映画『武器なき斗い』『わが青春に悔なし』

映画『武器なき斗い』(1960年・山本薩夫監督)より14年前に映画『わが青春に悔なし』(1946年・黒澤明監督)を撮られているのだが、時代としては映画『武器なき斗い』は1920年代、『わが青春に悔なし』は1930年から1940年代までである。

武器なき斗い』は生物学者で政治家であった山本宣治さんが産児制限や農民運動などで貧しい人々に手をかし、政治家となるが右翼によって殺されてしまうのである。

メッセージの文が映し出される。「山本宣治は生物学者であった。いのちをかぎりなくあいしたが故に貧しい人々に深く同情し、抑圧する権力を憎んだ。山本宣治の意志は、平和と独立のために斗う日本人民の心の中に生きる。」

映画では、暗い雨の中、記念碑のような大きな石に向かって周囲を気にしつつ人々が何かをしている。これがよくわからなかったのだが、これは山本宣治さんのお墓の裏に「 山宣ひとり弧壘を守る  だが私は淋しくない  背後には大衆が支持いてゐるから 」と彫られているのだがそれを埋めてぬりつぶされるので農民たちがそれを削り取って字が見えるようにしているのであった。そういう弾圧もあったのである。

山本宣治(下元勉)は両親(東野英治郎、細川ちか子)が経営している京都宇治にある料亭「花やしき浮舟園」に妻子(渡辺美佐子)と住んでいる。

山本宣治は婦人たちを集めて避妊のことなどを教えて歩く。貧しい中で女性達の負担は大きく、女性達に自分で選ぶ権利をもってほしかったのである。婦人たちも知識がないため知りたいと思う。生物学者である山本宣治は静かに研究がしたかったが、小作人たちの生活をみていると地主の横暴に黙っていられず色々な法的知識も教えなくてはとおもう。農民たちが行動すればそれを手伝う。京都大学と同志社大学で教職についていたがそこから追われるかたちとなる。

次第に他の人から頼られ応援もあり労働農民党から国会議員選挙に出馬し当選する。治安維持法改正に反対する国会での質問をまえにして彼は東京に泊まっていた神田の旅館で右翼(南原宏治)に刺殺されてしまうのである。

地主制度は詳細には調べていないが小作人がいかに支配され耕作権が無視されていたかは想像できる。弁のたたない小作人に自分たちの意見を言えるように助け、何んとか理論的に守ろうとしたのが山本宣治であった。そして治安維持法が改正され貧しい人々やそれを応援しようとする人々を弾圧するとして国会で明らかにしようとしていたのである。

原作は西口克己さんの小説「山宣」で、西口さんは映画『祇園祭』の原作者でもあった。脚本は依田義賢さんと山形雄策さんで、依田義賢さんは映画『ある映画監督の生涯 溝口健二の記録』(新藤兼人監督)を見直していたところなので発見が多い。

山本宣治さんの実家の「花やしき浮舟園」は今も旅館として残っている。これまた驚きであった。宇治には3回ほど行っているが平等院、宇治上神社、源氏物語などしか頭になかったので今回この映画を観てあの地でこういう闘争と関係があったのだと教えられた。

山本宣治役の下元勉さんはひょうひょうとして優しく大きな流れのなかで闘った闘志というイメージではなくかえって、進んでいくうちに次から次と道を見つけていきそれに従う芯を感じさせる。お母さんの細川ちか子さんが気丈で料亭を采配しつつ息子を応援する役どころが印象的である。

宇治川は色々な歴史を感じながら流れているのである。

この時代のあとにつづくのが映画『わが青春に悔なし』である。

字幕が映し出される。「満州事変をきっかけとして、軍閥、財閥、官僚は帝国主義的侵略の野望を強行するために国内の思想統一を目論見、彼等は侵略主義に反する一切の思想を”赤“なりとして弾圧した。「京大事件」もその一つであった。この映画は同事件に取材したものであるが、登場人物は凡て、作者の創造である。」

昭和8年(1933年)に京都大学の学生と八木原教授夫妻(大河内傅次郎、三好栄子)と娘・幸枝(原節子)が吉田山にピクニックにいくのどかな明るい場面から始まる。その学生の中に、野毛(藤田進)と糸川(河野秋武)がいる。二人は幸枝を意識している。

八木原教授は京大事件によって京大を追われてしまい、それに対して大学の弱腰に我慢できず野毛は行動を起こし検挙されてしまう。幸枝は糸川と結婚すれば平凡に安泰であろうが野毛と結婚すれば激動の人生を送らなければならないであろうと想像していて、野毛に魅かれつつも踏み込めなかった。野毛は刑務所から出て来て糸川と八木原宅を訪れる。野毛は変わっていた。

幸枝は親から自立し東京で暮らす決心をする。希望のない生活のための仕事であった。そして野毛と再会する。幸枝は悔いのない人生をおくりたいと野毛と結婚する。野毛は自分が陰でしている仕事を幸枝には教えなかった。ただ10年後には皆がわかってくれることをしているのだと語る。

野毛は再び検挙される。戦争妨害大陰謀事件の首謀者とされた。幸枝も警察に引っ張られるが彼女は何も知らなかったので留置所から出られるが、野毛は留置所で亡くなってしまう。

彼女は妻として野毛の実家におもむく。実家はスパイの家として村八分であった。彼女は農婦となり姑(杉村春子)と水田を耕す。それをみて息子を不名誉と想い物言わず動かなかった舅も水田に出て立てかけられたスパイとかかれたムシロを引き抜き立ち上がるのである。幸枝はそこに根を張り農村の婦人たちのためにも新しい風を送ることを決意する。

戦後、八木原教授も京大に戻り、講演する。野毛隆吉は今はいないがそこの椅子に掛けていた。諸君のなかから同じ志の人がつづくように自分はがんばるのだと。

大河内傅次郎さんの独特の言い回しは押さえられている。大河内さんの黒澤映画で思い出すのは『虎の尾を踏む男達』の弁慶である。藤田進さんは『姿三四郎』で黒澤監督ともども広く知られるようになった作品である。

原節子さんと言えば小津安二郎監督と原節子であるが、この『わが青春に悔なし』の前半の原節子さんは何とも言えない怪しい美しさがある。自分の心の迷いを現わしているのだが日本人というより外国人の表情を観ているようである。後半は農婦となりリアリズムに描かれていくがその差の幅が興味深い。小津監督の原さんとは違う魅力である。黒澤監督の『白痴』を見直したくなった。『わが青春に悔なし』の脚本が久保栄二郎さんで『白痴』の脚本が久保栄二郎さんと黒澤明監督の共同作業である。

原節子さんは、孤高の人というイメージが強いが、多くの監督の映画に出られていて俳優は監督の素材であるということに徹しられていたように思える。素材であるから生身は自分として生きる自由をもらいますといった分け目がはっきりしていた方のようにおもえるのである。

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