アニメ映画『君の名は。』まで(2)

『新海誠展』にあった女性用のヒールの靴は、『言の葉の庭』で出会いました。映画が終わり、エンドクレジットになってしまい、あの靴は出てこないのであろうかと不満に思っていましたら、その後で登場しました。手が込んでいます。にくい手法です。

高校生の秋月孝雄は、雨の新宿御苑の休憩場所で会社をさぼったらしい年上の女性と出会います。孝雄は雨の日は授業一限目をさぼってこの場所で靴のデッサンなどをしていました。彼は靴職人を目指しているのです。どこか波長が合い、雨の日はいつもお互いに出会うのが楽しみとなるのです。

新海誠さんの作品には、片親がいない設定が幾つかあり、この作品も孝雄には父親がいないらしく、母親と兄が働いているため食事は彼が作っています。『星を追う子ども』のアスナも母親にかわって家事をして、台所仕事の場面も多く、これが生活感を匂わせ、日常と物語性が微妙に絡み合っているのも新海監督の魅力のひとつです。孝雄が作ったお弁当と女性の作ったお弁当。そこに味覚という暗示も含まれています。

題名が『言の葉の庭』とあるように当然言葉へのこだわりもあり、万葉集の歌もでてきます。この女性の部屋にある本が映し出され、ぱっと変わりましたので、どんな本を読む女性かなと思い、一時停止で捉えましたら『額田王』(井上靖)『一絃の琴』(宮尾登美子)『千載和歌集』でした。この女性に関してはこれくらいの情報で見たほうが作品の展開と心の内を捉えるためにも良いとおもいます。

新宿御苑、それほど魅力的な場所とも思えませんでしたが、映像の雨とか緑をみていますと、時間のある時、久しぶりに寄ってみようかなと思わせられました。

新海監督は信州の小海線の小海町出身ですが、新宿とか渋谷の風景が好きなんだそうです。『君の名は。』の宮水三葉も住んでいる山奥の田舎が嫌いで、東京に住む立花瀧と入れ替わって、東京に自分がいるということが嬉しくてという感じでした。それは三葉が宮水神社の娘で巫女の仕事もさせられ、狭い土地にさらに何かに縛られているという感覚なのでしょう。作品では宮水神社もキーポイントの重要なひとつです。

女生徒の三葉と男子生徒の瀧が入れ替わるというのは、すでに幾つかの映画で観ていますので驚きはありませんでした。ただ時間差などでどういうことなのと混乱はしましたが、二人が入れ替わるのは夢の中なんですよね。夢の中というのは時間の観念がちがいます。捉えられない時間です。とまあそう思う事にしました。夢での事なので、名前も忘れてしまう。だから 君の名は。 でピリオドで締めとなり、夢の中での感覚がかすかに残っていてそれを探し求め、新たに名前をたずね合うのです。

しかし、三葉は現実に東京に来ていて、瀧と会っているのです。それが、組みひもというキーポイントです。夢の中と現実の時間が組みひもでつながっていたのです。再度、<君の名前は>ということになります。

「夏の文学教室」で平田オリザさんが<賢治の祈り、東北の祈り>で、『銀河鉄道の夜』のジョバンニは友人のカムパネルラの死を受け入れられるまで、遠い銀河を旅するほどの長い時間が必要だったのですというようなことを言われました。あの作品を平田オリザさんはそのように読まれるのかと読み返しました。

ジョバンニは、カンパネルラと銀河鉄道を旅して、結果的にはカンパネルラを別の世界へと送っていってあげることになります。銀河鉄道の旅のその時間はひとりひとり違います。夢の時間のように計ることのできない時間です。その時間を経て、ジョバンニは父が帰って来ることを母に告げるため走り出します。

新海監督の主人公たちもよく走ります。助けるために。探すために。宇宙でも夢の中でも。そして現実でも。

ほしのこえ』『星を追う子ども』『君の名は。』と見ました。『ほしのこえ』の特典映像に『彼女と彼女の猫』があって、新海監督は語りもしていますが違和感がなく素敵な語りです。彼女の猫が全然リアルではなく、猫の語らいが字幕なのもひねっていてオシャレです。新海監督猫好きです。

映像の中の登場人物を追いつつ、時として黒板に板書するチョークの粉が散ったりする細かさにおっ!と思わされたりするのも愉しいところですし、ロケ現場探しのように風景を探して忠実に描いているというのも現実感から遊離させすぎない計算なのでしょう。

喪失からの新たな旅は、次の作品ではどう展開するのか、それとも全く違ったテーマとなるのでしょうか。

彼女と彼女の猫』(2000年)『ほしのこえ』(2002年)『雲のむこう、約束の場所』(2004年)『秒速5センチメートル』(2007年)『星を追う子ども』(2011年)『言の葉の庭』(2013年)『君の名は。』(2016年)

 

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