映画『ナスターシャ』・フランス映画『白痴』・黒澤映画『白痴』(1)

ジェラール・フィリップがムイシュキン公爵役の映画『白痴』(1946年)があるのを知る。映画『肉体の悪魔』の前である。これはワクワクであるが、玉三郎さんの映画『ナスターシャ』を解明しなければである。まいったな。まいったな。難しい。

映画『ナスターシャ』はドストエフスキーの『白痴』が原作で、監督はアンジェイ・ワイダ監督で脚本にも参加されている。ナスターシャの最初の登場は写真ではなくその人として登場する。ウエディングドレスでの圧倒させる玉三郎さんのナスターシャである。

ナスターシャを待つのが玉三郎さんのムイシュキン公爵。二人は結婚式に臨むのである。陰から見つめる永島敏行さんのラゴージン。突然ナスターシャはその場からラゴージンと共に逃げ去るのである。

ムイシュキンはラゴージンの家へ行き、机をコツコツコツコツと叩く。この場面がその後二回でてきて過去と現在の複雑な交差となる。舞台『ナスターシャ』の映画化ということで、ラゴージンの家の書斎でのムイシュキンとラゴージンそしてムイシュキンが白いショールと耳飾りでナスターシャに入れ替わる三人の登場人物で話しは進む。女形の玉三郎さんならではの設定でありみせどころである。

黒澤明監督の筋的な展開があるので何となくわかるが途中から混乱してくる。ということで、ジェラール・フィリップの『白痴』をみる。人物設定はこの映画が原作に近いようである。ナスターシャの登場が一番多い。この映画はここで置いておき『ナスターシャ』に再度挑戦である。

ムイシュキンとラゴージンのセリフが多く、さらにムイシュキンが能弁なのである。彼はてんかんという病いがあってロシアのペテルスブルグから離れて外国で治療にあたっていた。サンクトペテルブルクにもどる車中でラゴージンと会う。そのこともラゴージンとの部屋で二人のセリフが続く。このあたりの切り替えが初めて映画館でみたときついていくのが大変であった。今回はある程度ついていける。ムイシュキンがナスターシャの写真と対面。「いい人だといいな。」とほほづえをつきじっとながめる。

他の映画ではみられないのがラゴージンがムイシュキンを殺そうとしてナイフを振り上げた時、ムイシュキンは恐怖からてんかんの発作をおこしリアルな演技となっている。ムイシュキンは死について自分の今までの体験から自分と切り離せない問題としてあるようだ。フランスでみたギロチンの処刑のことを話す。処刑の宣告ほど残酷なことは無いとし神も言っていると。そうなのである。この宗教、神のことがでてくるとこちらは理解不能になる。ただ黒澤映画での主人公は、この処刑の間際に中止となりそれによって神経が壊れてしまったことが思い出される。

宗教に関しては、ムイシュキンとラゴージンは正反対に位置しているのかもしれない。ナスターシャに対しても相反している。ムイシュキンはナスターシャに対しては恋で愛しているのではなく憐憫から愛しているという。

ラゴージンにとって、ナスターシャが自分よりムイシュキンに好意をもっていることが我慢ならない。二人が通じ合う心が許せない。ナスターシャは自分の価値はお金に換算されるもので、肉体は暴力によって汚されているとおもっている。ムイシュキンがそうした自分ではなく汚れていない自分を見つめてくれたことに愛を感じている。

ラゴージンは、「あいつはお前にほれている。お前の顔に泥をぬることになり、お前の一生を台無しにしたくないから、絶望と一緒に俺と結婚するのだ。」と。

かなりつっこんだ議論をするムイシュキンとラゴージンの関係である。ムイシュキンは、ラゴージンが嫉妬から自分かナスターシャかどちらかを殺すと直感している。そのため女というものはとラゴージンに説明したりしてラゴージンにお前らしくないといわれる。観ている方も似合わないとおもうが彼は何とかラゴージンがナスターシャを殺さないようにと必死なのである。「じゃ僕帰るよ。」と何回となくしょげて帰るところが、ラゴージン同様止めたくなる。

ムイシュキンは、旅であった三人の話をする。二人の農夫の一人が相手の持っている銀の時計が欲しくて十字をきってから殺して時計を手に入れる。普通の農夫であるが欲しいと言う欲望に勝てなかったのである。もう一人は、スズの十字架を銀だと言ってムイシュキンに売りつけ飲み代にした。それを聴いてラゴージンはムイシュキンが買った十字架と自分の金の十字架と交換する。これで僕たちは兄弟だねとムイシュキンはいう。

ここで思ったのである。ラゴージンは、ナスターシャの愛を持っているムイシュキンではなく、ムイシュキンを所有しているナスターシャという位置にかえたのである。自分はムイシュキンを欲しいからナスターシャをころすのであると。まるでそれを理解したようにナスターシャは自分を殺すようにラゴージンを誘うのである。静かに確信をもって。あなたにしては上出来よとでもいうように、その誘いが何ともいいようがない魅惑である。そうしか今のところ解釈が働かない。

そしてラゴージンはムイシュキンに二人で息をしないナスターシャのそばで一夜を明かそうと支えあうのである。ナスターシャがいなければ二人は好い関係で存在できるのである。その時、ナスターシャは二人にとって純真な白痴として存在しているのである。

ということになりましたが、また観るとこの構成が瓦解するかもしれません。

最初の登場のナスターシャと途中で入れ替わる玉三郎さんの演技と台詞の妙味だけに気をひかれるだけで一見の価値ありです。武骨で粗野なラゴージン役の永島敏行さんも玉三郎さんの台詞に反応するのは大変だったことでしょう。ムイシュキンは突然質問したりしますし、コツコツコツコツなんて冴えた音を響かせたりします。さらにナスターシャに変わっていじめられたりもするのですから。

コツコツコツコツ、「僕よくわからないけで違うとおもう。」なんて言われそうなのでこれ以上考えず公開します。

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