井原西鶴作品からの拡散・西鶴・秋成・京伝・春水(1)

島田雅彦さんの現代語訳『好色一代男』は池澤夏樹さん個人編集の『日本文学全集 11』で読んだのですが、ほかにも現代語訳作品が載っているのです。

雨月物語』(上田秋成)は新たな感覚で読み直せて、『通信総籬(つうげんそうまがき)』(山東京伝)は初めてお目にかかる作品です。『春色梅誉美(しゅんしょくうめごよみ)』(為永春水)は歌舞伎の『梅ごよみ』の原作でもあります。

まさか山東京伝、為永春水作品を読むとは思ってもいませんでした。現代語訳に出会わなければ、西鶴作品と並んでいなければ読まなかったでしょう。楽しませてくれました。

西鶴のころより出版物に対する幕府の統制は厳しくなり山東京伝は手鎖を受けています。

何回も言いますが西鶴の同時代として、芭蕉、近松の関係があります。西鶴と芭蕉は何となく概要はつかめました。西鶴さんと近松さんは浄瑠璃の台本をお互いに書き、バトルとなったときもあります。その時は近松のほうの作品が人気をとりました。その後、近松は歌舞伎で坂田藤十郎の作品を書きます。近松はその後浄瑠璃にもどり心中物というジャンルを確立します。何となく近松、藤十郎、心中物とつながっていましたがそうではなかったのです。

西鶴が亡くなる 1693年(元禄6年)52歳

芭蕉が亡くなる 1694年(元禄7年)51歳

・赤穂浪士の討ち入り 1694年12月 (この事件が入ると時代的により親しみが持てるとおもいます)

・『奥の細道』刊 1702年(元禄15年)

近松の『曽根崎心中』初演 1703年(元禄16年) 近松はそれまでの浄瑠璃の時代物に世話物を取り入れ人気をはくすが幕府の圧力により上演禁止となる

西鶴さんが商人や庶民の生活や旅を描いたことが芭蕉さんや近松さんにも少なからず影響や刺激を与えたと思うのです。芭蕉さんは旅に想像を加え、近松さんは現実に起こった事件にさらに物語性を加えて作品仕上げています。

このことはさらに江戸文学の次の世代によって進んでいきます。

大阪で浮世草子というもの広げた西鶴。それが江戸文学としてどうつながっていくのかは、西鶴、秋成、京伝、春水という道があるのだということを教えられたのです。ありがたい並べ方であり読みやすい現代語訳でした。

・『好色一代男』 (1682年) 浮世草紙 → 同時代の町民の恋愛を描き難しいいましめなどは語らない娯楽的な風俗小説。

・『雨月物語』 (1776年) 歴史奇談集 → 浮世小説では物足りない歴史的知識などのある人々にために中国から日本に舞台を移してこの世ではないことも加えた。

・『通信総籬』 (1787年) 洒落本 → 同時代の色里の様子が描かれている。吉原の中の様子。遊女や太鼓持ち、客などの様子。当時の装いや唄などの流行は悪所と言われる遊里と歌舞伎から発生している。会話あり。

・『春色梅誉美』 (1832年) 人情本 → 物語性があり市井の人々の恋愛が描かれていて次はどうなるのであろうか読者をひきつける。女性も読者に。会話あり。

『好色一代男』に描かれたことの中からさらにその狙いどころの細部の拡大を試みています。

色々な方々の解説などを参考に自分用にまとめました。そして『春色梅誉美』では、玉三郎さんと勘九郎(18代目勘三郎)さんの歌舞伎の『梅ごよみ』にぶつかってくれたので、よっしゃー!です。

自分流の横線と縦線、少しはっきりしました。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です