番楽ー根子番楽

  • 番楽(ばんがく)とは、神楽(かぐら)の一種で古くは山伏が携わっていたといわれる。国立劇場で一月末に開催された第131回めの民俗芸能公演である。『本海獅子舞番楽』と『根子番楽』があったが『根子番楽』のほうだけ観させてもらう。

 

  • 秋田県北秋田市阿仁地区にある根子(ねっこ)集落で伝承されてきたのが『根子番楽』で、この集落はマタギ発祥の地として有名なのだそうである。マタギによって伝承されたといえる。演目が「露払い」「翁舞」「敦盛」「三番叟」「信夫太郎」「作祭り」「鞍馬」「曽我兄弟」「鐘巻」と歌舞伎を連想するようなのが並ぶ。現在伝承されている九演目すべてを観させてもらうという贅沢な時間であった。決まった足の踏み方があり、物語性があり、衣裳などからも演目名を知らなくても、これは敦盛と熊谷だな、牛若と弁慶だなとわかる。

 

  • 根子番楽には子供会があり、「露払い」「作祭り」「鞍馬」の牛若などは小中校生が演じ、年代で演じるものが決まっていて、大人になって演じるための修業演目ともなっていて年齢とともに伝承されている。大きくなったらあれを演じるぞとあこがれて練習に励んでいるのであろう。「敦盛」などは、「曽我兄弟」を演じられるまでの青年たちが舞う。これらの武士舞は刀さばきなどの鍛錬が必要である。

 

  • 演目の前に根子番楽の代表の方の口上があり、献上品のお礼とゆるりとお楽しみくださいということである。舞の方は詞を発しない。舞台奥に幕があり、舞手が幕の中心を押し出すとお囃子が止まり、幕出謡(まくでうたい)があり舞い手が幕をくぐって登場する。「曽我兄弟」などは、五郎が先に、その後十郎が登場するが、それぞれの幕出謡があり、長い間に洗練され、変化に富んだ舞曲になったのであろうか。

 

  • 「三番叟」は動きの速い舞で体力が必要である。山伏がおこなっていたということであり、このように体力のいる舞いになったということもわかるが、武士舞が多くあるということはどういうことなのであろうか。山伏は修験者である。武士舞は時代の流れの中で取り入れてきたのかもしれない。根子地区は佐藤嗣信(つぐのぶ・忠信のお兄さん)の末裔の住む地区だそうで、次第に住民の好みに添って伝承されたとも予想できる。

 

  • 今回観れなかった『本海獅子舞番楽』は鳥海山の北嶺の集落に伝わるもので、獅子舞を重要視している。『根子番楽』は獅子舞が無く、獅子舞の有る番楽と無い番楽とがあるようである。長い年月の伝承であるからその変化の根拠は難しいことなのでしょう。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です