歌舞伎座三月『女鳴神』『傀儡師』

女鳴神』(龍王ケ峰岩屋の場)は、<女>とあるので『鳴神』の女性版ということであるが軸は同じでも大きく入れ替えている。鳴神尼は、織田信長に滅ぼされた松永弾正久秀の娘・初瀬の前である。舞台が開き『鳴神』と違うのは、鳴神尼が姿を現しているのと、滝のそばの崖の途中に祠があることである。鳴神尼は父の遺言である信長を倒し、松永家再興を一心に祈っている。そのため、家宝の「雷丸(いかづちまる)」を祠に納め、大滝に世界中の龍神龍女を閉じ込めて雨を降らせなくし、世の中を乱して信長を討とうというのである。

 

鳴神』の場面設定は京都の北山ですが、『女鳴神』は奈良のようで、鳴神尼のもとの名前は初瀬の前といい大和に関連づけている。弟子たちも白雲尼、黒雲尼と尼で、当然龍神らを解き放つ役目は男性で雲野絶間之助である。仕掛ける絶間之助は鴈治郎さんで、それに惑わされる鳴神尼は孝太郎さんである。

 

鳴神尼は落飾する前、初瀬の前の時許婚がいたのである。絶間之助は自分には生き別れた恋しい人がいると語り鳴神尼の興味を引きつける。その人の名は初瀬の前と告げる。完全に鳴神尼は許婚と間違ってしまうのである。そしてやっと会えたと夫婦の盃をかわす。いや嬉しやと恋に身を崩していく鳴神尼の見せどころである。

 

絶間之助はそっと庵から抜け出し、祠から「雷丸」を奪い、しめ縄を切り、龍神龍女を解き放つのである。きらびやかな複数の龍が登って行く。絶間之助は初瀬の前の許婚によく似た信長の家臣だったのである。主君信長の命により鳴神尼をおとしいれたのである。許して欲しいという気持ちで花道を去る絶間之助。

 

長唄が入る。ここの音楽が観客の気持ちを高めていき効果的である。終わるとだまされた鳴神尼はすざましい形相となっている。怒り狂う。そこへ、織田の家臣が佐久間玄蕃盛政が荒事の押し戻しで登場である。ここも『鳴神』には無い意外性である。27年ぶりの舞台のようである。ヒッチコック映画のリメイク版ではないがどう変わるか興味津々でたのしんだ。

 

今回、高校生の団体が入っていたが愛憎劇と龍神龍女が放たれるなど何となく解ったのではないだろうか。押し戻しという荒事も登場し、あの形相の鳴神尼を押さえるにはこれくらい隈取でなければ位に想ってもらえればよい。雨と雷で大道具の木の大枝も折れ曲り変化に飛んでいた。『鳴神』は今後、高校生が歌舞伎に興味をもったときには目にすることもあるであろうから、そのとき確かあの時はと思い出せれば幸いである。

 

孝太郎さんは、仁左衛門さんの立役と違い女形で、仁左衛門さんの役を継承するというわけにはいかず地味なところがあった。近頃は、女形・片岡孝太郎として独自の役者さんとしての土台のしっかりさが現れてこられている。鳴神尼と初瀬の前の気持ちにもどるあたりの色香の変化も面白かった。鴈治郎さんの絶間之助とのやりとりも『鳴神』の形よりも柔らかみがあり自然に引き込まれていく。鴈治郎さんの押し戻しもきっちり形にはまっていて驚いた。この演目どうして長い間上演されなかったのであろうか。

 

傀儡師(かいらいし)』は、当時の流行り歌や義太夫節などを人形を使って見せた大道芸人のことらしい。傀儡師は首から箱を下げていてその中に人形が入っているのであろう。小さな人形や指人形なども使ったようで、首から下げた箱が舞台となったりしたわけであろう。舞踏の『傀儡師』は、人形ではなく自分が様々な登場人物になって踊り分けるのである。清元がその様子を語るが伸ばすところがあり、単語のつながりを聴き分けるのが慣れていないと難しい。一応、歌詞は読んでおいたが、聴きながらというわけにはいかず、頭の記憶の流れで踊りを楽しむこととなった。

 

祝言をあげた夫婦に三人の子供が出来その総領息子はと順番に紹介したり、八百屋お七と吉三が出てきたり、ちょんがれ節がでてきたりと変化にとんでいる。そして知盛もでてくる。しかしそこは踊りで表すのでそうかなと思っているうちに次の場面になっていたりする。かなり高度な踊りと思えた。踊り手は幸四郎さんで、下半身の足の動きを丁寧に移動させられているように見受けられた。日本の踊りの鑑賞は難しい。

 

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