『女であること』 川島監督が、日活から東宝(東京映画)に移っての一作目である。川島監督は<今度は自分の好きなものを撮れると思ったがそうはいかなかった>と言われている。原作は川端康成さんである。
美輪明宏さんが若い頃の妖艶さで先ず歌い、タイトルとなっていく。歌はここだけである。なんとなく女の繊細というか、固執というか、面倒臭さを感じさせる。悪い予感。殺人者の弁護を引き受けた弁護士・佐山(森雅之)が、妻(原節子)の考えもあり、殺人者の娘・妙子(香川京子)を自分の家に引き取る。いつしか穏やかな日常に、妻の友達の娘・さかえ(久我美子)が同居することにより、家の中のバランスが崩れてゆく。さかえは自分が何をやりたいのか見つからず、佐山夫妻の愛情を独り占めにして、埋めようとする。
妙子には、大学生の恋人(石浜朗)がいる。妙子はさかえがきたことによって居場所を失い恋人のもとに走るが上手くいかない。さかえは、佐山の弁護士事務所で働くが、自分の行動に自分で制御できなくなり、夫妻のもとを去る。妙子の父も佐山の弁護により死刑とならず、妙子も仕事を見つけ自立する。夫妻の間には、10年ぶりに子供が授かる。
この間のそれぞれの心理描写にせまるのであるが、さかえの行動には、もういい加減にしてと言いたくなる。原作は長編のようである。原作を読まないで言うのもおかしいが、川島監督もよく粘ったなあと思う。原さんは小津監督の映画と違い、たたみかける科白も多くあり、あの科白の少ない独特の美しさではない。小津監督が創られた原さんのイメージが見る側に出来上がっているので、少々戸惑う。この夫婦にとって、妙子もさかえも、子供がいないゆえの倦怠からくる埋め合わせだったのであろうかと、見終るとなぜかすっきりしない。
この家は丘の上にあって、そのことによって、家の中に幾つかの階段が造られる。その階段が、動きの少ない家の中にも動線をつくるのである。
原作・川端康成/脚本・田中澄江、井手俊郎、川島雄三/撮影・飯村正/出演・原節子、森雅之、久我美子、香川京子、三橋達也、石浜朗
『赤坂の姉妹・夜の肌』 信州から娘(川口知子)が出てきて、国会の門の前に立ちりんごとお花を添える。守衛からあの事件はこちらの門では無く南門だと言われる。樺美智子さんの死を思い起こさせる場面である。この娘さんが向かうのは赤坂の姉たちのところで、長女(淡島千景)はバーを開いている。次女(新玉三千代)はバーを手伝っているが、姉の生き方に同調出来ず姉のもと恋人(フランキー堺)と一緒になる。
政治家のうごめく赤坂で、長女はついに料亭の女将となる。彼女はかつて新劇の劇団に参加していたが、生活のため、その夢を捨て夜の世界をのし上がっていくのである。色仕掛けもあるが、それよりも、よく動くのには感心してしまう。確かに自分の利に叶う男を引き付けていくが、男たちの真実も怪しいから、次女が反発するほど、悪女にはとれない。長女と次女がつかみ合いの喧嘩する場面の動きは見事である。特に淡島さんは、テーブルの上を着物で飛び上がったり、尻もちをついたり、運動神経が良いのであろう。淡島さんは、<私はどの監督にも、監督の言われた通りにするだけです>と言われていたが、そこが、多くの監督に起用された原因なのかもしれない。言われた通りにするということは出来るから言えるのである。ふすま一枚分の見える空間で真ん中にテーブルがあり、そこを左右に淡島さんと新玉さんを動かして、喧嘩のすごさを想像させる。
次女は恋人を追ってブラジルへ、三女は、政治活動へと、三姉妹は別々の道をあゆむ。最後に、チェーホフの「三人姉妹」の科白を淡島さんがつぶやく。<私は全力を尽くした。出来るものなら、もっと上手にやってみるがいい。>
伊藤雄之助さんが政界の実力者の味を出していて好演である。蜷川幸雄さんが学生運動家として出ている。久慈あさみさんが淡島さんと昔新劇仲間で、今も女優を続けていて、夫(三橋達也)と別れて伊藤雄之助さんと一緒になるつもりであったが、淡島さんにとられたかたちである。。赤坂はもう5年くらいで先がないと、赤坂の料亭を伊藤さんに売り、次の手を考える山岡久乃さんが淡島さんの一歩前を進んでいるたくましさが上手い。
加藤武さんが、ナレーションで、赤坂を紹介する。日枝神社、豊川稲荷、氷川神社も出てきて川島監督の町の紹介の少しひねたエスプリが好きである。
原作・由起しげ子/脚本・八住利雄、柳沢類寿、川島雄三/撮影・安本淳/出演・淡島千景、新玉三千代、川口知子、伊藤雄之助、三橋達也、田崎潤、久慈あさみ、山岡久乃、蜷川幸雄
『花影』 原作が大岡昇平さんで、この小説の主人公にはモデルがあったらしい。池内淳子さんの映画復帰第一作で、川島監督は原作に忠実に撮ったと言われている。この作品は小説も読んでみたいと積んであるので読んでからと思ったが、いつになるか判らないので簡単に終わらせておく。映像が岡崎宏三さんで「花影」調ともいわれる映像らしいが、池内さんと池部さんが夜桜を見に行き、池内さんの顔に桜の影がうつるのが印象的であった。
義理の母にそだてられ、15歳から銀座で働き始め、自分の今の年齢から、この銀座で生きていく先行きのなさと、男にも自分にも愛想がつき、義理の母に遺書とアパートの鍵を送り薬を飲むのである。始めに三年一緒に暮らした大学の先生(池部良)が別れていくとき、部屋の窓から下の道路を見下ろし男の姿を見送る場面がある。その時、赤いポストが目につく。そのポストから遺書と鍵を投函するのである。川島監督はこういう手法をよく使う。
男に尽くすタイプであるが、甘えて見返りをもらうタイプではない。こうなるのも成り行きであり、どう修正しようにもできなかったのである。そして、惚れこむのが、お金のない男になのである。一番の原因は池部さんであろうかと思うが、原作を読んで、川島監督がその辺をどう描いたのかもう一回検証したい作品である。別れたのに再会し、男の狡さが分かっていながら、また惹かれ、そんな自分を始末するのは自分しかいない。であるなら、『花影』の題名もいきるのだが。
全然解釈が違っていたら、それもまた楽しである。
原作・大岡昇平/脚本・菊島隆三/撮影・岡崎宏三/出演・池内淳子、佐野周二、池部良、高島忠夫、有島一郎、三橋達也、淡島千景、山岡久乃
池袋の新文芸坐で、川島雄三監督の特集があり、その中で見ていない映画が、8本ある。上映できる映画がまだ8本もあるということで、出会える楽しみを先に延ばしたと考えればよいわけである。