歌舞伎座10月『マハーバーラタ戦記』

<新作歌舞伎 極付印度伝>とあります。「マハーバーラタ」は世界三大叙事詩の一つで、あと二つはギリシャの「イーリアス」と「オデュッセイア」だそうです。原作は膨大で手も足もでませんから、歌舞伎座の舞台で触れさせてもらうことにします。(脚本・青木豪/演出・宮城聡)

チラシ置きコーナーに、『マハーバーラタ戦記』の神たちと人物相関図がありました。この図がなくても、セリフを聴いていると何が起ろうとしているのか、どういう人物が出てくるのかは大体わかります。国立劇場で上演される菊五郎劇団の新作歌舞伎をイメージしていましたら、それとは違うセリフ劇でした。動きが少ないだけにセリフは聴きやすいです。

神の世界と人間の世界に分け、当然神様たちが人間界を眺め、人間は戦さを始めるらしいがどうするかと話し合いがもたれます。主なる神は、那羅延天(ナラエンテン・菊五郎)、シヴァ神(菊之助)、太陽神(左團次)、帝釈天(タイシャクテン・鴈治郎)、大黒天(楽善)、多聞天(彦三郎)、梵天(ボンテン・松也)の7神です。

古代インドの神々は知りませんので、シヴァ神や太陽神と並んで帝釈天、大黒天、多聞天が出てくるのが不思議な気持ちでした。話し合いの結果、様子を見ようということになり、太陽神は争いをさけ和をもって平定する自分の子を、帝釈天は力をもって支配する自分の子を人間界に送りだします。ここから人間界となるわけです。

子を宿すのが、(ここから人間界の人物はカタカナにします)クンティ姫(梅枝)で太陽神の子・カルナ(菊之助)はガンジス川に流され、帝釈天の子・アルジュラ王子(松也)は、クンティ姫の三男として育てられます。弓の名手に成長したカルナは王位継承の争いに巻き込まれ、結果的にはこの異兄弟同士の、一騎打ちの戦いとなります。

象の国のクンティ姫(時蔵)の夫は亡くなり、夫の亡き兄の先帝の長女・ヅルヨウダ王女(七之助)は自分に王位継承権があるとしてと弟王子(片岡亀蔵)とともに主張し、仙人クリシュナが仲裁に入ります。

カルナは自分がこの世を救う者であることを夢で知り、育ての親(萬次郎、秀調)のもとを離れて弓技を磨く修業にでて、この王位継承争いの中に係ることとなります。ヅルヨウダ王女はカルナを自分の永遠の友人となることを約束させます。ヅルヨウダ王女の本質を見抜けないカルテの呑気さが少々きになるところです。

クンテ姫には五人の王子がいます。ユリシュラ王子(彦三郎)、ビーマ王子(坂東亀蔵)、アルジュラ王子、双子のナクラ王子(萬太郎)、サハデバ王子(種太郎)です。ヅルヨウダ王女はユリシュラ王子を賭け事に誘い、いかさまで全ての兵力やアルジュラ王子の婚約者・ドルハタビ姫(児太郎)まで賭けのかたに奪おうとしたり、五人の王子を招待して焼き殺そうとしたりします。

それでもカルテはヅルヨウダ王女を永遠の友として、自分の倒すべき相手は、力で治めようとするアルジュラ王子であることを知り二人の対決となるのです。対決すべきアルジュラ王子が、帝釈天が言った力でおさえる性格より優しくて、自分がカルナと血のつながった兄弟であることを知っていて最後は、カルナもそのことがわかり、わざとアルジュラ王子に殺されて死ぬのです。

何かすっきりとしませんでした。その後神々があらわれて、象の国はユリシュラ王子が国を治めたといい、なぜなら彼には欲というものがないからであるというのですが、賭け事で物に対する執着心なく次々賭けていきますが、それが欲が無いとは違うであろうと思えました。

一応、まだ人間たちを生かしておいていいであろうということで、人間界は滅亡することなく続くということに決まります。

考えてみますに、太陽神の子カルナが自分の力を過信し、帝釈天の子アルジュラ王子が力ではなく情があり、それは人間界で生きていくうちに変わっていったことで、最後にカルナがそれに気がついたということなのでしょうか。そういう結論になってしまいました。

和だけではない楽器の生演奏も入り、古代インドの雰囲気も加わりました。ただ、両花道のつらねのときの音はいらないとおもいました。リズムが頭に響いて歌舞伎ならではのつらねのセリフの良さを邪魔されてしまいました。

舞台の大きな屏風様の背景が圧迫感があり、カルナとアルジュラ王子の一騎打ちになって初めてこの屏風が畳まれ、その回りを馬の引く一人乗り戦車機でカルナとアルジュラ王子が走りまわります。初めて観る舞台光景で新鮮でしたが、このためだけだとすれば勿体ない気もしました。せっかくの舞台空間なのですから。

シキンピ(梅枝)とビーマ王子のところは、二人で踊ってもいいのにとも思いました。ヅルヨウダ王女側と五人兄弟との対立が、神の子であるカルナとアルジュラ王子の一騎打ちで代表され、歌舞伎的大団円がなく、スペクタクルさにかけたのが少し寂しかったです。

叙事詩的であったということでしょうか。セリフ的にも聞きやすかったのですが、歌舞伎的セリフ術を味わうというわけにはいきませんでした。若い役者さん中心の世界三大叙事詩の一つの歌舞伎化ということでしょう。若い役者さんあっての歌舞伎化といえるのでしょう。

その他の出演/ドルハタ王と行者(團蔵)、修験者ハルカバン(権十郎)、シキンバ(菊市郎)、ラナ(橘太郎)

 

 

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