能登半島から加賀温泉郷への旅(3)

加賀温泉郷は、片山津温泉、山代温泉、山中温泉で、今回は温泉好きにとっては残念なのですが、<那谷寺>が第一で、<魯山人寓居跡>が第二なのです。過去何回か計画したのですが、金沢と組み合わせることになり挫折していました。一応金沢は満喫し終わっていますので、<那谷寺>を軸に計画しましたら、素敵なバスを発見しました。<加賀周遊バス/キャン・バス>です。

JR加賀温泉駅前から山まわり・海まわりのバスが出ていたのです。時刻表をながめつつ至福の時です。さあどう回るか。

山まわりで<魯山人寓居跡いろは草庵>→<九谷焼窯跡展示館>→<那谷寺>→JR加賀温泉駅前にもどり、海まわりで<北前船主屋敷蔵六園>→<北前船の里資料館>→JR加賀温泉駅前

北前船のほうも回れるとは思っていませんでした。雨と時間の関係でひとつ、ふたつ変更を入れておきましたが、予定通りまわれました。キャン・バスには、車掌さんとガイドさんを兼ねたかたが乗られていて、乗る人が何処で降りるかによってその場所の案内や解説を加えて下さり、その他切符の利用方法も教えてくれます。パスポート券もありまして加賀温泉に宿泊した方用のクーポン券もありで選択肢が乗られた方に聴かれ適切にアドバイスされます。

山中温泉の自然を歩きたいという方達には、CMで吉永小百合さんの立っている「こおろぎ橋」などもいいのではと話され、そうですよねとお客さんもうなずかれていました。なかなか面白い試みのキャン・バスです。

最初に乗った山まわりのバスとJR加賀温泉駅前で海まわりのバスが同じバスで、パスポート券を出そうとすると車掌さんに、顔パスで大丈夫ですと言われてしまいました。<北前船主屋敷蔵六園>から<北前船の里資料館>は近いので歩いて行けて、もし時間があったら<北前船の里資料館>から<橋立漁港>バス停まで歩いて雰囲気を楽しんでくださいとのアドバイスありで、地図も渡してくれましてその通りにしました。

北前船主屋敷蔵六園>に内田康夫さんの『化生の海』の文庫本があり、どうやら北前船のことが関係しているようです。今読んでいますが、死体が浮かんだのが<橋立漁港>だったのです。

魯山人寓居跡いろは草庵>は、山代温泉にあり2002年から一般公開されました。旅館「吉野屋」の主人・吉野治郎さんが自らの別荘・いろは草庵を北大路魯山人さんに提供し、他の旦那衆が集まり文化サロンとなりました。

魯山人さんを旦那衆に紹介したのが、金沢の細野燕台さんで、自分の書いた吉野屋看板を魯山人さんの彫った看板のほうがよいと自分のを下ろして魯山人さんの看板を掛けさせたそうで、両方展示されていました。魯山人さんのは刻字看板で力強いですが、細野さんの看板の字も優しい味わいあるものでした。

他の所ではよく喧嘩をしていた魯山人さんも山代では一度も喧嘩をしたことがなく、書家、篆刻家に加えて、茶、美術、骨董、陶芸、食などに精通した場所でもあり、山代は魯山人さんも大切に想われていた場所です。いろは草庵の建物の中も心静かに落ち着ける場所で、茶室もそれとなく気取らずに位置していて好い感じで、出されたお茶を庭を眺めつついただきゆったりゆらゆらです。

九谷焼窯跡展示館>は、明治に九谷陶磁器会社が設立され高い生産量をあげていました。魯山人さんが、自分の師とする初代・須田菁華さんなど多くの陶工さんが関わっていましたが、その事業期間は短く、そのあとも志は引き継がれてました。昭和15年まで使われた大きな登り窯跡があり燃やす薪の量がいかばかりであったか想像するだけで溜息がでます。

昭和15年から40年頃まで使われた九谷焼としては最古の本焼窯があります。小規模でも一回の窯詰めで1000個入ったそうです。

体験もでき、店の間は展示室にもなっています。囲炉裏がありまして陶芸家さんがお茶を入れてくださり、ずうずうしくもお話しを聞かせていただきました。

成形と絵付けの両方をされていて、どうして両方なんですかとお尋ねしますと、「形あるものは置くという前提がありますが、絵は飛べるんです。シャガールの絵は人が飛んでいますよね。」 「九谷は有田の土に比べると不純物が多いため真っ白ではないので、それを隠すために絵付けしたのかもしれません。」有田の土は使われたことありますかとお尋ねすると「使いました。でも九谷の土のようには上手く成形ができないのです。やはり九谷の土にもどりました。」

こんな感じで拙い質問にも真摯に答えて下さり、物を作り生み出すかたの想いに触れさせていただき、大変貴重な時間を過ごさせていただきました。時間があったらもっとお話をお聴きしたかったです。

 

2017年11月1日 | 悠草庵の手習 (suocean.com)

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