映画『ボヘミアン・ラプソディ』『フィラデルフィア』

  • 美容室で美容師さんに映画『ボヘミアン・ラプソディ』を観たかどうか尋ねたら彼も観たいが観ていないという。最近映画館で観た映画を尋ねられたので『私はマリア・カラス』と答えたら、誰ですかと聞かれてしまった。その後で『ボヘミアン・ラプソディ』を観たら、フレディ・マーキュリーがマリア・カラスの『カルメン』のレコードをかけたので驚き桃木である。先に映画を観ていれば美容師さんに『ボヘミアン・ラプソディ』の映画に出て来るわよと答えられたのに残念。

 

  • 確か二枚目のアルバムを作る時だったと思う。レコード会社でフレディが『カルメン』のレコードをかけて次はオペラのようなものにすると宣言するのである。クイーンは同じようなものは作らないと仲間も同調。驚きつつ、咄嗟に第一は声かなと。それから制作が始まるが、ロジャーが声が壊れるよと抗議するがフレディは、もっと!もっと!と要求する。曲の『ボヘミアン・ラプソディ』は6分以上になり不評であった。字幕で歌詞を見ていると何かを心から吐き出し、それでいて語りかけている。

 

  • クイーンのフレディ・マーキュリーを主人公にしているが、他の三人のメンバーの映しかたもそれぞれ個性が感じられ素敵である。意外と四人一緒で、これは映画のためかと思ったらこの四人は公的には行動を供にし、プライベートはそれぞれが大切にするということだったようである。一時フレディがソロとなり3対1となるが、音楽に関しては仲間意識が強く、再びフレディを受け入れる時も3対1が一呼吸置いてぱっと4人になるという爽やかさで、クイーンあってのフレディ・マーキュリーの印象である。フレディは多額の契約金でソロとなり他のバンドとやってみるがイエスマンばかりで、音楽に対しては貪欲に言い争いつつ臨むクイーンがやはり本来の居場所であった。

 

  • そして家族を持つことのないフレディにとって仲間は孤独を感じさせる場所でもあった。それは、フレディにとってはどこにいても通過しなければならないことであったと思う。恋人であったメアリーが友人となるまでの葛藤。危うさの中で、フレディは帰る場所を間違わなかった。彼は声が出にくくなっていたが、チャリティーコンサート「ライヴ・エイド」出演の練習では、少し待ってくれ声を取り戻すからと言って当日は見事な歌声を披露し観客を魅了するのである。フレディは、ロックであっても声を大切にしていたのである。マリア・カラスのレコードをかけた時の想いは続いていたのである。

 

  • 映画『フィラデルフイア』が公開された時にはフレディは亡くなっていた。『フィラデルフイア』では主人公がオペラが好きで、マリア・カラスの歌声を弁護士に聞かせ死を目の前にした自分のぎりぎりの気持ちを伝える。この映画からはエイズに対する差別の感情がよく伝わってくる。主人公は優秀な弁護士であったが彼が勤務する法律事務所は彼がエイズとわかり解雇する。病気を理由に解雇することは法に触れるため仕事上のミスで解雇する。それも巧妙な罠をしかけてである。彼は法の力を使って闘うのである。

 

  • フレディは、そのことについては強く語らないが音楽で闘っている。結論も勝利も見えはしないがこのままで何が悪いんだ。ラストのライブは圧巻である。声を出したり、手を叩いても良い「ボヘミアン・ラプソディ応援上映」というのがあるらしい。体験したくなる。

 

  • DVD『クイーンヒストリー』は、1973年から1980年までの「クイーン」のライブ映像を含めての「クイーン」の経過がわかる。ロックの流れの中での「クイーン」の位置づけ。ブライアンのギター奏法の解説。クイーンの作品がどう変わっていったかなど。「クイーン」に詳しい人は作品に対してはそれぞれの想いがあるから異論もあるかもしれないが、映画『ボヘミアン・ラプソディ』で「クイーン」に接した者にとっては流れがわかりフレディの私的なことを離れて鑑賞できた。そしてスタジアムロックを意識的に目指したということがわかった。「クイーン」聴きたくなる。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です