井原西鶴作品と映画『好色一代男』(4)

映画『好色一代男』(1961年・増村保造監督)の世之介(市川雷蔵)は女性を弱い者で可哀想であるという気持ちが根底にあります。父親(二代目中村鴈治郎)がしまつ屋で商人は贅沢をすることなくお金をコツコツと貯めることが一番と考えているのです。そのため母親はただ辛抱して世之介にいわせると陰干しした沢庵にされてしまい何んという事か。気の毒に。自分は女性に喜びを与え幸せにしてやるのだと、観音様、弁天様と崇めつつ放蕩三昧です。

父親はこれでは困ると丁稚から始めろと江戸の支店に使用人をつけて旅立たせます。江戸に行けると喜ぶ世之介。途中でお金を管理している使用人を薬で眠らせお金を手にします。そのお金で吉原へ。そこで高尾太夫と恋仲の男に会い、世之介は一肌脱いで高尾を身請けし添わせてやります。自分の色事のためだけにお金を使うわけではないのです。

身請けのお金は支店から出させたので、それを知った父親は江戸まで出て来て勘当を言い渡します。世之介は放浪の旅となります。

途中で世之介は強欲な網元のお妾になっているおまち(中村玉緒)を連れ出し逃げます。おまちは捕まってしまい首をつって死んでしまいます。墓を掘り起こす男たちがいて死んだ女性の髪を女郎衆に売るのだといいます。真のあかしが偽物だったことを世之介は知ります。

その墓の死人は偶然にもおまちでした。嘆く世之介。自分は後を追いたいがあの世で会えるとは限らないので止めるといいます。その時死んだおまちが笑うのです。

西鶴の作品はかなり現実を写実的に表現し紹介していると思っていたのでこういう場面は原作にないであろうと思ったのですがあったのでちょっと驚きました。なんでもありでその後に他の人が書く際のアイデアとして引きつながれていると思います。

世之介は父親が病に倒れているのを知り実家に帰ります。

死に際の父親は勘当を解きます。そして三つのことを守るようにと遺言を残します。一、お金の番人になれ。二、葬式はしなくていい。三、お侍には逆らうな。

母親も夫が亡くなりショックでその場で死んでしまいます。もちろん世之介は父親の遺言には従いません。色里でお金をまき散らし、侍が金を貸せと言いますが蔵にはお金がありませんので貸せませんといいます。お店はお取りつぶし。

世之介は夕霧太夫(若尾文子)と新しい国へ行こうと逃げ出します。ところが隠れていた夕霧は役人の探り槍に刺され世之介の目の前で亡くなってしまいます。女を悲しませるこんな日本にいるかと好色丸で仲間と女護島を目指すのでした。

映画の世之介は自分なりの考えで行動し、世のなかの仕組みを俯瞰的にながめているところがあります。

世之介の父は、映画『大阪物語』(1957年)の父親の生き方と通じています。『大阪物語』は西鶴の『日本永代蔵』『当世胸算用』などから溝口健二が原作を依田義賢が脚色し、溝口健二監督が亡くなったため吉村公三郎監督作品となりました。

その父の生き方にも逆らい、商人を利用して権威を振るう侍に従うのもいやで、ひたすら女性賛美の世之介がいるのです。

改めて市川雷蔵さんは役どころの広い役者さんであったことに気づかされます。『大阪物語』では、夜逃げから商人として成功した近江屋の番頭・忠三郎です。主人の仁兵衛(二代目・中村鴈治郎)のしまつ屋の小言と命令にひたすら仕えています。女房のお筆(浪花千栄子)は娘・おなつ(香川京子)の幸せのみを願って死んでいきます。恋仲のお夏と忠三郎はついに仁兵衛からの自立をめざし店を出ていきます。仁兵衛はお金に対する執着心から気がふれてお金の番人としてお金とともに閉じこもってしまうのでした。

一代で成功した商人のしまつ屋は肯定的な例として『日本永代蔵』にも書かれていますが映画『好色一代男』と『大阪物語』はその両極端のお金の使い方となっています。その両方の映画で明と暗の役どころで主演を果たされているのが市川雷蔵さんなのです。その比較を観れるのも面白いです。

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