は大英博物館にあり、これをデジタルの高性能さを使用しオリジナルの保存と鑑賞の機会を設けるということらしい。すぐそばでながめることができた。鵯越(ひよどりごえ)の逆落とし。那須の与一の扇の的。熊谷直実の呼び戻もどされる平敦盛。義経の弓流し。それらが二双の屏風画に描かれていた。
  • 2階の9室「能と歌舞伎 歌舞伎衣装」ー 戦で攻撃から身を守るために着用する鎖帷子(くさりかたびら)を、七宝つなぎ模様に金糸で編み胸当てや脛(すね)当て部分に装飾としていて、なるほどあれは鎖帷子なのか。
  • 10室「浮世絵と衣裳 江戸(衣装)」ー 忠臣蔵をを動物たちで描いていた。武家屋敷の年末の大掃除がこれまた忠臣蔵に見立てられている。
  • 18室「近代美術」ー「形見(かたみ)の直垂(ひたたれ)・虫干」(川村清雄)幕臣の子として生まれた川村は、早くにフランス、イタリアで本格的に油絵を学んだ。画家の保護者であり恩人であった勝海舟の死を悼んで制作された作品。勝海舟の胸像があり、少女が葬儀の時にお棺かつぐ侍者が着た白い直垂を着ている。「虫干(むしぼし)」ともあり周りには他の衣裳がみられる。その中で白さが際立つ。下村観山の「白狐」も秋の森の中での白がりんとした静謐さを感じさせた。

 

  • やはり二日にわたって鑑賞して正解であった。時間があっても一日で全てをでは新鮮味がなくなる。旧東京音楽学校奏楽堂もリニュアールオープンしたので、上野公園も楽しい場所になりそうである。